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参考文献


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長禄三年(1459)

主な出来事
・赤松次郎法師、季瓊真蘂に対して、拝領した加賀国及び備前国新田庄について幕府からの御教書を求める。(「戦争の日本史9」)
1/2:幕府政所執事二階堂忠行が辞任する。
1/9:将軍義政室の日野富子に子が生まれるも、そのまま早世し、義政の乳母今参局による呪詛が噂される。
1/18:今参局、自害して果てる。
5月:越前、尾張、遠江国守護斯波義敏、周防国の大内教弘の元に没落する。義敏の守護職は剥奪される。
8/13:越前、遠江国守護代甲斐常治が死去し、家督を子の敏光が継ぎ、斯波義敏が没落した後の守護職には子の松王丸が任じられる。
10/9:将軍足利義政が、畠山弥三郎を赦免し、「政久」の諱を与える。(「人物叢書 山名宗全」)
11/16:上御所の造営が完成し、将軍義政、それまで居住していた烏丸殿より移徒する。

死没
1/18:今参局(?:将軍義政の乳母)
8/11:堀江利真(?:越前国人)
8/13:甲斐常治(?:越前、遠江守護代)



備考、その他
・この年、春から夏にかけて旱魃が起こる。
1/13:将軍足利義政、侍所頭人京極持清に命じて今参局を召し取る。(「戦争の日本史9」)
1/14:今参局、琵琶湖の沖の島に配流される。
2月:甲斐敏光勢が越前国に侵入し、堀江利真勢を破る。
2/8:今参局の呪詛事件に連座して将軍義政の側室四人が御所から追放される。
3/17:幕府、甲斐常治を越前国守護代に任じた旨を越前、若狭、能登、近江国の守護、国人衆に報じ、甲斐敏光に合力するように命じる。
4月:斯波義敏、越前国に兵を送る。
4/20:斯波義敏方の堀江利真らが敦賀城を攻めるが、敗れる。
5/13:斯波義敏勢が一万余の大軍で敦賀城を包囲攻撃するも、船が大風で使えなくなったところを甲斐方に逆襲され、八百余人の戦死者を出して大敗する。
5/14:将軍足利義政、近江国人小串、熊谷氏を越前に出陣させる。
5/22:山名宗全が幕命を受け、播磨大塩荘の諸役免除、使者入部停止を守護代に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)
5/25:越中、能登、加賀勢が甲斐方に合力すべく越前に侵攻する。
5/26:東福寺の禅僧太極が、その日記の中で斯波氏の混乱を憂い、「禍おそらく国家におよばん」と危惧する。(「人物叢書 山名宗全」)
5/27:甲斐敏光が越前に入り、斯波義敏、撤退を余儀なくされる。
7/23:斯波義敏方の堀江利真、越前国河口庄長崎に出陣する。
8/11:斯波義敏方の堀江利真、甲斐方に敗れて討死する。
9/10:諸国に暴風雨による被害が出る。
10/14:足利政知と上杉房顕の連合軍が武蔵国太田庄に布陣する。
10/15:足利政知勢と足利成氏勢が朝夕に合戦に及び、政知方が敗れる。
12/17:
・将軍足利義政、四代将軍義持の三十三回忌の法要を行う。その際、自らの政道を
「様々の事にふれ筒嘆くぞよ道さだかにも治めえぬ身を」との和歌にこめる。
・山名宗全が、備後の所々について、諸役免除、使者入部停止を守護代に命じる。(「人物叢書 山名宗全」)



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