文正二~応仁元年(1467)
主な出来事
1/1:将軍足利義政への椀飯の儀が管領畠山政長の勤めで行われる。(「戦争の日本史9」)
1/2:将軍足利義政の管領畠山政長邸への御成が中止となり、畠山義就が室町第に出仕する。
1/5:将軍足利義政、弟義視と共に山名宗全邸を借用した畠山義就邸へ御成を行う。
1/8:斯波義廉が管領に就任する。
1/17:将軍足利義政、畠山義就、政長の争いの調停に乗り出し、細川勝元、山名宗全らの援助を停止させる。
1/18:
・早朝、畠山政長が邸に火を放ち、上御霊社に陣取る。
・14時頃、後土御門天皇、後花園上皇、伏見宮貞常親王が牛飼のみを従え室町殿に避難する。
・16時頃、畠山義就の軍勢が上御霊社を攻撃する。細川勝元、京極持清らが政長に合力せんとするも、将軍義政の命で手を出さず。
1/19:畠山政長、義就方に敗れ、上御霊社拝殿に火をかけ逃走する。細川勝元、これを匿う。
3/5:応仁に改元する。
5/26:応仁の乱開戦する~早朝、細川勝元方の武田信賢が実相院、成身院光宣が正実坊に布陣、室町殿に西面する山名宗全方の一色義直の邸を襲撃し、これを焼き払い、義直は山名宗全邸に逃走する。山名、畠山、斯波勢が応戦のために兵を出し、細川勝久の邸を襲う。
5/28:将軍足利義政、中立の立場を明らかにし、山名宗全、細川勝元双方に停戦を命じる。
6/8:
・室町殿の四足門に牙旗が掲げられる。将軍足利義政、山名宗全追討の総大将に足利義視を据え、鎧始を行う。
・西軍、細川成之を介して降伏を申し入れたため、この日予定していた総攻撃を延期する。
7/6:後花園上皇、伏見宮貞常親王と関白一条兼良を勅使として将軍義政の許に派遣、和平を求める。
8/23:
・摂津国の細川勝元被官池田氏政が大内政弘に内通し、大内軍が上洛、東寺に陣取る。
・後花園上皇、御土御門天皇が三種の神器を携え、室町殿に避難する。
・東軍の陣営から足利義視が姿を消す。
9/2:後花園上皇が出家する。
10/3:後花園法皇が興福寺に山名宗全治罰の院宣を下し、将軍義政も御内書を発し、諸大名に味方に加わるように促す。
生誕
上杉憲房(関東管領)
死没
6/11:飯尾為数(?:幕府奉行人)
9/7:上杉持朝(52:相模守護、扇谷上杉氏当主)
9/9:山名教豊(44:宗全嫡子)
