寛正二年(1461)
主な出来事
8/2:斯波義敏の子、松王丸を出家させて相国寺の僧とし、渋川義鏡の子、義廉を斯波家に入嗣させる。(「戦争の日本史9」)
10月頃:堀越公方足利政知と共に伊豆に下向していた犬懸上杉教朝が「心中に決しがたき事あり」として自害して果てる。子の政憲が跡を継ぎ、京都から伊豆に下向する。
10/16:将軍足利義政、斯波義廉と対面する。
死没
岩松持国(?:上野新田領主)
上杉教朝(54:犬懸上杉氏)
備考、その他
・この年、扇谷上杉氏の家宰太田道真が隠居する。
・上野の岩松家純が、一族の持国を討つ。(「戦争と日本史10」)
5/2:山名宗全が幕命を受け、備後の石清水八幡宮領への使者入部停止を守護代に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)
6~7月:山名是豊が、石見、安芸の国人衆を率いて河内国内を転戦する。(「人物叢書 山名宗全」)
7月:堀越公方足利政知の奉行人布施為基が鎌倉に下向する途中、小田原にある大森氏領や鎌倉寺社領への入部を試み、強固な抵抗にあう。(「戦争の日本史9」)
8月:関東に戻った板倉頼資、鎌倉鶴岡八幡宮の社頭の掃除を町人百余人に命じる。
10月:遠江国内が騒乱状態になり、鎌倉に在陣していた遠江勢が帰国する。
10/4:将軍足利義政、三条実雅から所領三箇所を没収し、日野富子の兄勝光に与える(いずれもかつて義政の父義教が日野義資から没収した土地)。
10/17:将軍足利義政、越中、越前国の幕府御料所七ヶ所を朝倉孝景に与え、越前国守護代に任じようとする。
10/22:南禅寺、遠江国の寺領初倉庄の守護半済の停止を求める訴訟を起こす。
10/23:将軍足利義政、堀越公方足利政知と渋川義鏡に書を送り、上杉政憲について、ことごとに諷諌して扶持を加えるようにと指示をする。
12/13:山名宗全が、但馬の知行地を佐々木橋本氏に給分として安堵する。(「人物叢書 山名宗全」)
12/19:将軍足利義政、駿河守護の今川憲忠に伊豆へ赴くように命じる。






