私を登録 by BlogPeople


楽天で探す
楽天市場










アフィリエイトならリンクシェア
みんなが気になるあなたのブログ レビューブログ




Google

Yahoo!ブックマークに登録

メイン

12月15日の日記:坂本~安土探訪

前日夜に滋賀県に向けて出発したわけだが、5時前に大津SA着。ここで少し休んでから、高速を下りて大津市外を抜けて坂本城址へ。城址公園の駐車場に車を止めて夜明けを待った。しかし、思ったより暖かいな…関東の方が寒いや。

程なく日が出てきたので、城址探訪開始。写真は琵琶湖での夜明け。かつて、この地にあった坂本城に在城していた明智光秀も、この光景を眺めたんだろうなぁ…

111215-02.jpg

城址公園には明智光秀の像も立っているが、正直、イマイチな出来だと思った。大きな埴輪みたい…

111215-01.jpg

公園内には坂本城の石垣の名残と思われる石積みがあるが、一部はコンクリで固めてあったりして、当時の石垣であるのか良くわからない。公園内をブラブラしつつ、注意書きを読んでみると、どうやら、この公園が坂本城の中枢にあたるわけではないらしい。「300m北」と書いてあるので、とりあえず公園を出て国道161号線にそって北に向かった。

途中で国道を外れたところにある、戦前に設置された坂本城址の石碑を撮影した。Googleマップで坂本城址を検索すると、ここになるんだよね。石碑と案内板以外、何もないんだけど。

111215-03.jpg

で、Googleマップを再び開いて、周辺の地図を調べてみると『明智塚』なる表記があった。これは…と思って行って見ると、坂本城落城の後、城内から収容された遺体、遺品の類を埋めた場所だという。という事はこの辺りが当時の坂本城の天守閣などがあった場所なのか?更に周囲を歩くと、明智塚から国道を隔てたところに『坂本城本丸跡』の石碑があった。どうやら、間違いないようだ。下の写真が明智塚。

111215-04.jpg

坂本城は、明智光秀が山崎合戦で敗れて小栗栖で討たれた際には、重臣の明智秀満が守備していたのだが、光秀の敗死を悟った秀満は城内の金品財宝の類に目録を添えて、城を包囲する羽柴秀吉方に引き渡した後、城に火を放ち、一族自害して果てたという。こうした潔い最期が、敵方からも賞賛されたというので、戦後、戦死者に対して丁重な扱いがなされた事が考えられる。その証左が明智塚なのかもしれない。

坂本周辺の琵琶湖の岸部には、坂本城の石垣の名残を見る事が出来る。特に琵琶湖が渇水期になると、当時の石垣が湖底から姿を現すらしいのだが、残念ながら、この日は見る事が出来ず…

下の写真はとある民家の脇から琵琶湖の岸に出てみたところだが、石積み自体は後世の修築と思われるが、石材は坂本城のものではないかと思う。

111215-05.jpg

せっかく坂本城址まで来たんだし…ということで、次に行ったのが西教寺。ここには明智光秀とその一族の墓がある。3度目だか4度目の来訪になるけれど、お参りに立ち寄った。写真は上手く撮れなかったけれど、境内から臨む坂本の町並み、琵琶湖に朝日が差し込む様子は絶景だった。

111215-06.jpg

西教寺には、坂本城の城門が総門として使われているのだが、もう一つ、坂本城の城門が使われているとされているのが、聖衆来迎寺で、初めて訪ねてみたのだが…肝心の門が修復工事中だった(苦笑)。

111215-07.jpg

ただし、境内に織田信長の重臣の一人、森可成の墓所があり、こちらをお参りして来た。可成は本能寺の変から十年以上前にこの辺りで、浅井、朝倉連合軍と交戦して討死しているのだ。可成を弔ったためか、かの比叡山焼き討ちの際、この寺は織田軍の攻撃を受けなかったらしい。西教寺は焼け落ちたんだけど、光秀が復興に協力してくれたそうで、今日、光秀関係の遺品や墓所が遺されているというわけ。

111215-08.jpg


ここで坂本探訪は終了!で、時間は10時頃。結構歩いたからなぁ…。LAWSONで遅めの朝食を買って安土へ向かった。途中で膳所城址の脇を通った。ここもまだ、行った事ないな…来年以降、行ってみようかな。

滋賀県内を車で移動する場合、国道を使うより、脇に入った方が数倍快適なドライブが楽しめる。田畑や牛舎、川や湖の間をメタルかけながら駆け抜ける至福の一時…。

昼前に安土に到着。最初に博物館のあたりに寄ってから城址へ。最初は通常の登城路の東を散策して、昼食を食べに行ってまた城址に戻る…というスケジュールを考えていたのだが、駐車場料金を新たに¥500徴収するという表示を見かけて予定を変更、先に昼食を取ってから、まとめて城内を散策することにした。

昼食は安土の味葦庵にて近江牛トロトロカレーを食べた。前に来たときは、おばんざいバイキングだったが、今はバイキングと定食を交互にやっているらしい。しかし、凄い数の小鉢…

111215-09.jpg

カレーはまさに牛肉!という味で、思っていた以上にスパイシーだった。要するに予想以上に好みの味だった。


おなか一杯になったところで再び安土城址へ。駐車場料金払って、通常の登城路から外れて東側の内堀の方へ廻った。夏場は草木が生い茂ってマムシやスズメバチなどもいるので、危険極まりないところだが、冬場は安心して歩ける。昨年だか、二年前にもこの辺りには行ったんだけども、危なくて途中で引き返したんだよね…

内堀で野生のカワセミを初めて見た。飛んでいると、水色に光り輝くように見えるのね。びっくりしたけれども、美しいものを見る事が出来て、得した気分だ。写真は…速くて無理でした。

…で、内堀沿いに歩いていくと弘法大師云々…と書かれたボロボロの幟が見えてきた。松源院なる寺らしい。安土城を管理する総見寺とは無関係なのか…?案内板にはここから登っても天主跡などには行けないとか書いてあったが、安土城の遺構である事には違いあるまいと入ってみた。寺は真新しい洗濯物などがあったので、人の出入りはあるようだが、この日は無人だったように思う。

ほどなく、巨大な石垣に到達。

111215-10.jpg

案内用の石碑に「東門」と彫ってある。大正時代の発掘整備の際のものだ。確かに門は折れ曲がったルートになっていて、安土城の遺構に違いない。で、この門を抜けると結構な平地に出る。当時、御茶屋平と呼ばれていたらしい。驚いたのはこんな奇妙なものが築かれていた事で…

111215-11.jpg

恐らく、安土城内で石垣に転用されていた墓石、仏石の類を集めてコンクリで固めたのだろう。更に四国八十八箇所巡りを模して江戸期、文化、文政、安政といった時期の彫られた仏石が山道沿いに設置されている。どうも大正時代に整備されたもののようだが…まぁ、この時期じゃないと入れないだろうな。

111215-12.jpg

八十八箇所グルリと廻ってみたが、安土城関連の遺構で最も目を引いたのが、この石垣だった。上は馬場平と呼ばれている広大な平地なのだが、5m余の石垣を三段築いてある。今は樹木に覆われているが、当時は城下を行き交う人々の目を引いたんじゃないかな?

