文明三年(1471)
主な出来事
2/29:興福寺の尋尊が朝倉孝景が東軍に帰参し、子の氏景も越前に下り、斯波義敏の被官になったという情報を得る。(「戦争の日本史9」)
5/21:将軍足利義政、越前守護職に任じる御内書と管領細川勝元の添状を朝倉孝景に送る。
6/6:京都の西軍に朝倉孝景が東軍に属したとの情報がもたらされる。
6/24:長尾景信の攻勢を受けて、古河公方足利成氏、下総の千葉孝胤の元に逃走する。
8/26:南朝小倉宮息が大和国壺坂寺から上洛し、北野松梅院に入る。その後、内裏に入る予定であったが、消息不明となる。
生誕
武田信縄(甲斐武田家第十七代当主)
死没
6月:六角政尭(?:前近江国守護)
6/3:武田信賢(52:若狭国守護)
9/18:山名豊之(?:伯耆守護、教之の子)
12/26:大内教幸(43:政弘の伯父)
・連歌師宗祇、東常縁から古今集に関する講説を受け、これを古今集両度聞書としてまとめる。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
・将軍足利義政が関東管領上杉顕定の要請を受けて上野国人長野左衛門尉と小幡右衛門尉に感状を送る。
2月:古河公方足利成氏が古河を退去して千葉城に入る。(「戦争と日本史10」)
3月:
・足利成氏、小山、結城、千葉氏に命じて伊豆の堀越御所を襲わせるも失敗する。(「戦争の日本史9」)
・東軍方山名是豊の子七郎が但馬九日市に侵入し、西軍方と交戦する。(「人物叢書 山名宗全」)
4月:
・本願寺蓮如が越前吉崎へ向かう。(「戦争と日本史14」)
・太田道真、資忠(道灌弟)親子が小山持政、小田成治を帰順させ、上野国立林(館林?)、舞木城を攻略する。(「武士はなぜ歌を詠むか」)
・東軍方山名是豊が、備後に下向する。(「人物叢書 山名宗全」)
4/15:幕府方の長尾景信、古河公方の下野国赤見城、樺崎城を攻略する。
4/21:西軍大内勢が、山城国吐師、相楽を攻撃する。(「戦争の日本史11」)
4/22:山城国南部の東軍が大内勢に対して反撃に転じ、椿井、高林、延命寺を攻撃する。
4/28:将軍義政側近の伊勢貞親、万里小路春房が遁世、出奔する。貞親の跡は子の貞宗が継ぐ。
5月:
・常陸の小田成治が、関東官領山内上杉顕定に応じて、古河公方陣営を離れて上杉陣営に属する。(「戦争と日本史10」)
・下野の小山持政が、将軍足利義政の命に応じて、古河公方陣営を離れて上杉陣営に属する。
5/21:将軍足利義政、斯波義敏に御内書を送り、朝倉孝景が合戦をはじめても出陣しないように命じ、義敏被官の二宮将監にもその旨を伝えるように依頼する。
5/23:幕府方の長尾景信、古河公方の上野国館林城、館林舞木城を攻略する。
5/末:幕府方の長尾景信、古河城を包囲する。
5/30:将軍足利義政、越後守護上杉房定をはじめ、関東、奥羽の諸将に足利成氏討伐のための出陣を命じる御内書を発する。
6月:東軍が山城椿井に築城する。
6/8:朝倉孝景の嫡男氏景が山名宗全邸を訪ねた帰りに細川成之の陣に入る。
6/10:
・朝倉氏景、将軍足利義政に対面する。
・朝倉孝景、越前国今立郡河股に出陣する。
6/11:幕府、越後守護上杉房定と尾張の織田伊勢守、駿河守に朝倉孝景討伐を命じる。(「織田信長文書の研究 上巻」、「戦争の日本史9」では朝倉への合力、共闘を命じたとする)
6/12:西軍大内勢が、椿井の城を攻略する。
6/24:朝倉孝景が加賀国人額田藤八郎と狩野伊賀入道に支援を求めるも、拒絶される。(「戦争と日本史14」)
6/25:将軍足利義政、近江国人朽木貞綱に若狭守護武田国信と相談の上、越前敦賀に出陣するように命じる。
7月:飛騨国内で合戦、姉小路基綱が守護方の三木某を討つ。
7/5:山名宗全が、山内氏の備後国内の所領について、段銭を免除する。(「人物叢書 山名宗全」)
7/21:西軍の甲斐左京亮、朝倉孝景を破る。
8/19:美濃守護代斉藤妙椿、飛騨の姉小路基綱へ飛騨国内での戦闘の停止を申し入れる。(飛騨三木一族)
8/24:朝倉孝景、鯖江の合戦で甲斐左京亮を破る。
閏8月:西軍に転じた毛利豊元の働きで山名是豊が備後から撤退する。(「人物叢書 山名宗全」)
9/18:伯耆守護山名豊之が下向した伯耆で殺害される。
9/21:越前国坂井郡長崎に斯波義敏方が夜討をかける。
10/17:幕府が大山崎惣中に対して、戦時中に限り、石清水八幡宮別当新善法寺氏領である紀伊国和佐荘を兵糧所として与える。(「戦争の日本史11」)
11/30:幕府奉行人飯尾為信と布施貞基が、大山崎惣中に書を送り、西軍への内通者を追放して忠節を尽くした事を賞する。
12/3:将軍足利義政、堀越公方足利政知に関東での合戦について厳密な成敗を命じ、奥州の諸氏にも関東への出陣を命じる。
12/26:大内教幸が、守護政弘配下の陶弘護に敗れ、自害する。






