弘治四年~永禄元年(1558)
主な出来事
2月:永禄に改元する。
7/12:浮野合戦 ○織田信長、信清vs織田信賢●
11/27:近江の六角義賢の仲裁で、足利義輝と三好長慶が和睦する。義輝は相国寺に入り、長慶も上洛する。(「戦争の日本史11」)
生誕
織田信雄(信長二男)
織田信孝(信長三男)
小西行長
森長可(可成次子)
菊姫(武田信玄五女・上杉景勝室)
備考・その他
・尾張岩倉城の織田信安が子の信賢に追放される。(「戦争の日本史13」)
・古河公方足利義氏が、北條氏康の意向で下総葛西城から関宿城に移り、それまで関宿城を治めていた簗田晴助は古河城に移される。(「戦争と日本史10」)
1/4:山科言継、言経父子、在京中の武田信虎を訪問する。
1/10:三木良頼、従五位下、飛騨守に叙任される。
3/16:武田信虎、留守中に山科言継からの音信を受ける。
3/22:武田信虎、山科言継らと共に知恩院四足門の造作見物に出かける。
4月頃:近衛前嗣(前久)、西国への下向を決意する。
5月:御所八幡付近の出火のため、山科言継が武田信虎の様子を見に出向く。
5/3:将軍足利義輝と細川晴元が、近江坂本に進出する。(「戦争の日本史11」)
5/13:足利義輝方の軍勢が将軍山城周辺で示威行動を働く。
6月:田原親宏率いる大友軍が豊前国小倉に攻め寄せる。(「戦争の日本史12」)
6/2:三好長慶方の軍勢が将軍山城を占拠し、これを改修して戦備を整える。
6/4:将軍足利義輝と細川晴元が、如意岳に布陣する。
6/7:将軍山城に立て籠もっていた三好勢が退却し、入れ替わりに足利義輝方の軍勢がこれを占拠する。
6/8:三好長逸、松永久秀、長頼兄弟が如意岳城を占拠し、義輝方の雑物、午などを奪取する。
6/9:三好長慶方の軍勢が神楽岡に布陣し、加茂河原で足利義輝の奉公衆70人余を討ち取る。
閏6月:内藤宗勝と伊勢貞孝が、丹波桐野河内の所領を折半するように申し合わせる。
閏6/15:万里小路惟房が、武田信虎の所望により、三体和歌の奥書と外題を書写して贈る。
7月:三好康長が、芥川山城に入る。
7/14:三好長慶が、京中より地子銭を徴収する。
7/19:武田信虎が、山科言継の訪問を受け、雑談を交わす。
8月:近衛前嗣、両親の反対により、西国下向を断念。
9月:三好実休、十河一存らが芥川山城に入る。
11月:河内で畠山高政と安見宗房との対立が表面化する。
11/27:近江の六角義賢の仲裁で、足利義輝と三好長慶が和睦する。義輝は相国寺に入り、長慶も上洛する。
12月:将軍足利義輝が本覚寺に入り、三好長慶は京都を出て芥川城に戻る。