ただし、この辺りは人気が全くないので、注意が必要だ。特に夏場は危ないと思う。

ここで一旦山を下りて、現在の正式な見学路である大手道を通り過ぎて、今度は西側の百々橋口に向かってみた。ここ何年か、ここまで足を運ぶことはなかったのだが、案の定、新しく整備されていた。

111215-13.jpg

新たな城門跡という事で、比較的小規模な門があったらしい。このため、城の防御施設が、これらの山際よりも更に広がっていたのでは?というような事が書かれていた。写真左側の石垣の上には監視用の物見櫓があったと考えられるそうだ。位置的に大手門と百々橋門の両方を見渡せるという、物見櫓を立てるのには好都合なのだ。

…というわけで、城の中枢に入るまでに散々歩き回ったが、ここでようやく、入場料払って大手道に入った。まぁ、この辺は毎年来ているので、サクサク歩いて…途中、宅配便のおじさんから昔話を教えてもらったり、初めて来たと思しき女性に声をかけたりと気ままに散策して山頂天主台跡に到着。

111215-14.jpg

天主台から北への眺望はいつもと変わらないけれど、二の丸辺りから樹木が伐採されていて、かなり見通しが良くなった。発掘整備をまた行うのかもしれない。天主台から信長公の墓もこんなに良く見える。

111215-15.jpg


これで、本日の城廻は終了!帰りは彦根に立ち寄ってスーパーで買い物。地方に行ったらお土産屋も良いけれど、地元の人々が行くスーパーを覗くと楽しいんだよね。この辺りならではのものはないかとウロウロ…

111215-17.jpg

物価はあまり変わらないか。野菜は関東の方が安いかもね。

夕食は彦根駅前の鉄板焼き屋『まさ味』へ。滋賀のグルメというと近江牛や湖魚、鮒鮨といったものが有名だけれども、何千円も払って近江牛食べて得られる満足感と同等のものが、この店では¥220で味わえるのだ。

111215-16.jpg

この鳥皮が最高に美味しいのだ。『鉄板一筋』のTシャツ来たお店のスタッフが調理する姿を見ているだけで楽しい。写真を撮った際に、

「母親がここの鳥皮が忘れられないというもんで…」

と声をかけると、先日も同じようなお客様がいて、親戚一同引き連れて再来店頂きまして…との事。やっぱり…。自分は他に出し巻き卵とお好み焼きを食べて大満足。車なので、ビールが飲めないのが残念だったが、来年あたり泊りがけで来るとしよう。


…というわけで、一日中、近江路を楽しんで帰路に着きました。今度は東北自動車道が無料の内に奥州へ足を伸ばすかな。


11月9日の日記:丹波~安土へ

A.M.3:00に起床…修学旅行生みたいだな。昨夜、買い置きしながら飲み食いしなかったビール、ワインやつまみを飲み食いして、お風呂に軽く浸かってから、朝の散歩に出かけた。

まずは下御霊神社へ。以前、応仁の乱の開戦地という事で、上御霊神社を訪れた事があったのだが、宿の近くにそれと対を成す下御霊神社がある事を知って立ち寄ってみた次第。古い由来のある神社なのだが、現在地に移ったのは豊臣秀吉による洛中の区画整理によるそうだ。

111109-4.jpg

朱塗りの鳥居と京都御所の門を移築したとされる表門は立派だが、境内の本殿などはかなり荒れ気味だ。敷地も上御霊社よりこじんまりしているし…修復の募金を募っていたけれど、確かにこれは早急に直した方が良さそう。観光客も上御霊社に行ってしまうだろうし、難しいよね。

ちなみにここは、井戸で地下水を汲み上げているそうで、その水が美味しいと評判との事。自分もお清めついでに口にしたが、確かにすっきりした美味しい水だった。京都観光の機会があれば、立ち寄ってみる事をオススメします。

下御霊神社からさらに三条大橋付近までテクテク歩く。目的は豊臣秀次とその一族の墓所である瑞泉寺。事前に地図で確認して橋のたもとにまで来たもののイマイチ場所がわからず、ビルの玄関先を掃除されているおじさんに「瑞泉寺ってどこですか?」と聞くと「瑞泉寺?知らないなぁ…」と言われた。くじけず「豊臣秀次公のお墓なんですけど…」と聞いてみると、「秀次?あぁ!そこに看板あるよ」と教えてくれた。

当時はこの付近は三条河原の河川敷で、太閤豊臣秀吉の命で高野山で切腹を命じられた豊臣秀次の妻女が、ここで惨殺されて埋められ、その上には秀次の首を収めた石櫃が据えられ、「畜生塚」「殺生塚」などと呼ばれていたそうだ。後に河川敷の開発に際して、京都の豪商角倉了以が荒れていた塚を墓所として整備し、今日に至るのだが、秀次の墓には当時の塚に残されていた石櫃がそのまま採用されている。

111109-5.jpg

整備されて手厚く供養されているが、その由緒を知っているせいもあるのか、気分の滅入る場所だった。

散歩を終えて朝食は新々堂にて。最近、毎年上洛の折にはここで朝食をとって、お土産まで調達している。今日は食パンに黒唐辛子のラスク、シュトーレンなどを購入した。


食後、とっとと宿を出発して一路丹波方面へ。目的は篠山城。昔、一度来た事があるのだが、二の丸御殿復元前だったので、一度見に行きたかったのだ。

京都から篠山に行くには、高速道路か一般道路かで調べてみたのだが、どうも時間は変わらないようなので、一般道をチョイス、沓掛、老の坂と本能寺の変での明智光秀軍の進路を逆に進む形で亀岡へ。ここまでは道路が渋滞気味でうんざりしたが、その先は快適ドライブで丹波路を満喫出来た。平和だなぁ…

そして篠山城に到着、それまでののどかな田園風景から巨大な堀や石垣が現れたばかりか、観光バスなどが忽然と出入りする様子に母と妹は驚いていた。これらの観光客の多くは大阪、兵庫方面から高速道路を使ってきたんだろうね。

