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8月15日の日記~米沢旅行・その一

ドリーム・シアターを色々聴いた。

7時頃、車で実家を出て、米沢へ向かった。母親の誕生日プレゼントを兼ねての旅行で、妹も一緒。来年の大河ドラマの予習や史跡巡りといった自身の趣味も兼ねている事は言うまでもない。

妹は旅行となると、ガイドなどで様々予習をして来るのだが、今回も何やらメモにビッシリ書き込んである。聞いたら行きがけのSA、PAのグルメ情報との事。マメだなぁ。もっとも、寄ったのは上河内SAだけで、水とスキヤキまんを買ったくらいだったが。

事前の計算通り、昼前には米沢市街に入る。昼食には微妙に早かったので、まずは米沢藩主上杉家の廟所に行くことに。杉木立の中、歴代藩主の霊廟がずらりと並んでおり、

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中央奥には藩祖謙信公の霊廟が鎮座している。

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自分は米沢を訪ねるのは4回目だったと思うが、ここが一番好きな場所で、必ず立ち寄っている。一方、母と妹は初めて。古木を愛でるのが好きな母は廟所の石垣にめり込むほどの杉の巨木に抱きついていた。

昼食は米沢城址の堀端にあるラーメン屋「お堀端さっぽろ」へ。自分は辛味噌をトッピングして汗だく、ちぢれ麺で美味いわ。

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食後、堀端に咲く蓮の花が見事で、しばし撮影。花を覆い隠す葉をどかすのにWii Fitで鍛えたバランス感覚がついに役だった(?)。しかし、蓮の花というものは、自然のものとは思えないほどに色鮮やかで美しく、そこに仏様がいると考えた人々の気持ちが良く分かった。

米沢城址を散策するのは後回しにして、次に訪れたのが林泉寺。新潟の林泉寺には二回行った事があるが、米沢は初めてだ。ここには直江兼続をはじめとする上杉家臣団、一族の墓所となっている。ちなみに母は「りんせんじ」と聞いて上杉家の武勇から来る先入観のせいか「臨戦寺」だとばっかり思い込んでいたらしい。笑った。

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これは直江兼続夫妻の墓所。墓石が舘の形をしていて、珍しい。

墓所の入口にある観音様「ふれあし観音」脇の賽銭箱には、どういう細工がしてあるのか、小銭を落とすと鈴鳴りのような良い音がする。

「もう一回入れたくなるような音よねぇ」

と母は感心している(言うだけで入れない…)。で、小銭の持ち合わせのなかった私、アルミ製のコインをやむを得ず投入すると、

「チーン…」

という何とも情けない音がした。

「音色でいくら入れたかバレるな…」

思っていたら、すかさず妹が突っ込んで来た。しょうがないやんけ。

その後、伝国の杜米沢市上杉博物館へ。上杉鷹山の映画を見たが、この人、苦労してたんだなぁ。この博物館、一度来ているはずだけど、中の様子が昔と違うような…

かくして、米沢観光を夕方まで楽しんだところで、宿に向かう。スキー場内のペンションで、標高700mまで上る。ペンションに泊まるのは初めてなので、ちょっとドキドキする。気の弱そうな犬が吠えて出迎え。でかい猫もいた。

心配していたお風呂も快適で、食事は前評判通り、米沢牛ステーキを中心に美味しかった。山の中なので、虫が多かったが、余興とばかり、アブやカマドウマ、ハエを撃退した。

部屋に戻ってからは地ビールと米沢牛ビーフジャーキーで乾杯!

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9月16日の日記~米沢旅行・その2

ドリーム・シアターとデフ・レパードを色々聴いた。

6時頃起床、朝食が8:00なので、朝風呂に入ってから、ペンション周辺を散歩。さすがに標高が700mあると朝方、霧に包み込まれるような場面もある。種類はよく知らないが、多くの花が咲いており、虫などを探してみたが、奇怪なクモやカメムシなど、ゲテモノの類ばかり。営業を止め、廃屋と化した建物も見られるのが切ない…ペンションのベランダでたそがれていたら、猫が来た。「ゴロー」という名前らしい。

