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参考文献


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文禄二年(1593)

主な出来事
1/7:明、朝鮮連合軍の攻撃を受け、小西行長らが夜間に平壌城から撤退する。(「戦争の日本史16」)
1/27:碧蹄館の戦い ○宇喜多秀家、小早川隆景vs李如松●
5/1:豊臣秀吉が大友義統、島津忠辰、波多信時を改易処分とし、在鮮諸将に晋州城の攻略を命じる。
5/15:石田三成、増田長盛、大谷吉継、小西行長らが、明の講和使節を伴って帰国する。(「歴史読本2009年7月号」)
8/3:豊臣秀頼が生まれる。(「北政所と淀殿」)


生誕
8/3:豊臣拾(秀吉の子、秀頼)

死没
津田盛月(?:隼人正)
9/8:島津久保(21:島津義弘の嫡子)

備考、その他
1/1:李如松率いる明軍が安州に入る。(「戦争の日本史16」)
1/2:南部信直が、小西行長が明の関白ら21人を人質として召し連れて来ると国元に報じる。
1/5:李如松率いる明、朝鮮連合軍が平壌城を包囲する。
1/7:明、朝鮮連合軍の攻撃を受け、小西行長らが夜間に平壌城から撤退する。
1/8:
・小西行長らが鳳山に入るも、守将の大友義統が既に逃走していたため、更なる撤退を余儀なくされる。
・李如松が平壌城に入る。
1/10:上杉景勝、朝鮮の陣中で連歌会を催す。(「上杉景勝のすべて」)
1/12:平壌陥落の報が漢城に伝えられる。
1/16:小西行長が漢城に入る。
1/18:明軍が開城に入る。
1/23:増田長盛、大谷吉継、石田三成、加藤光泰、前野長康が連署して兵糧不足と味方の苦戦を伝える報告書を豊臣秀吉に送る。(「歴史読本2009年7月号」)
1/25:李如松率いる明軍が、開城を発つ。
1/27:碧蹄館の戦い ○宇喜多秀家、小早川隆景vs李如松●
*この時、先陣を小早川隆景が務め、立花宗茂、小早川秀包、毛利元康が奇兵として敵の側面を突いたという。また、黒田長政が単騎、歩卒数名ばかりで隆景の先鋒部隊に加勢し、水牛の兜を着用して味方の戦意を高めたという。(「定本常山紀談 上」)
1/28:細川家臣麻植長通が、島津義弘の家臣伊勢貞実に書を送り、島津領内の問題は義久の指導力のなさと、伊集院忠棟が渡海中で、豊臣政権の意向を伝えられる者がいない事にあるようだと報じ、行政改革の実行を勧める。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
1/29:李如松が開城まで撤退する。
2月初:加藤清正が、配下の将兵救出のために、安辺を発ち、咸鏡道北部へ向かう。
2/11:
・伊達政宗が、明からの勅使を連れて小西行長が帰国すると国元に報じる。
・鍋島直茂が咸興府を発ち、漢城へ向かう。この時、従軍僧是琢が、膝まで雪につかる中、鉄嶺を越えて人馬に犠牲を払いながら、漢城に辿り着いたと日記に書き記す。
2/12:宇喜多秀家らが幸州山城を攻撃するも敗退、大将秀家をはじめ、吉川広家、石田三成、前野長康らが負傷する。
2/15:
・安辺の加藤清正を、明の使者が訪ね、朝鮮王子の返還と軍勢の撤退を求める。
・石田正澄が、薩摩にいる島津義久に書を送り、豊臣秀吉の渡海が4~5月になるという見通しを述べる。
2/18:豊臣秀吉が在鮮諸将に朱印状を発し、宇喜多秀家を総大将に据え、戦況の建て直しを命じる。使者として黒田如水と浅野長吉に渡海を命じる。
2/20:安辺で加藤清正と交渉していた明使が引き上げる。
2/21:加藤清正が、安辺を発ち漢城へ向かう。
2/27:在鮮諸将が漢城で軍議を行う。
2/28:鍋島直茂が漢城に到着する。
2/29:加藤清正が漢城に到着する。
3/10:豊臣秀吉が朱印状を発し、晋州城攻略と朝鮮半島南部の防備に関して指示する。
3/中旬:漢城の南、竜王館の日本軍の兵糧が焼き払われる。
3/13:南部信直が、渡海への不安を述べた書を国元に送る。