篠山城は、徳川幕府が大坂城の豊臣秀頼と西国の有力外様大名との連携を防ぐ目的で築かれた大城郭で、禄高五万石には相応しからぬ威容を誇っている。天守閣は建造されなかったのだが、二の丸に築かれた御殿は京都二条城のそれに匹敵する立派なもので、明治維新後も保存されて、国宝に指定されていたのだが、戦時中に失火により焼失してしまった。それが最近になって木造で復元されたのだ。

111109-6.jpg

111109-7.jpg

復元された御殿内部では、江戸時代の篠山藩の移り変わりを解説、又、売店がなかなか興味深いグッズが多かった。関ヶ原合戦図屏風カレンダー(双六付)とか…自分は「2012戦国手帳」をゲット。

111109-1.jpg

母は京都でも箸置きを探していたのだが、丹波焼きが気に入ったらしく、ここで購入していた。

しかし、昔来たときとは町の景観が一変したなぁ…。あの頃は武家屋敷街も閑散としていて、保存を危ぶむ気がしたことを覚えているが、市街地も活気がある。こんなボタン鍋の看板なんかなかったと思う。(帰宅後、古い写真を探してみたが、'96年に探訪している…15年ぶりだったのだ)

111109-8.jpg

昼食は丹波牛と地鶏を食べた。更に物産館でお土産を物色。丹波の黒豆のソフトクリームや、丹波栗をふんだんに盛り込んだ金つばの美味しさには参りました。イノシシ肉は食べなかったけれど、レトルトカレーを買ってみた。パッケージには篠山のゆるキャラ「まるいの」君がフィーチャーされている。

111109-3.jpg

かくして、帰途に着いたわけだが…またしても安土に立ち寄る時間がない。取り合えず、城址には行ってみたが、もう真っ暗だ…というわけで、信長公の墓参りは諦めざるを得なかった。日を改めて又来ようかな…大手門の辺り、新たに発掘されているみたいだったし。


夕食は、彦根で知らぬ間にB級グルメで知られるようになった「チャンポン亭」のチャンポン麺を食べた。昨日、多賀SAで支店を見かけて興味持ったんだよね。妹も友人から勧められたというし…。自分は辛いのを食べたけれど、具沢山でおなか一杯になった。

111109-9.jpg

ただし、彦根のB級グルメといえば、鉄板焼きの「まさ味」が最強だと思うが…あれはお店でしか味わえないか。味にうるさい母が「あそこの鳥皮焼きは一生忘れない」という程、旨くてて安いのだ。


その後の帰路は早起きが祟ったのか、猛烈な睡魔に襲われ、遅々として進まず、こんなものも買って飲んでみたが、効果なく、翌朝までかかった。

111109-2.jpg

こんなに車の運転で疲れたのは久しぶりだった。


11月8日の日記:上洛

午前中、母と妹を拾って一路西へ。毎年6月に行っている滋賀県安土城への織田信長公の墓参りが遅れに遅れ、この時期になってしまいました。

宿は京都にとってあり、途中、安土に寄って墓参りをしつつ上洛…と予定していたのだが、出発時間がいつもより遅かったため、安土に滋賀に入った頃は既に夕方だった。今は安土城址も入場料を払って入らなければならず、入城も17時までとの事で、時間がない…という事で、この日は直接上洛する事にした。

写真は途中、多賀SAで小腹を満たす為に購入したもの。たこ焼きやらカレーパンやら、ジャンクフードをたらふく食べた。

111108-1.jpg

このコーヒーは品名にインパクトがあったし、初めて見たので、つい買ってしまったが、静岡のメーカーのものだった。薄味というか、すっきりした感じだった。

111108-2.jpg


入京後、宿に入ってすぐに出かけて、東山高台寺と、その塔頭圓徳院に行き、ライトアップされた庭園などを拝観した。高台寺には、これまで二回ほど、訪れた事があるが、夜間は初めてだ。

方丈前の庭は臥龍を模したレイアウトが瓦で成されていて、モダンというか、アニメ、漫画的な雰囲気が強く、興味深い趣向だと思った。

111108-3.jpg

そこから中門を経た奥には開山堂、豊臣秀吉の正妻おねの眠る霊屋に、傘亭や時雨亭といった茶室があるのだが、それらの前に広がる庭園の美しさには言葉を失った。これらの遺構の多くは伏見城からの移築らしいのだが、その幻想的な景観を眺めながら、これらが秀吉とおね夫妻との思い出にちなんだものと考えると、様々なことが想像され、何やら涙腺まで緩んできた。

111108-4.jpg

竹やぶもライトアップされていたが、これがなかなか美しかった。たまたま、月ともリンクしていたしね。

111108-5.jpg

高台寺の後は、それに付属した掌美術館に寄ってみた。浅野長政による、おねに宛てた長文の書状が展示されており、内容も徳川政権とおね双方に気遣う長政の心中が察せられるもので印象的だった。


その後に圓徳院へ行った。厳密には、おねが隠棲したのは、高台寺ではなく、この圓徳院だったらしい。「圓徳院」とは、おねの甥にあたる木下利房の法名で、木下家の邸、墓所が高台寺の塔頭に取り込まれて、今日に至るということのようだ。当初は伏見城の化粧御殿を移築していたそうだが、残念ながら焼失、今は庭園が残されている。巨石を配したいかにも戦国末期、安土桃山時代の面影の残る庭園だった。

111108-6.jpg

以上、三ヶ所を廻っただけであったが、たっぷり時間をかけて廻ったようで、高台寺も閉館間近で、夕食を取る場所も限られて来ており、四条の居酒屋で食事を取った。平日のこの時間となると、風俗の呼び込みとかも凄いんだなぁ…我々が行った居酒屋も呼び込みのにーちゃんに妹が声をかけられて決めたんだけど。

不思議だったのは、頼んでもいないのに、いきなりすき焼きの鍋が出てきた事。しかも、メニューにも載ってないし…どういう間違いだったんだろう?