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でもこの猫、カメラ目線を嫌がるんだよね。抱かれたり、撫でられたりするのを嫌がったりはしないが、人の目を見ない。一晩明けて、だいぶ慣れて来たらしく、じゃれついて来たりもしたけれど、ついに、見つめ合う事はなかった…。
一晩明けて、実は犬が二匹飼われていたことを知る。いずれも捨て犬だったそうだ。それで何かトラウマがあって、初めてのお客さんに懐こうとしないのか…オーナーさんの人柄が伝わるなぁ。お世話になりました。

宿を出て、再び米沢市内へ。朝、起きた時は酷い天気になるのではないかとも思われたが、快晴。まずは米沢城址をブラブラ。宝物殿には直江兼続の「愛」の前立てつきの有名な甲冑もあった。ちなみにあの「愛」は別に「LOVE」を意味しているわけではない。愛染明王なる信仰の対象の一つだ。下は城址に鎮座する藩祖、上杉輝虎入道謙信公の銅像。
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母と妹を城址苑の土産物店に置いて、一人で米沢城址を歩き回った。本丸のお堀以外、何もないんだよなぁ…。当時から、米沢城には石垣の類はなく、堀と土塁で造成された城郭で、三階建ての櫓が二基、天守閣の代わりを担っていたそうだ。櫓台は一か所はそれとわかったが、もう一か所は破壊されていたと思う。
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一見、櫓台にも見えるが、この堀の向こうの塁上には、江戸時代、謙信公の遺骸を収めた御堂が安置されていたそうだ。

昼食はラーメンと並ぶ米沢名物、日本蕎麦を「矢平」なるお店で食べる。コシのある板ソバも美味だったが、味噌を乗せて表面をカラっと揚げたようなソバ田楽には感激…

食後、慶長二年(1597~上杉氏が会津・米沢に移って来た年)に出来たという酒蔵東光に行ってみた。もちろん、当時の建物ではないが、明治時代の馬鹿デカい蔵や商家の建築、庭園に驚愕。室町時代作の備前焼の大甕もあった。商売上手だったんだろうな…あやからないと。下はカメラに収まりきらない酒蔵の一部。自分は日本酒は飲まないので、何も買わなかったが、妹が大吟醸をゲット。
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最後に観光で立ち寄ったのが、旧米沢高等工業学校本館校舎、現在の山形大学工学部の敷地内にある。昨日、林泉寺に立ち寄る途中に見かけて、「これは凄い!」と思い立ち寄った次第。これ、国の重要文化財である。明治時代の西洋建築は史跡巡りをしていると、見かける事はよくあるが、こんなに馬鹿デカい建築にはなかなかお目にかかれない。しかも、内装も含めて保存も行き届いている。
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…というわけで、今回の小旅行は終了。9時過ぎには実家に戻って巨人、阪神のゲーム差が3に縮まったことを知り、米沢市内のあちこちでお参りした効果が早くも出たかと満足この上なし。

12時過ぎに帰宅。博物館で買った上杉景勝や直江兼続に関する展示図録を読みながら爆睡。

6月1日の日記~安土城

目を覚ますと7時…何てこった!早朝、洛中を散歩したかったのに…

天気は昨日とは打ってかわって快晴。朝食はホテル近くの喫茶店でモーニング・セットでパンとコーヒーを食す。妻と母、妹はその後、護王神社を探索したようだが、自分とDaddyはホテルで休息した。

9時過ぎにホテルを出て、安土城址へ向かったが、せっかく京都にいるんだし…と言う事で、かつての本能寺跡へ行ってみた。現在、地図や観光本に掲載されている本能寺は、後に豊臣秀吉による区画整理で移転されたもので、有名な「本能寺の変」が起きた場所ではない。というわけで、狭い路地を通り、犬の散歩をしている地元の方に道を尋ねつつ、たどり着いた旧本能寺跡。
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今は老人ホームになっているらしいが、最近、発掘したら色々なものが出てきたとか、ニュースで話題にもなっていた。天正十(1582)年6月2日、この地で日本史上最大のクーデター事件が起きたのか…と思いを馳せつつ、家族で石碑を中心に記念写真。


