文明四年(1472)
主な出来事
・斯波松王丸、元服して義良(すけ)と名乗る。
1/15:山名宗全と細川勝元が和睦交渉を行う。(「戦争の日本史9」)
5/14:細川勝元と勝之をはじめ、内者14人が髻を切った他、山名宗全が切腹を計る。
8月:山名宗全が隠居し、子の政豊が跡を継ぐ。
備考、その他
1月:山名宗全が東軍に降参したとの風聞が流れる。(「人物叢書 山名宗全」)
2月:那須、結城氏の支援により、小山持政、小田光重が帰参し、足利成氏に古河城への復帰の動きが現れる。(「戦争の日本史9」)
2/16:山名宗全、西軍諸将に和睦の是非について尋ねる。
5/26:上杉氏と伊勢貞親が申し合わせて、関東で上杉氏と足利成氏が和睦したという風聞が流れる。
夏:山崎天王山が東軍赤松勢に占拠される。
6/12:山名教之が備中に帰国する。
8月:
・山名宗全が隠居し、子の政豊が跡を継ぐ。
・山城勝龍寺城に布陣した畠山義就が、天王山を占拠する。これを守備していた赤松政秀、浦上則宗が山崎五位川口に退去するも、大山崎神人の井上治部丞、井尻左衛門太郎が支援を申し入れ、間道伝いに奪回する。(「戦争の日本史11」)
8/6:朝倉勢の攻撃により、越前守護所にいた西軍甲斐八郎らが没落する。
8/7:越前長崎庄に立て籠もった西軍方三千を朝倉勢七千余が攻撃する。
8/10:越前河口、坪江を朝倉勢が攻撃する。
8/12:越前にあった西軍が近江に没落し、甲斐八郎は加賀国に逃れる。
8/14:朝倉孝景、越前府中に入る。
9月:西軍の斎藤妙椿が六角高頼に呼応して美濃から近江に侵入し、多賀高忠を越前に追う。
9/9:東軍京極氏の被官多賀高忠が近江に討ち入る。
10月:東軍筒井勢が大和から山城に侵入して、大北城を夜討ちするも、攻略はならず。(「戦争の日本史11」)