ホテルに戻る途中、コンビニでビールとつまみを買ったものの、自分は辿りつくなり爆睡…余り寝てなかったからなぁ…。


9月2日の日記:読書会&根津美術館「名物刀剣」展

今朝は「何でも読書会」に参加すべく、渋谷へ行った。主催者の@tomotonさんから「痩せましたね」と心配そうに言われた。

「ダイエットに成功しただけで、健康ですよ」と答えたが、後でトイレの鏡に映る自分を見ると少々やつれ気味に見えた。髪の毛も野ざらしな感じで、かなり怪しい風体だ。これは心配されるわなぁ…。

自分は最近、妹に借りて読んだ「永遠の0」や年表ブログネタの「信長の天下所司代~筆頭吏僚村井貞勝」から、OZZY OSBOURNEのボックスセットまで持って行った。「永遠の0」以外は、マニア向けな世界…

Y原さんは映画「LIFE~命をつなぐ物語」を見に行ったそうだ。野生動物を撮影した作品だけれども、撮影された動物達よりも「どうやって撮影したのか?」という事の方が興味深かったらしい。自分は最近、映画館行ってないなぁ。


読書会を終えてから、歩いて根津美術館へ。数日前に友人のカネゴンから「名物刀剣」展を開催していると教えられたもので…多分、根津美術館を訪ねるのは初めてだと思うけど。

庭園も散策したが、いくつかの灯篭、石碑で刻印が意図的に削られて判読不能となっているのはショッキングだった。まさかに収集の際にやったわけではないだろうが、残念だ。

肝心の「名物刀剣」の展示は刀剣が実用的な武器としてではなく、名物、宝物へと価値観が変遷していく歴史を軸にした構成だった。

昔、東京国立博物館で日本刀の特別展を開催した事があって…展示品の多くは、あれと被っていた。調べてみたら、'97年の秋に「日本のかたな」と題されて開催されていて、当時の図録も所持している。もう10年以上も前の事か…ただ、あの頃とは自分の持つ知識、情報量が違うので、展示品を見て受ける印象もまた違うわけで、大いに楽しめた。

ミュージアムショップでは、またしても図録を購入。最初は買う気はなかったのだが、見本を覗いてみたら、巻末に戦国末期から江戸期の名物帖と、そこに記載された名物刀剣の変遷が表にまとめられていて、「これは¥2,000の価値あり」と判断した次第。'97年の図録と比較して読んでみよっと。


帰宅後、録画しておいた「24~ファイナル・シーズン」を見た。大体中盤で大きく、話が展開するのだが、今回が逸れに当たったのかな?あちこちで自体が急展開していた。


巨人vsヤクルトの首位攻防戦はヤクルトが逆転して先勝した。2点先制した際に「5回で試合成立後に台風でコールド逃げ出来れば…」などと邪悪な事を口走ったせいか、5回に追いつかれ、逆転を許す体たらく…残る2戦を何とか勝ち越してね。


8月10日の日記:空海と密教美術展

国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」を見るため、午前中から上野へ出かけた。

午前中はヨドバシカメラでAV/PC関連のアクセサリーを眺めつつ、ケーブルを購入した。

昼過ぎに母と妹と待ち合わせて丸井でパスタ食べてから博物館へ。しかし凄まじい暑さだ。

281633_246698862020096_162283607128289_819064_827709_s.jpg

以前、東寺に二、三度足を運んで、立体、仏像曼荼羅を拝見しているが、今回は東寺講堂で見ることができる正面以外の角度からも見ることが出来て楽しめた。

他に興味深かったのは、密教の法具などを収納する箱などの豪華な装飾、仕様で、こういうものは中世以降は武家や権力者の所持品に多く見られるわけだけれども、奈良~平安時代は仏僧や寺社に、こうしたものを作る力があったように思えた事かな。


拝観後は、実家で食事とお酒飲みながら、サッカー日本代表の試合を見た。韓国相手にこんな試合内容になるとは、どうエコ贔屓しても予想出来なかったね。ビックリした。

…で、母と「LOST」見てから寝た。シーズン3Vol.7冒頭のエピソードは後々、大きな火種になるのか?これまでと全く関係ないエピソードで「?」という感じだった。


2月22日の日記

シン・リジィ"Live And Dangerous"、"BBC Live"、ゲイリー・ムーア"Wild Frontier"を聴いた。


スポーツニュースで見たが、松井(秀)選手は調子が良さそうだ。膝にテーピングとかしてなかったし。今年は去年より打つんじゃないかな?


昼間、川越をウロウロ…今日はちょっと遠くまで歩いて、川越夜戦の跡に行ってみた。

110222.jpg

東明寺というお寺が古戦場跡にあたるのだが…恐らく、関東管領と古河公方の連合軍が寺を本陣に据えていたのだろう。川越城址の北西に位置していて、北に新河岸川が流れる位置にあるので、北条方は新河岸川に沿って進んで背後に回りこんで奇襲をかけたのだと思った。ただ、背後に回りこんだのは一部で、主力は城兵と相呼応して正面から攻め寄せたのだろう。

ところで、このお寺は参道に沿って建つマンションと一悶着あったのかな?興味深い看板があった。撮影はしなかったけど。

更に歩いて氷川神社へ寄ってみた。車で通ったことはあったが、参拝するのは初めてだ。大鳥居には勝海舟の書がかけられてある。

110222-2.jpg

赤坂の氷川神社にも勝海舟が足を運んだような記述を見た気がするが、関係が深かったのかな?

連合艦隊司令長官山本五十六も訪れたという護国神社を見て、「古い建築はないのかな?」と思いながら、本堂を柵の隙間から覗いてビックリ!幕末の天保期の建築だそうだが、凄い彫刻だ。ほぼ前面に渡って彫刻で埋め尽くされている。「プリズンブレイク」のM・スコフィールドのようだ…ってあれは刺青か…。

110222-3.jpg

しかし、これは普通に凄いな。一見の価値がある。

本殿裏にあるのが御神木の欅で、樹齢約六百年…幹が鋼のように硬い。古木を触るのが趣味の母に見せてやりたい。この木は川越の夜戦の目撃者という事になるね。上杉、あるいは北条方の将兵がこの木を見上げたり、武具を立てかけたり、身を寄せたりしていたのかもしれない…妄想が無限に広がるわ。

110222-4.jpg

本殿脇の大量の絵馬を見つつ、朱塗りの八坂神社なる建築に眼が止まった。葵の紋が打たれているし、東照宮に似た権現造りの風情が見て取れる。東照宮は川越にもあるが、それは喜多院近くにあって、これは関係ないはず…案内板を読むと江戸城二の丸内にあった東照宮を明治維新後に移築したものらしい。ま、江戸城は何度か火災で燃えているので、江戸期に再建された可能性もあるが、かつての江戸城の建築がこんなお手軽に見られるとは…凄いな、川越氷川神社。

110222-5.jpg

…というわけで、大満足の川越散歩だったが、クタクタになって帰宅して、夕方前に早くも爆睡、結局夜半に仕事する羽目になりました。


最近「Lie To Me」にはまってる。現地ではシーズン3で終了するみたいだけど。

続きを読む "2月22日の日記" »