これで今年は京都に思い残す事はない、と安土に向かったが、予想外に交通渋滞などに引っかかり、予定より遅く安土に到着した。

安土に行くと母は必ずスーパーで近江米を買うのだが(実際、これが安くて美味い)、昼食はそのスーパーの前のおばんざい屋「味葦庵」で和食のランチ・バイキング。2年ほど前に出来た店らしいが、毎年通っていたのに気がつかなかったな…安くて美味しくて大満足でした。

こうして、ようやく安土城に到着。
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写真はお花畑を前にした安土山。この周辺は素晴らしい開放感が味わえる癒し空間なのだ。

織田信長の命日直近の日曜日は毎年「安土信長祭」が開催され、多くの人が集まっている。既に武者行列などのイベントは終わったようだが、屋台などは大盛況だ。両親も近所からの以来で珍味の鮒鮨を購入していた。

面白かったのは、武者行列に参加した方々がそのまんまの格好で城跡を徘徊していて、観光客に大人気、記念写真を撮られまくっていた。しかし、あの格好で本丸まで登るのって辛くないのかな?

毎年、少しずつではあるが発掘整備の進んでいる安土城址、今年はそんなに変化は感じなかったが、祭りの行われていたのと、時間の関係でよく見られなかった山麓部分の整備、樹木の伐採が進んでいるという印象は受けた。来年は祭りの日を避けて、山麓部分を徹底的に歩いてみようと決意した次第。
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その後は特に寄り道せずに帰宅。帰りの車中、ラジオでソフトバンクvs巨人戦を聞いていたが、巨人サヨナラ負けという結果以前に、試合内容が両軍とも悪過ぎだ。順位に反映されてるよなぁ…

5月31日の日記~上洛

デフ・レパードの自作編集ベスト、エイジア"Asia"、"Alpha"、"Astra"を聴いた。

雨の中、滋賀県に向けて車で出発。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りなのだ。今回は家族五人だ。

当初の予定では最初に安土城址に行って墓参りした後に上洛、京都のホテル泊~日曜日に京都を軽く観光して帰宅というスケジュールを立てていたのだが、関ヶ原から彦根にかけての豪雨たるや、笑ってしまうほどで予定変更、まずは京都観光をする事にした。ところが、大津で食事&コーヒーを取っている間に雨が止んだ…日頃の善行がものをいったようだ。

写真は昼食に飲食した、京都にあるというパン屋「ラミデュパン」のコーヒーとSAのレストランの近江牛肉重。どちらも美味しかった。
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まずは東寺に到着。ここは堂内に国宝の立体曼荼羅があり、最近、仏像にご執心の母や妹に良かろうというわけで行ってみた。

この寺、堂舎の消失~再建が繰り返された歴史を反映して、室町から現代にわたる壮大な建築物で構成されているのが、見所の一つだ。ま、敷地、伽藍をはじめ全体に規模、スケールがデカいので、そこいらのお寺とは、比較する事自体ナンセンスなのだが。

自分を除く家族皆が、それぞれカメラを持って撮影している様子は見ていておかしいが、一様に建物が大きすぎてフレームに収まらないとブーイングを上げていた。

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これは室町時代後期に再建された講堂で重要文化財。内部には弘法大師空海の残した国宝立体曼荼羅が安置されている。見事な仏像二十一体が並ぶ様は有り難味を忘れるほどに壮観。建物は平安時代以来の雅な趣が残っている。

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金堂は内部の薬師三尊像を含めて、安土桃山時代の豊臣秀頼による再建。戦国乱世の余燼を感じさせる豪快かつ壮大な建物で、初めて見たときは絶句したものだ。

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弘法大師が京都における住居とした大師堂も室町時代、三代将軍足利義満による再建。落ち着いた外観に内部も実用性の高さを感じさせる。

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私は東寺を訪れたのは二度目なのだが、今回、改めて圧倒されたのが、この五重塔だ。はじめて来た時の記憶は金堂のインパクトが強く、五重塔には、そんなに近くまで寄らなかったような…。江戸時代初期、徳川家光の再建によるもので、派手さはないが、重厚なデザインが見事だ。


ざっと東寺を廻った後、Daddyが八坂神社周辺の繁華街を見てみたいというので、近くの駐車場に入れて自由行動へ。私はショッピングする気力などなく、車中でしばし昼寝。後で妹に無様な爆睡姿を撮影されていたことを知る…。