3/14:伊達政宗が、自らに朝鮮渡海が命じられたことを国元に報じる。
4/9:関白豊臣秀次が、朝鮮在陣中の上杉景勝を労う書を発する。
4/17:日本軍が明からの勅使二名と共に漢城から撤退する。
4/19:李如松が漢城に入る。
5/1:豊臣秀吉が大友吉統、島津忠辰、波多信時を改易処分とし、在鮮諸将に晋州城の攻略を命じる。
5/15:石田三成、増田長盛、大谷吉継、小西行長らが、明の講和使節を伴って帰国する。(「歴史読本2009年7月号」)
5/18:最上義光が、国元に書を送り、望郷の思いを伝える。
5/20:豊臣秀吉が晋州城攻略にあたっての部署を発表し、併せて名護屋在陣の諸将から明国からの勅使に非礼を取らないよう、誓詞を取る。
5/22:
・豊臣秀吉が、毛利輝元、小早川隆景らに朱印状を発し、晋州城攻略を厳命する。
・豊臣秀吉が北政所に書を送り、淀殿懐妊の報に対して、今度の子は淀殿だけの子であると述べ、7~8月の凱旋する見通しを報じる。
5/23:太閤秀吉が、明の講和使節を引見する。
5/24:石田三成、増田長盛、大谷吉継、小西行長らが、再度渡海する。
6/9:蒲生家臣田丸忠昌が豊臣秀吉に陣中見舞いを送る。
6/11:加藤清正が、配下の将兵に対し、自身の許可を得ずに略奪や人さらいを行うことを禁じる。(「雑兵たちの戦場」)
6/20:小西家臣内藤如安が、釜山を発つ。
6/21:宇喜多秀家を大将とする日本軍が晋州城への攻撃を開始する。
6/28:
・明の講和使節が名護屋を発ち、帰国の途につく。(「歴史読本2009年7月号」)
・太閤秀吉が石田三成、大谷吉継、増田長盛、小西行長に宛てて「大明日本和平条件」を提示する。
6/29:日本軍が晋州城を攻略する。
7月:
・李如松が漢城を発ち、明に帰国する。
・大友吉統の妻が、吉統の配流された山口に向かう。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/5:豊臣秀吉が、田丸忠昌に6/9の陣中見舞いに対する返礼を送り、近く朝鮮での戦争が集結する見通しを述べる。
7/7:小西家臣内藤如安が、漢城に入る。
7/8:
・豊臣秀吉側近の師法印勧仲が、播磨国書写山円教寺に淀殿の安産祈願を依頼する。(「北政所と淀殿」)
・島津義弘が、義久に書を送り、石田三成と相談して、朝鮮からの帰国を待って領内への検地を依頼する予定にあることを報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/11:豊臣秀吉が宇喜多秀家に朱印状を送り、晋州城攻略を賞する。
7/20:晋州牧使の首が寿楽第近くに晒される。
7/27:豊臣秀吉が朝鮮に在番する諸将などを定めた目録を発する。
7/28:島津義久が、義弘に書を送り、石田三成による領内への検地について消極的な意志を表す。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
7/29:秀吉側近の山中長俊が、秀吉凱旋後の名護屋城の代官に寺沢正成が任じられたことを名護屋周辺を領していた波田氏旧臣に報じる。
7/末:小西行長が朝鮮王子二人を解放し、釜山を発たせる。
8月:毛利輝元が釜山を発ち、帰国の途に着く。
8/3:
・豊臣秀吉が、北政所に9/10には名護屋を発ち、25~6日頃の凱旋の見通しを報じる。
・大坂城で淀殿が男子(豊臣秀頼)を産む。
8/6:豊臣秀吉が、朝鮮半島の各城主に宛てて、本丸内への他家の者の出入りを禁ずるよう指示する。(「雑兵たちの戦場」)
8/7:
・豊臣秀吉が朝鮮に在番する諸将を決定する。
・明軍が漢城を発ち、明への帰国の途に着く。
8/9:朝鮮王子二人が漢城に入る。
8/15:豊臣秀吉が、秀頼誕生の報を受け、名護屋城を発つ。(「北政所と淀殿」)