2月7日の日記:ゲイリー・ムーア死去

昨日来実家に泊まっていた。

早朝、ちびた氏からメールが到来。「何だろう?」と開いてみると「ゲイリー・ムーアが亡くなった」という知らせだった。信じられないような話で思考回路停止。実感が湧かないまま、オフィシャルサイトなどを巡るとどうやら事実らしい。

自分はゲイリー・ムーアというギタリストは、ハード・ロックを弾かせたら最高のギタリストだとずっと思っていた。'90年代以降、ブルーズに路線変更して自分の好みからは、少し外れたが、それでも彼が最高の存在だと思っていたし、いつかまたハード・ロックをプレイする事もあるだろうと気長に構えていた。

結局そのまま、20年ばかり経ってしまったけれど…ようやく昨年頃になって、インタビューで「そろそろやってみてもいいかなと思っている」と発言していたのに、残念至極だ。昨年ランデブー氏にチケットを譲ってもらってブルーズ・セットのライヴを見るのが最後になるなんて思いもよらなかった。

多分…プレイヤーとしてやるべき事、成すべき事を終えたんだな、と思う。今頃、先にこの世を去ったフィル・ライノットやコージー・パウエルと殴りあいながらジャム・セッションでもしているんだろう。

ゲイリーに関しての思い出は、当時、アナログ・レコードからCDにハードが転換しはじめた時期で、『「デジタルによるクリアなサウンド」というなら、最初に買うのは素晴らしいメロディを弾くプレイヤー…GARY MOOREかZENOだ』と心に決めていて、ZENOは廃盤で手に入らず、GARY MOOREの"Wild Frontier"を買った事だろう。要するに自分がCDで買った最初のアーチストがゲイリー・ムーアだったのだ。

'89年だったか'90年にNHKホールで見たライヴも忘れられない。二階最後列と言うヒドい位置だったが、演奏、サウンドは最高で感激したもんだった。"Empty Room"なんか、まるでクラシック・コンサートのようで、皆静まり返って聴いていたなぁ…。

インストゥルメンタルがビデオ・クリップになるなんて所がまた彼らしい…。ご冥福をお祈りいたします。総じてゲイリーの楽曲は聴いていて切なくなる…泣ける曲が多いんだけど、これからますます聴くのが辛くなるなぁ…


昼間はゲイリーの遺した作品を聴きつつ、新座の平林寺に行った。増田長盛、松平信綱の花押で携帯ストラップを作ったので、お墓参りして来た次第。

平日の昼間で風も冷たかったし、自分が擦れ違った参拝者は数人だった。

110207.jpg

拝観受付のある総門で、ここから一直線に山門、仏殿、中門、本堂が連なる。本堂だけ明治時代の再建だそうだが、他は寛文年間に岩槻から移転した際の建築だそうな。写真手前の灯篭にも寛文四(1664)年と彫られていた。

110207-1.jpg
これは武田信玄の娘で、穴山梅雪室であった見性院の供養塔。本能寺の変の際の混乱で梅雪は殺害されてしまうが、未亡人となった彼女を徳川家康が保護していたらしい。後に二代将軍徳川秀忠が、侍女に生ませた隠し子(後の会津藩主保科正之)を彼女に預けて養育させたそうだ。

110207-2.jpg
豊臣家五奉行の一人、大和郡山城に二十万石を領していた増田長盛の墓所。かつての身分と、その事跡との余りにかけ離れた墓の様子が淋しい。亡くなった際は罪人だったから…という事なのだろう。
関ヶ原合戦後に、所領を没収され、岩槻に蟄居していたそうで、大坂の陣において子が大坂方に参じた責を負って、戦後、71歳の老齢で切腹して果てたそうだ。家康の命と言うよりは、殉死に近かったんじゃないかな?

110207-3.jpg
幕府老中大河内松平家の墓所、広大な敷地に歴代藩主、一族の墓が並んでいる。手前が藩祖で島原の乱鎮圧の指揮を取り、「智恵伊豆」の異名を持つ松平伊豆守信綱の墓。

寒かったし、北風も強かったので、国の天然記念物である境内林は歩かなかったけれど…カラスが沢山いた。


夜はWWE「スマックダウン」を見た。意外にCORREの存在感が薄かったな。ヴィッキーやD・ジグラーと連携するわけでもないのか…


1月14日の日記:川越探訪その2

ラッシュ"Counterparts"、"Test For Echo"を聴いた。


昼間は川越を探訪した。詳しくはいずれ、史跡ブログにまとめてアップするつもりだけど…本丸御殿跡(現在修復工事中なので、拝観不可)周辺にまで、足を運んだのは久しぶりの事だった。

110114-01.jpg
こんなお堀の跡が復元されているとは知らなかった。

110114-03.jpg
続いて喜多院へ向かった。写真は山門前に立つ天海僧正の銅像。

110114-04.jpg
喜多院でも境内で、一際目立つ多宝塔。何故かお参りした慈恵堂の撮影をし忘れた。

110114-07.jpg
川越には規模は小さいが、仙波東照宮なる徳川家康を祀る東照宮もある。造営は三代将軍家光時の幕府老中堀田正盛による造営で、正盛の名も刻まれている。正盛の権勢のほどが判る。

鳥居の先の階段を登った先の拝殿には、灯篭がいくつかあった。どうも歴代川越藩主による寄進らしく、自分が見た限りでは、秋元涼朝(九代将軍家重の頃の老中の一人)の名が読めた。

というわけで、存分に観光を楽しんで帰宅した。ただし、"CASTLORRY"関連のリサーチも抜かりなく行った次第。良いお話も頂けたし、新商品のアイディアも閃いた。趣味と実益に充実した一日でした。


11月27日の日記:オフ会初体験

今日はSNSの城好きファンでの江戸城址巡りのオフ会だった。"CASTLORRY"商品の営業にも良いかな…という、趣味と実益を兼ねての外出と相成った。

本当は午前中から小石川庭園を巡るはずだったのだが、自宅の扉の補修が入っていたので、午後からの参加を決めていたのだが…いつまで経っても業者が来ない。妙だと思い調べてみたら、月曜日と間違えていた…バカだなぁ、自分。

…というわけで、昼前に外出した。途中、飯田橋の吉野家で牛鍋丼を初めて食べた。生卵に紅しょうがと七味を適量ふりかけて食べると旨い。周りの人の注文を聞いていると「つゆだく」をお願いしている方が多数。今度、自分もそうしよう。

集合場所は1時に江戸城田安門だったが、早目に着いたので、門周辺を散策してみた。田安門は、判りやすく言えば、日本武道館、北の丸公園の入り口になるわけだが、自分なんかは普段はライヴを見に行く際に夕方通る事が多いので、昼間にじっくり見る機会は意外に少ない。

101127-1.jpg

軒の木材を露出させずに漆喰で塗りこんであるのは、経済力の高さを示している。しかも、田安門の場合はただ上から塗るだけでなく、波を打つような曲面に仕上げてある。他の城の城門の写真はないかな…

090813-04.jpg

これは小諸城の大手門で、門自体の大きさは立派ではあるけれど、塗りこめは壁の一部にしか見られない。

城門の解説を読むと寛永十三年(1636)年の建造らしい。ちなみに島原の乱がおきる前年にあたるわけだが、それはともかく、どこかに墨で書かれているのかな…と見て廻っていたら、何と、門扉のところにありました。

101127-2.jpg

門扉の金具に関しては、寛永十三年の九月に豊後国…今の大分県で大砲を鋳造する渡辺康直という職人が手掛けたと、このように彫ってあるのだ。凄い!