宿は京都御所近くのホテルを予約していた。確か、2度目だったと思うが…あの時は西本願寺や大徳寺に行ったんだっけな。

夕食まで間があったので、一時間ほど時間が出来たので妹と散歩。京都御所を経て相国寺を目指したが、京都御所内に見所が多く、それ以上に広い!結局、途中で戻る羽目になった。幕末、禁門の変の舞台となった蛤御門て残っていたのね…当時の弾痕も撮影しました。
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御所内は人気も少ないのに皇宮警察も頻繁にパトロールしていた。現在の皇居、江戸城跡周辺よりも警戒が厳しいような気がするほどだ。なんか、別世界だね。
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戻る途中、夕立に見舞われ、道端にあった猪を祀った護王神社でしばし雨宿り。本人の干支だからか、妹は興味津津のようだ。

「雨宿りのお世話になったから」
と妹が鳥居の脇の賽銭箱に小銭を入れると更に豪雨になる。
「なんだよ、俺にも払えってか」
と私も小銭を入れると程なく小降りになった。天気雨に近い状況だったので、空の様子が何とも神秘的だったな。
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夕食はホテル近くの居酒屋で食べた。地ビールが美味しかった。食後、ホテルの部屋に戻っての二次会は私の誕生会。何時の間にやらケーキなどが用意されていた。
BGVはバレーボール男子の日本vsイタリア戦だったが、信じられない展開にチャンネルを「ごくせん」に変更…

11時頃に二次会を終え、深夜だというのに、相国寺へ向けて散歩を再チャレンジ。かほどに相国寺にこだわったのは、この周辺が応仁の乱の開戦地であったので、一度訪れてみたかったのだ。京都御所、周辺の公園が真っ暗だけど、通行は自由。パトカーのサイレンを頻繁に見かけるので、安心ではあるが。

意外な事に相国寺は深夜でもは入れる場所はあった。抜け道みたいなものなのかな。意外と通行人もいた。更に進んで御霊神社を目指す。応仁元年、管領職を突如として剥奪された畠山政長がここに立て籠もり、家督相続を巡って争う畠山義就勢が襲撃する。「上御霊社の戦い」が実質、応仁の乱開戦のゴングとなった。ところが、残念ながら、御霊神社は夜は開けていなかった。鬱蒼とした森が残っていて戦場となった雰囲気はわずかながら残っていたけど。来年以降、昼間に行ってみようかな。

というわけで散々歩き回ってホテルの風呂で湯に使ったまま爆睡、気がついてベッドに潜り込んだのは何時だったのだろう?

12月1日の日記~松本・諏訪小旅行・その1

早朝のニュースで亀田大毅選手の会見を見たが、面白みのカケラもなかった。朝青龍関の謝罪会見は大爆笑だったけど。質問する方もなぁ…自分が審判を下す!みたいな気持ちがカラ回りしているみたいで滑稽…まぁ、報道する側は視聴率が稼げれば良いんだろうけど。

で、今日は松本~諏訪へ一泊の小旅行に出かけた。7人と大人数なので、車ではなく新宿から8時半発の特急あずさに乗った。特急電車で城を見に行くなんて初めてだ。

11時半に松本駅着。やはり関東とは一段寒さが違う。とりあえず松本城を目指しつつ、街をぶらぶらしながら昼食を食べる蕎麦屋探し。結局「こばやし」という蕎麦屋に入った。店内では三人もの人が蕎麦を打っている。馬刺しに天ぷら盛り合わせ、蕎麦を注文して大満足。

この日の大目標である松本城は大河ドラマの影響で相当混んでいるのかと思っていたが、そうでもなかった。過去に天守閣の登り口が大行列を成していたこともあったので意外…考えてみれば12月ともなれば並んで待つには寒いしね。

天守閣は年長組も含めて、何とか皆で最上階へ登った。以前、冷たい風が吹き込んできて恐ろしく寒いと感じたこともあったが、今日は冬場の割には大丈夫だった。むしろ心地よい涼しさという感じで…これも温暖化の影響かね。

天守を降りてから、改めて周囲を廻りながら写真を撮影したりしたのだが、鯱鉾の上にトビが2羽止まっていた。城の周囲の堀の水の浄化も進んでおり、鯉や水鳥ばかりか、小魚まで透けて見えた。ああいうのは良いね。