8/16:石田三成家臣安宅秀安が、島津義弘、久保に書を送り、両人への直轄領分配について、伊集院忠棟の帰国を待つと報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/21:石田三成家臣安宅秀安が、島津義久が、本来義弘、久保に配分するべき直轄領を独占していることを知り、島津義弘、久保に書を送り、これらを石田三成を通じて取り戻すように助言する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/23:石田三成が、島津勢が行う舟を使用しての略奪に対して警告する。(「雑兵たちの戦場」)
8/25:豊臣秀吉が大坂城に到着し、秀頼と対面する。(「北政所と淀殿」)
8/27:石田三成家臣安宅秀安が、島津義弘、久保に書を送り、義久を追求することを躊躇する両人を叱責し、問題を解決する気がないなら島津氏からの取り次ぎ役を辞めると迫る。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
8/28:石田三成家臣安宅秀安が、島津義弘、久保に書を送り、その弱腰な姿勢が家中周知のものであると、前日に続いて両人を叱責する。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9月:
・小西家臣内藤如安が、明の遼陽に到着するも、これ以降の通行を止められる。
・大谷吉継が大宰府天満宮に鶴亀文懸鏡を奉納する。(「歴史読本2009年7月号」)
9/6:熱海に湯治中の豊臣秀次が、大坂の淀殿に書を送る。(「北政所と淀殿」)
9/8:上杉景勝、朝鮮から帰国する。
9/25:石田三成が島津家中に書を送り、島津領の仕置きに関する方針が決定した旨を報じる。(「関ヶ原前夜~西軍大名たちの戦い」)
9/27:太閤秀吉が、有馬温泉へ湯治に出かける。
9/29:
・朝鮮国王が漢城に帰還する。
・秀吉、上杉景勝の帰国を祝し、大坂に立ち寄ることなく、すみやかに帰国する事を許す。(「上杉景勝~転換の時代を生き抜いた人生」)
閏9月:小早川隆景が、朝鮮から帰国する。
閏9/7:秀吉、有馬温泉から大坂に帰る。
閏9/20:豊臣秀吉が上洛し、前田利家の邸に泊まる。
閏9/21:豊臣秀吉が東海諸国へ鷹狩りのために下向する意向を示す。
閏9/23:上杉景勝が、関白豊臣秀次に湯治見舞状を送る。
閏9/26:豊臣秀吉が、朝鮮の戦場から逃亡した将兵に対する処分について現地の諸将に指示する。
10月:京都で辻斬り事件が発生し、奉行所が糾明の為、町から誓書を取る。(「雑兵たちの戦場」)
10/1:豊臣秀次の側近駒井重勝の元に、秀吉側近の木下吉隆より、秀吉が、豊臣秀頼と秀次娘との婚約をさせるように、前田利家夫妻を通じて申し入れる意向を示したとの知らせが報じられる。(「北政所と淀殿」)
10/2:豊臣秀吉が、徳川家康邸の茶会に招かれた後、浅野長吉の邸に招かれる。
10/3:豊臣秀吉が、参内する。
10/5:豊臣秀吉が、徳川家康、前田利家らと3日間能を催す。
10/8:豊臣秀吉が、施薬院全宗の邸を訪ねる。
10/17:豊臣秀吉が、京都所司代前田玄以の邸で能を催す。
10/21:豊臣秀吉が、淀殿の侍女を大坂で成敗する。
11/2:豊臣秀吉が、フィリピンに宛てて書を発する。
11/4:豊臣秀吉が、侍女の非行に怒り、京都三条河原で成敗する。
11/5:
・秀吉、台湾に入貢を促す書を発する。
・イエズス会のバテレン、セスペデスが釜山に到着。熊川城のキリシタンを慰問する。
11/18:豊臣秀吉が、伏見城に入る。
11/19:豊臣秀吉が、伏見城を発ち、尾張に向かう。
11/24:豊臣秀吉が、清洲城に入る。
11/28:豊臣秀吉が、清洲城を発ち、三河で鷹狩りを行う。これに際し、尾張国内に九ヶ条の条書を発し、国内の復興を命じる。
12/11:豊臣秀吉が、尾張から伏見に帰る。
12/13:京都冷泉室町東面の町内が、所司代前田玄以に「家主衆分」を提出する。(「雑兵たちの戦場」)
12/14:豊臣秀吉が、大坂城に帰る。
12/29:豊臣秀吉が、病床に着く。



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