一人で感極まっているところで、待合わせの一時になり、いつのまにか30人ほど集合した。

「お奉行」のハンドルネームを持つ幹事さんの説明を聞きながら、田安門からその裏の神社へ。こんなコースがあるのは知らなかった…この裏側に廻ると、田安門の枡形を俯瞰でき、防御力の高さを実感できる。

続いて清水門へ。ここでは、ハンドルネーム「相州乱波かすこば」氏による解説がついた。興味深かったのは、櫓門を据えている石垣に段差がついているとの説明だった。

101127-3.jpg

ちなみに外に通じる唐門には、田安門と同じ渡辺康直の名を刻んだ金具があったので、創建は寛永年間以前と思われるが、石垣の積み方は時代のせいか、担当大名の技術力の成果不明だが、こちらの方が荒削りな印象を受ける。また、清水門に関しては江戸中期の万治年間に再建されたとの記録があるらしい。

自分の想像だけど…建造当初はL字型で、櫓門に多聞櫓が接続した形式か、あるいは重層の櫓があったのかもしれない…いずれにしても、創建時は、違う外観だったように思われる。でないと、石垣の段差の存在が無意味なものになってしまうからね。

続いて、北の丸公園を横切って千鳥が淵を見下ろす位置へ出た。途中、紅葉が見られる場所があって一枚撮影してみた。

101127-4.jpg

千鳥が淵の辺りは、堀底と上の落差が凄い。いわゆる崖のような感じで、石垣も一部に施されているだけだ、しかし、どうやって石を積んだのだろうか?足場を組んだのだろうが、とんでもない手間がかかったと思う。

北の丸を出ていよいよ、天守台の残る本丸に向かった。修理中の乾門(皇居への通用門の一つなので、接近不可能)を横目に、北詰橋門にて、入園用の整理券を受け取って本丸へ入った。

101127-5.jpg

写真は天守台の石垣の一部。石の角が取れて丸くなっていたり、黒ずんでいるのは、江戸期の火災の痕跡を今に伝えている。本丸には、この天守台以外に、興味深い遺跡はなく、かつて壮大な御殿が営まれた広大な敷地が広がっている。

江戸城は外周部に残る堀や門を見ると、難攻不落の大要塞というべき威容を誇っているが、本丸に所狭しと建造された殿舎は、一端火災ともなれば、城内を瞬時に焼き払ってしまうという致命的な弱点を持っていた城だった。

実際、江戸城は数度にわたって火災に見舞われて自ら落城同然の惨事に見舞われている。現在の皇居の北東部にある吹上御苑は、江戸時代初期には御三家の屋敷が並んでいたものの、あまりにも火災が多いので、将軍家の避難所とするため、御三家の屋敷を吹上の外に移した上、建築物も最低限に留めて、延焼の被害を受けにくい庭園としたほどなのだ。

本丸を見てからは、汐見坂を通って二の丸庭園を散策した。さすが将軍様の庭園、紅葉にも配慮した設計がなされていたようだ。

101127-6.jpg

中の門周辺の壮大な石垣や百人番所を見る頃には、大分冷えてきた。最後は大手門を出て、和田倉門址を見学、自分は和田倉門は初めてだった。

ここで一旦解散して、残った方々十数人でお酒。自分にとっては、皆初対面だったけれど、歴史や、お城を話題に楽しい時間を過ごすことが出来た。

…かくして終電近くに帰宅した。


11月11日の日記:八王子城址探訪

ハロウィン"Walls Of Jericho"、"Keeper Of The Seven KeysⅠ、Ⅱ"、"Better Than Raw"を聴いた。


昼間、"Castlorry"関連の用があって八王子へ。目的地に行く前に八王子城を久々に訪ねた。7、8年ぶりかな?もっとも、山頂まで行く時間はないので、御主殿跡あたりまで歩いただけだけど。

城址近くの宗閑寺に着いたところで、駐車場でメールや電話をしていたら、寺で樹木の手入れをしている職人さんに声をかけられた。結構、怪しい人に見えたらしい…(苦笑)。写真は寺にあった八王子城主北条氏照没後百年にあたって鋳造された梵鐘。

101111-01.jpg

城址に向かう道を脇に逸れると北条氏照の墓所もある。

101111-03.jpg

これまた、没後百年にこの地に建てられたものらしい。実際、氏照は小田原で首を落とされているので、遺体は小田原に埋葬されているはず。

何故、滅亡した北条氏照の墓所が没後百年という時を経て建立されたかと言うと、八王子城で城を守備して討死した氏照家臣中山家範の子を徳川家康が召抱え、御三家水戸藩家老に出世した事で、先祖の供養が許されたというわけ。

しかし、一昔前とは城址周辺の風景は一変した。昔は邪悪なオーラが漂っていたもんだが…駐車場も整備された他、城址内にあったはずの民家や作業場の類もなくなっていた。

101111-02.jpg

ここが山頂への登山道入り口。自分は二十年ほど前、ここでコケて足を捻挫した事がある。遺恨浅からぬ場所だ。それはともかく、この日は時間がないので、この先はパス。

注意書きとして「マムシ注意」「山頂にイノシシが出没」の看板が出ていた。自分はかつて、深夜に懐中電灯もって登った事もあるが、動物に出会ったことはなかったな。

101111-04.jpg

上が城主北条氏照の居館跡とされる場所への入り口、石垣や土塁で固められた堅固な威容を誇っている。通路が石畳のように仕上げてあるのは、氏照の前の居城、滝山城址でも見られたというが、彼の好みの造作だったのかな?