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城をざっと見た後はコーヒーでも飲もうかと思ったが、時間がなかったので、事前に下諏訪で予約していた宿へ向かうことにした。時間もあるし、下諏訪駅から歩いてみたら、予想外に遠くて40分くらい歩くことになってしまい、母は大ブーイング。

宿に着いた直後のニュースで浦和の敗戦~鹿島の逆転優勝を知って言葉を失った。ここ一月ばかり勝利に見放されてるな…クラブワールドカップまでに何とかコンディションを取り戻してほしい。

宿の温泉は天然に偽りはないようで、肌にしみるし、男の自分でもお肌がみずみずしく感じられるほど。野球日本代表の試合を肴にしたビール&食事も美味しかった。

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フィギュアの安藤選手の3度にわたるコケっぷりには驚いた。練習のときにどこか怪我したのか?と思われるようなしぐさも見ていたから心配していたんだけど。武田選手の100万ドルの笑顔には参ったなぁ。惚れてしまいました。

フィギュア観戦後、コーヒーでも飲もうかと思い、1階のラウンジに行ってみたが、下手クソなカラオケ大会が行われていて閉口…従業員も辛いな。仕方ないので、夜の散歩も悪くはないかという事で、諏訪湖岸の夜景を楽しみつつ、モスバーガーまでブラリ。意外と…といってはなんだけど、お店は結構開いてるね。宴を終えたホテルのラウンジでは、酔っ払いが会社の同僚への愚痴をぶちまけていた。

12時過ぎには爆睡。

6月3日の日記~彦根城築城四百年

朝食はホテル内のバイキング。食堂が広くて、おかわりに行くのが億劫な感じだった。母は皿の上のものを全て食べていないのに下げられてちょっと不満げ。まぁ食事を出す側の思う壺ですな。

今年は彦根城が築城四百年という事で、観光客も随分と集まっている。普段は二の丸佐和口近くの駐車場に車を停めるのだが、この日はそこで観光物産展が開催されており、大手の普段はグランドに使われていると思われる臨時駐車場に車を入れて、これまた珍しく、大手橋から城内へ。

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6月2日の日記~安土城址へ墓参

ミートローフ"Bat Out Of Hell"シリーズ3作、マスタープラン、オーディオスレイヴの自作ベストを聴いた。

早朝、母、妹、叔母を連れて滋賀県に向けて出発。天正10(1582)年のこの日は本能寺の変が起きた日…つまり、織田信長の命日というわけで、その墓参りに出かけたのだ。私の場合、ここ15年ほどは毎年恒例のことだけど。

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4月30日の日記~石和Part.2

起きてすぐにコンビニへのど飴とちり紙を買いに出かけた。発熱こそないものの、自然と鼻水は垂れてくるし、くしゃみも連発で悲惨な有様。とりあえず温泉による湯治効果を祈りつつ、朝から温泉に浸かってみた。あまりに心地よくてしばしウトウト…。

またヤンキース負けたのか。昨日の勝ち方で勢いに乗るかと思ったが…なかなか上手くいかないな。

風邪を押して宿を出て勝沼へむかった。ワインショップの側に勝沼氏館跡が整備されているらしい。戦国期の武家屋敷の遺構が残っているのはなかなか貴重なのだ。案内板に従って停めた駐車場からやや離れたところに土塁らしきものが見える。近くでテントを張っていた方に確認して行ってみると、意外に大きな堀と土塁が出てきた。

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内部は遺構が整備されて公園になっていた。水路が巡っているのが印象的だった。建物跡は去年行った朝倉氏館などに比べると規模が小さいね。しかし、地方の国人領主の館跡を想像させる遺構は大いに参考になった。下の写真、手前が厩跡で、その奥に見えるのが館などの殿舎建築にあたる。

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ちなみに勝沼氏最後の当主信元は武田信玄の従兄弟にあたるが、謀反の嫌疑を受けて成敗されて滅亡している。このため、放置された館跡が残されたらしい。

