宝徳三年(1451)
主な出来事
9/24:尾張守護代の問題に関し、日野重子が嵯峨五大堂に籠り、将軍義成に抗議する。(「戦争の日本史9」)
10/10:日野重子、義成が抗議を受け入れ、織田家の事に義成、及び乳母の今参局が介入しない事を約した事を受け、室町殿に帰る。
備考、その他
・尾張で守護代織田兵庫助敏広が、父郷広と守護代職を争う。(「織田信長文書の研究 上巻」~「戦争の日本史9」においては織田郷広、久広兄弟による争いとする)
・幕府、河野通春討伐のため、安芸国の吉川、小早川氏に対し、伊予国守護河野教通への合力を命じる。
3月:将軍足利義成が織田郷広の尾張守護代への復帰を斯波氏重臣甲斐将久に示すも、拒絶される。(尾張・織田一族)
3/3:管領畠山持国の室が将軍義成の「御母」として、室町殿に参じる。
9月:将軍足利義成が織田郷広の尾張守護代への復帰を斯波氏重臣甲斐将久に示すも、拒絶される。(尾張・織田一族)
9/27:管領畠山持国、細川勝元、山名宗全らと織田郷広の問題について協議する。(尾張・織田一族)
10/16:小笠原持長、信濃国守護職に任じられる。
11/22:斯波千代徳丸、斯波義敏の加冠で従五位下、治部大輔に叙任され、義健を名乗る。