御主殿跡に行くと、地面が無作為に穿り返された跡がある。最初は城址でバーべキューでもした人がいたのかと思ったが、よ~く見ると、動物の足あとらしきものが…どうやらイノシシの穴掘り跡らしい。

途中、八王子城址はPHSの電波は届かないらしいことに気付く。慌てて城址を出て、仕事に向かった。


帰宅後、「FRINGE」を見た。う~ん…このアイディア、ストーリー展開、アホには考えられないね。凄いわ。ありえないことを現実に起こりえるものに見せる手法に感心させられる。


10月8日の日記:快挙!

アングラ"Rebirth"、"Temple Of Shadows"、"Aurora Consurgens"、メガデス"Endgame"、ハロウィン"Keeper Of Seven KeysⅡ"を聴いた。


今日は昼間、八王子方面に用があったので、午前中に家を出て、滝山城址に向かった。行くのは三度目くらいな気がするが、まともに写真などを撮影した事がなかったので。これまでは滝山街道から城址に入ったのだが、今日は拝島橋を渡ってすぐの交差点を入って、多摩川河川敷、搦め手側から見学してみた。

滝が原運動場に沿って、左手にそびえる滝山城址を擁する河岸段丘を眺めながら、トボトボ歩くと、馬出し土塁らしき遺構を見つけた。一見するとグランドの入り口と化していて見逃してしまいそうだが、どう見ても不自然…下の写真、土塁の向こうの小山が滝山城の本城域です。

101008-03.jpg

同じ川岸沿いに築かれた城でも、鉢形城は完全に断崖だが、滝山城は川岸に向かって門が開かれていたわけだね。ただし、えらく急峻な道を登る羽目になるが…

で、この山道を登りきると本丸直下に出て道が開けるのだが、左右にそびえる本丸、及び中の丸からの標的となる構造になっている。要するに、本丸と中丸を隔てる堀底なのだ。今は身の危険を感じるどころか、すぐ脇の階段で楽に本丸にたどりつく事ができるけど。写真は金比羅宮のある本丸から北方の多摩川河川敷を眺めたところ。蜘蛛の巣に落ち葉とか引っ掛かってます。

101008-04.jpg

更に本丸の石碑。

101008-01.jpg

本丸を見てから逆に大手方向に、二の丸、三の丸を廻った。途中、ほとんど人を見なかったが、幼稚園児が多数いて、馬出しの遺構などをじっくり見る事が出来なかったのが、残念。

更に、三の丸の入り口が良くわからず、土塁を無理に駆け上ろうとしたら、見事に滑りコケた…カメラやペットボトルが支えになってくれて、奇跡的に服に泥が付くことはなかった。

ここらで、時間的にちょっと余裕がなくなって来たので、引き上げる事にした。帰り道は急な下りの坂道がかえって幸いして楽だった。道を這いずる蛇らしきものを見つけて近づいたら、何と、特大のミミズだった…昔、安土で特大のナメクジを見たことがあったが、比較にならない大きさだ。

101008-02.jpg


その後、本来の目的であった"Castlorry"関係の相談をしたりして、夕方に帰宅した。

夕飯におでんを食べながら、サッカー日本代表vsアルゼンチン代表を見た。出だし、ドタバタしていたが、日本も負けずに攻めていて、ビックリ…「シュートの確実性を上げていけば、点取れるそうだなぁ」と見ていたら、何と日本が先制点とって逃げ切ってしまった。親善試合とは言え、あのアルゼンチンに日本が勝つなんて…普通は追いつくでしょ。

メッシ選手の動きは聖帝サウザーの『天翔十字鳳』ばりに触れることすら出来ない動きも見せていたけれど、後半になると自ら突破するよりもパスに転じてたね。そのパスも速いし正確なんだけど、日本側のディフェンスが良かった。

本田選手も本人は得点という部分で不満を持っているだろうけれど、攻守に良い動きをしていたと思う。香川選手との連携もなかなか…ボールのキープ力のある選手が増えてきたね。あと、途中出場の前田選手の動きも良かった。アルゼンチンのディフェンスを振り切る場面なんか、痛快至極だった。

ザッケローニ監督、期待できそうだ。来週の韓国戦でどのような試合を見せられるか…楽しみだ。


7月5日の日記:安土城址へ

ザ・ダークネス"One Way Ticket To Hell And Back"、アングラ"Rebirth"、"Temple Of Shadows"、ラッシュ"Presto"、"Roll The Bones"、"Counterparts"を聴いた。


朝食は昨年と同じく進々堂でフレンチトーストを食べた。お土産用のパンまで購入して、すっかりお気に入り。関東にないのが残念だ…

P1010238.JPG

午前中は上賀茂、下賀茂神社を廻り、例によってキティちゃんのスタンプ集め。京都には5ヶ所あるそうで、石清水八幡宮を除く4ヶ所のスタンプを得た。

賀茂神社も初めて訪れた場所だが、広大で神聖な雰囲気が強い。平安遷都以前からこの地にあったというのだから、驚きだ。今は屋根の檜皮の葺き替え工事が進められている。写真は下賀茂社内に残る古代の祭祀施設跡で、ここから先は立ち入り禁止。

100705-01.jpg

上賀茂社では、本殿の特別拝観が行われていて、たすきをかけての御祓いと案内を受けた。たすきをかける時、自分の着ていたTシャツが、SLAYERの"God Hates Us All"である事に気付いて一人失笑…神罰必定だ。

上賀茂社では餡入り餅、下賀茂社ではみたらし団子が名物だと言うので、それぞれ食べてから出京、安土城に向かった。

この時、iPad搭載の地図をナビ代わりに使った事が仇になって道を間違えた末、渋滞に巻き込まれる羽目に陥った。毎年来てるんだから、自分の勘に頼るべきだったと反省。

滋賀県に入って国道を外れるとドライブは快適になった。昼食は近江八幡で取ることにして、日牟礼八幡宮の駐車場に車を入れたが、月曜日だと言うのに、車は多い。どーなってるの?