その後、ワイナリーに立ち寄った。皆が試飲、購入する中、風邪っぴきの私はウロウロするだけ。鼻水の垂れるのは収まってきたけど、咽喉が相変わらずヒリヒリする。

ワインの買い物終了後に親戚と別れ、妹と母、それに私の三人になった。昼食後、近くにある大善寺へ向かった。山梨県で最も古い建築である薬師堂が国宝になっている。国道に出ると山の麓に大きな建物が見えてきた。

江戸期に再建された山門を潜って参道を登っていくと、桧皮葺の巨大な国宝薬師堂に着いた。想像以上の大きさだ。

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この寺は養老二(718)年の開基で、薬師堂は鎌倉時代末期、元寇を経た弘安九(1286)年に執権北条貞時によって建立されたという。つまり、築720年か…屋根の反りなどは、さほど大きくなく、豪快、華麗というより、落ち着いた風情を感じる建築だ。

ちなみに先ほど立ち寄った勝沼館の勝沼信元が信玄に打たれた際、信元の妻は出家して理慶尼と称して大善寺に入ったという。そして勝沼氏滅亡から約二十年を経た天正十(1582)年、勝沼氏を滅ぼした武田氏に滅亡の時が来た。織田軍に追われるようにやって来た武田勝頼主従が逃げる途中、大善寺に立ち寄り一夜を過ごして、再起を祈ったのだという。その後、逃亡先にしていた郡内領主、小山田信茂に裏切られ、進退窮まった勝頼主従は勝沼から程近い天目山田野で自害して滅亡した。理慶尼はこうした武田家滅亡の様子を「理慶尼記」に書きまとめて残している。

当時の武田勝頼や理慶尼らの思いを馳せながら、今に残る薬師堂を外から眺め、内部の十二神将をはじめとする仏像群を拝観して、今回の史跡めぐりは終了。

帰りはどうせ渋滞だろうし、高速道路を使わず家路についた。実家に母と妹を送り届け、割と早めに帰宅。風邪を治すため、とっとと寝た。

CDはフィリップ・セイス"Silver Wheel Of Stars"、ポーキュパイン・ツリー"Fear Of A Blind Planet"、エアロスミス"Honkin' On Bobo"、ペイン・オヴ・サルベイション"Scarsick"、ミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of HellⅡ"、"Bat Out Of HellⅢ"を聴いた。
風邪で朦朧としていたけど、ペイン・オヴ・サルベイションがカッコ良かったね。

4月29日の日記~石和Part.1

昨晩から実家のソファでそのまま寝ていたが、妻の風邪が移っていたらしく、更に昨晩の寒さが祟って嫌な鼻水、くしゃみ、咽喉の痛みが出た。しかし、今日は石和の温泉で親戚の集まりついでに山梨県内の史跡探訪に行こうと決めていたので、無理して出発。
母親は前日から石和に行っており、父親は背中の腫れ物を切除した関係で温泉に駄目出しが出て、留守番ということで、妹を連れて行った。

出掛けにヤンキースの井川投手が先発投手の負傷降板で途中登板して好投、勝利投手になりそうだとの報に接した。目出度い!これでチームの調子も上がればいいけど。

ところで、そもそも私はGWやお盆休みといった連休時にドライブに行くのは大嫌いなのだが、案の定、中央道は渋滞。覚悟はしていたが、ETCレーンが一番混んでいる状態にはさすがに立腹した。まぁ、今日は快晴で富士山の眺めが非常に良いのが救いではあった。せっかくだからと双葉SAで車を降り、展望台で妹が富士山を記念撮影。私は見知らぬ家族に頼まれて、やはり富士山を背景に記念撮影をしてあげた。SLAYERのTシャツを着ていても、私からはフレンドリーな人柄がにじみ出るようだ。

昼食は山梨に来たら、とりあえずほうとうを食べたくなるもんだろう、ということで韮崎ICを下りてすぐ、「信玄餅」で有名な桔梗屋が運営している食事処「水琴茶堂」でほうとうを食べた。けんちん汁がおかわりし放題とは珍しい。今日は暖かかったので、汗が出たけど、美味しかった。自分の体調が…くしゃみ、鼻水が止まらないのには参ったけど。店を出る際、親戚へのお土産に「幻のコロッケ」も購入した。

