永享十三~嘉吉元年(1441)
主な出来事
1/29:将軍足利義教、畠山持国に関東への出陣を命ずるも、持国がこれを拒否。このため、義教の逆鱗に触れ、畠山氏総領の家督と守護職を奪われる。持国は分国の河内に隠居し、出家する。家督は持国の弟持永が継ぐ。(「戦争の日本史9」)
2/17:嘉吉に改元する。
4/16:幕府軍、結城城を攻略する。結城氏朝らは討ち死に、足利持氏の遺児二人は捕えられる。
6/24:
・足利義教、赤松教康邸での祝宴の席で、赤松勢に襲われて暗殺される(嘉吉の乱)。義教は赤松家人の安積行秀に首を落とされる。また、石見国守護山名煕貴、出雲国守護京極高数もその場で討たれた他、大内持世(周防長門国守護)、細川持春(伊予国分郡守護)が重傷、三条実雅も傷を負う。管領細川持之はじめ、他の列席者は難を逃れてその場を脱出する。
・夜に入り、赤松一族は邸に火を放って足利義教、山名煕貴の首を掲げて分国の播磨に退去する。
・深夜、管領細川持之、丹波守護代内藤貞正を後花園天皇の元に遣わす。
6/25:管領細川持之、諸大名を集めて評定を行い、義教の嫡子千也茶丸(後の義勝)を後継者と定め、その成長を待つ間、管領が政務を代行する他、赤松満祐に対する治罰の綸旨の申請、前将軍義教に処罰された者への恩赦を決定する。
7/6:足利義教の葬儀が行われる。御台、側室、公卿が参列する中、武家からは管領細川持之のみが参列する。
8/1:赤松満祐、教康に対する治罰の綸旨が管領細川持之に下される。
9/10:山名持豊、城山城を攻略する。赤松満祐は自害する。
死没
3/13:大覚寺義昭(38:義教の異母弟)
4/16:結城氏朝(40:下総結城城主)、結城持朝(22:氏朝の子)
5/19:足利春王丸(12?:持氏の子)、足利安王丸(10?:持氏の子)
6/24:足利義教(48:室町幕府六代将軍)、京極高数(?:出雲国守護)
7/28:大内持世(48:周防長門国守護)
9/10:赤松満祐(61:備前美作播磨国守護)
9/29:赤松教康(19:満祐の子)