さて、今回の史跡探訪の最初の地は武田八幡神社である。鎌倉時代、甲斐の国、つまり現在の山梨県の守護に任じられた甲斐武田氏初代、武田信義が氏神とした神社で、現在の社殿は武田晴信(信玄)による再建という事なので、行ってみた。
車で遠目に無骨な二の鳥居が見え「石鳥居か?」と思って車を降りてみると木製で当初の朱塗りが禿げてしまったものらしい。神額なぞは文字が読めないほど劣化している。案内板を読むと武田信虎(信玄の父親)が建て、江戸期に修復だか再建したという事になっていた。
ここから、なだらかな坂を上って行くと一の鳥居、本殿に着く。実際はここにも駐車場があったけど。驚いたのは一の鳥居の大きさで、遠目にはかなりの大きさと思って、いざ、たどり着いてみると高さ2m前後の小ぶりな石鳥居だった。しかも、鳥居を潜るというより、その脇を抜けるように通路、石段が配されている。わざわざ石垣も含めて重要文化財に指定されているので、当時からこうだったのだろう。珍しい参拝ルートだ。

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そして両脇の大木がまた圧巻だ。左側の巨木の洞からは冷たい空気が吹き出ていて、「風邪が治るかもしれない」と顔を近づけて思い切り息を吸っておいた。この木、信玄も見上げたんだろうなぁ…

信玄が再建したという社殿も、室町時代の武家が関わったと思わせる豪快な建築だ。木鼻や懸魚が妙にデカイのだ。鬼瓦もリアルに恐ろしげで、今にも動き出しそうだった。

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すぐ近くに白山城の城址があるとの案内があり、動物除けの高圧電流を巡らせた金網内に侵入したものの、道がよくわからない上、時間もないので、今回は断念した。鼻水とくしゃみも止まらないし。

しかし、そんな体調にもめげず、今度は新府城へ行った。織田信長に滅ぼされた武田家最後の当主、勝頼によって築かれた城で、信玄の時代の甲府の躑躅が崎館(現武田神社)とは規模も桁違いに大きな城郭だ。ただし、完成を前にして織田の大軍の侵入を許し、勝頼は城を捨てることを余儀なくされるのだが。

私は過去に二度、この城址を訪れているのだが、今回は城の北方から侵入を試みた。
この城、西側は釜無川に面した目の回るような断崖絶壁で、残る三方を堀で囲んである。これらのうち、北、東はやはり堀から城内が急斜面で、北西部分に小さな搦め手口を設け、南方の比較的なだらかな方向に大手口を開き、防備施設を築いてある。
北方には堀に突き出るように二つの出構と呼ばれる陣地のような施設があり、このうちの一つから城址に入る。山道を登れば程なく本丸直下の帯郭に出る。こうして実際に歩くと、新府城は北方の防御があまりにも脆弱である事が実感できる。
本丸跡には勝頼はじめ、滅亡した武田一族、家臣団を祀ってある。ここから南へ大手方面に進むと土塁、堀で作られた堅固な防御施設を見ることが出来る。特に二重の馬出しで囲まれた大手口は必見だ。ここは甲斐武田氏独自の防御施設、丸馬出しと三日月堀が残る貴重な城址なのだ。もちろん、松代や松本、高遠など、かつて武田氏が築いた城址にもこうした遺構はあったのだが、明治維新以降の開発で、堀から突き出した馬出しなどというものは無用の長物として次々と破壊され、埋め立てられてしまったのだ。その点、平地でなく山中に築かれた新府城は破壊を逃れたわけだ。

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巨大なので、全体像を上手く撮影できなかったが、右手に土塁が築かれ、その左の土塁に沿った窪みが三日月堀です。江戸期遺構、石垣による枡形形式の防御施設が主流となったわけだが、これは石垣で曲線状の塁壁を築くのには高い技術が必要だから仕方がない。だが、屈曲が出来れば死角が生まれやすく、それをカヴァーするために人数も多く必要になるというリスクもある。その点、土で作る戦国の城郭では半円形の土塁と堀の組み合わせを手軽に築く事によって、最小限の人数で広い視野を確保して門を守り、かつ出撃路を確保出来たのだ。こうした施設を考案したのが、信玄の時代の甲斐武田氏なのである。

その後、もと来た道を戻りつつ、井戸郭と搦め手口を見に行くと、大手口とは逆に随分と小奇麗に遺構が整備されていた。下は搦め手の虎口。見事に土塁で囲まれている。

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長大な土塁などを嬉々として撮影していると妹に母からメールが。「バーベキューはじまるよ」って…まだ5時やんけ。

気が済むまで写真を撮りまくってから石和の宿に着いたのは何時だったかな?親戚一同、既に酒と温泉にまみれて潰れてました…

宿に着いてから風邪が本格化してきたようで、咽喉が痛い…食後、温泉に入る順番を待っていたら眠ってしまい、深夜2時頃に焼けるような咽喉の痛みで目を覚ましたら皆爆睡中だった。一人温泉に浸かり、咽喉の痛みを和らげるものを台所で探すが、飴の類は皆無。仕方なく、ポカリスエットでチビチビ咽喉を濡らしながら一晩を過ごした。

CDはミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of Hell Ⅱ"、"Bat Out Of Hell Ⅲ"、セリオン"Gothic Kabbalah"、マノウォー"Gods Of War"を聴いた。マノウォーはちょっとオーケストラに頼り過ぎじゃないかな。

1月14日の日記~江戸城展

友人のカネゴン氏と江戸東京博物館へ「江戸城展」を見に行った。

この時期に何故、江戸城を取り上げるのかと思っていたが、どうもドラマの「大奥」が絡んでいるようだ。

自分としては太田道灌時代の江戸城に興味があったのだが、その辺の展示は少なかった。やっぱり判っていない事が多いのか…想像ジオラマとかがあるのかと思っていたけど、なかった。道灌の書状は興味深かった。書体が…直筆なのかわからないが、随分と流麗だった。

他にも太閤分銅金や、江戸の大名達の生活を彷彿とさせる史料は興味深かった。

CGによる「ヴァーチャル江戸城」を見たが、御殿などの建造物主体で、城郭としての構造にはあまり触れていなかったので、自分的にはイマイチだった。「大奥」ファンには楽しめたんじゃないかな?

それにしても、思いの他、混んでいた。

博物館を見た後、ちゃんこ鍋を食べて帰宅。

11月23日の日記~仏像展~

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上野の東京国立博物館へ「仏像~一木にこめられた祈り」展を見に行った。私は仏像マニアではないが、展示の大半が全国からつめた国宝か重文という凄まじい企画展であるし、行ってみた。母と妹なぞは「芸術新潮」で予習まで済ませていた。

博物館に向かう電車はそこそこ空いていたので、日程的に良い選択だったのかもと思いながら、現地に着いたら大間違いで入場規制が敷かれていた。幸い昼食時だったので、さほどの待ちぼうけも食らわず入れたけど。

いわゆる一本の木材から削りだされた仏像に焦点を当てた展示なので、大仏さんのようなものはなく、多くは立像…特に十一面観音が多い。こういう技法は奈良から平安時代が全盛であったらしいが、表情は様々だ。

宣伝ポスターやチラシに使用されている国宝、十一面観音菩薩立像(滋賀・向源寺)はさすがに放たれるオーラが違う。写真以上に現物から放たれる美しさや色気まで感じさせる神々しさに衝撃を受け、しばし呆然とさせられた。

「鉈彫」という技法もはじめて知った。模様のように鉈で削った跡をそのまま残しておく技法で、主に東国で流行ったらしい。圧巻は宝誌和尚立像(京都・西住寺)だ。顔が裂けた中から観音菩薩の顔が現れる瞬間を像にしたもので、そのインパクトたるや当時の庶民からすれば、「エクソシスト」級であったろう。

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展示の後半は江戸時代の円空と木喰による独特の仏像がズラリ。これって信仰というより大衆芸術というか…もちろん、当時の庶民の信仰を支えたのは確かだろうが、ピカソのような芸術の天才の技と比べるべきものだと思った。見ていて思わず微笑んでしまうね。

内面をリフレッシュさせてくれた良い企画展でした。

夜は池袋の「膳丸」で飲み食いして帰宅。

その後、WWE「スマックダウン」を見たが、特に波乱はなかった。ブギーマンは面白かったけど。



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