これまでにも何度かお世話になったことのある、八幡堀に沿って建つ蔵を改装した食堂「浜ぐら」に入ったが、以前と内装が違う。カウンター席が出来てIH調理器も設置されている。前はもう少し和テイストが強い内装だったが…

お店の方から話を聞いたところ、1年半ほど前に改装されたそうだ。しかも今は近江牛で知られるカネ吉さんの手が入っているらしい…ここ2年ばかり同じカネ吉さんの「ティファニー」で食事を取る事が多かったが、その間に近江八幡城下にも進出していたとは…当然献立も変わっていて、近江の食材をフィーチャーした「浜ぐら弁当」がなくなって牛肉を使った献立中心になっている。

自分はスキヤキカツなるものを注文してみたが、本当にスキヤキがカツとじされている。初めて味わう献立だ…。これを温泉卵で食べるのだが、サクサク&ジューシーで、ご飯に乗せても美味だ。赤蒟蒻や丁字麩といった近江の食材もアピールされているのは以前のお店と変わらなかった。

100705-02.jpg

かくして安土城址に到着したのは午後3時過ぎだった。天気が良いので、真昼間に上るよりはましだけど、山を下りるのは5時近くになるだろうし、家に帰るのが深夜だな…

城址に着いてまず驚いたのは、新しい休憩所とトイレが出来ていた事だ。

100705-03.jpg

私が初めて安土城址を訪ねたときは、まだ整備工事は始まっておらず、トイレは汲取り式だった。確か、大河ドラマで「信長」が放映された頃に、トイレが水洗に改装されたと思うが、今回は新しい敷地に新造してある。休憩所にはエアコン、液晶テレビにプロジェクターも装備され、発掘調査報告などにも対応できるようになっていた。凄いなぁ…時代は変わったわ。昔はあの辺りは大型トラックが乗り付けて寝泊りしていたはずだ。

100705-04.jpg

ちなみにかつてトイレと休憩所のあった辺りは上の写真のように景観もスッキリした感じになった。大手門跡周辺の整備もひと段落ついて、今は門の東方の発掘、整備を考えているようだ。

いつもは6月に訪れているわけだけど…7月はアジサイが咲き乱れているのは趣があるが、オオスズメバチの活動も本格化していて危険極まりない。よりにもよって天守台上の木の樹液がお気に入りらしい。写真は大手道の石垣沿いのアジサイ。

100705-05.jpg

あと、築城以来の数少ない遺構の一つである仁王門にも修理工事が行われるようで、鉄骨が組まれていた。


…というわけで、今年の安土旅行は丹後~京都方面を中心に探訪して、帰宅は深夜になりました。


7月4日の日記:天橋立~京都市内へ

フェア・ウォーニング"Rainmeker"、"Go!"、キッス"Sonic Boom"を聴いた。


朝方、スペインvsパラグアイ戦を見た。スペインの攻撃陣を粘り強く凌ぐパラグアイという予想通りの試合展開だったが、後半、ついにパラグアイの堅守を破り、スペインが1ー0で勝利をもぎ取った。パラグアイが勝つには、あれしかなかったと思うが、やはり守り勝つのは難しい…

今日も天候はイマイチか…写真は宿の温泉から望む日本海。

P1010197.JPG

朝風呂後、散歩に出てみた。近くのお寺を目標に歩いたが、既に海岸にサーフィンに興じている人が見えた。なるほど、それで栄えてるのか…。お寺の建築物はかなり新しいが、裏に古びた鳥居が見えたので、落ち葉で滑りコケながら石段を登り、小さな祠にたどり着いた。温泉街の繁栄を見守っているのだから、小さくても余程の御利益があるのでは…というわけでお裾分けをお願いした。

P1010202.JPG


散歩から帰ってすぐに朝食、御飯が進むおかずがタップリあった。

P1010203.JPG

食後、程なく宿を出て天橋立に向かった。自分はまだ、カメラがフィルムだった時代だから20年くらい前かな?…とにかく、一度来たことがあるのだが、現像に出したフィルムを写真屋が巻き込んでしまい、貴重な写真の多くを駄目にされた苦い思い出がある。

その時は快晴だったけれど、今日はどんよりと曇っていて、時折雨が降る感じ。

前に来たときは自転車を借りてすぐに展望台に行ったように記憶しているが…正直、お寺や神社の存在は全く覚えていない。自転車を借りるといっても天気は悪いし…

取りあえず駐車場近くの智恩寺をお参りして、「さてどうしようか?」と思案していると、

「モーターボートで向こう岸まで送り迎えしますよ」

と声をかけられ、面白そうなので乗ってみる事にした。大型の観光船を追い抜く様はなかなか爽快だ。

かつて明智光秀親子が宮津を訪ねた際、細川幽斎、忠興親子と共に舟を宮津港に出して、和歌を楽しんだと聞いたことがあるが、このモーターボートの航路と重なっていたのだろうか?なかなか興味深い体験だった。

向こう岸には皇室や伊勢神宮とも縁のある籠神社があった。近年、整備工事が着々と進んでいる印象だ。

その後、ケーブルカーに乗って展望台へ行った。展望台の記憶ははっきり残っている。ただ、残念なのは雨模様で向こう岸がほとんど見えない。それなりに神秘的な感じもするけど…

P1010209.JPG

有名な股覗きで見るとこんな感じ。

P1010210.JPG

糞真面目にわざわざ股覗きして撮影したが、考えてみれば普通に撮った写真を180度回転させれば良かったんだよなぁ…

帰路、母が4袋¥1,000円の安さに目がくらんで丹波の黒豆を購入していた。実際、他のドライヴインでは1袋¥300円強で売られており、賢い買い物だったようだ。中身も本当に旨かったし、色艶も違う。恐るべし、丹波の黒豆。

帰りのモーターボートは行きと違って小型なタイプだった。船底にダイレクトに座る感じで、もの凄いスリル。後ろの席に子供が座っていたが、下手したら落ちるんじゃないかというくらいの勢いだった。子供達は喜んでいたけどね。

昼食は智恩寺近くの手打ち蕎麦屋でニシン蕎麦を食べた。智恩寺にちなんで、お土産に智慧餅をオススメしており、食べてみたが、美味い…舌触りと歯ごたえが良いね。

P1010226.JPG

写真はコーヒーときなこ餅も一緒に撮影、きな粉にも丹波の黒豆が使われていて美味しかった。

食後に天橋立を発ち、京都に向かった。一般道で丹波路を経て亀岡~沓掛~老の坂…本能寺の変での明智軍の進路だね。こんなに楽に移動できるとは知らなかった。そりゃ、クーデターも出来るわ。

丹波路を移動する間に天気が晴れてきた。お参りしまくった御利益かな?どうせ晴れるなら天橋立で晴れてくれれば…

京都に入ったのは夕刻で、まずは八坂神社を訪ねた。妹が全国の神社で捺せるキティちゃんのスタンプを集めているので…八坂神社はいつも門前を通り過ぎるだけで、中に入るのは初めてだった。予想していたほど広大ではなく、手早く参拝を済ませた。

キティちゃんのスタンプがインクが薄いわ、型崩れしているわで妹は不満顔。参拝客の人数に比例するんだろうな。

京都御所近くの宿に入って一休みした後、夕食と引き続きスタンプ集めの為(苦笑)に地下鉄に乗って繁華街へ。新京極通にある錦天満宮に向かった。社務所が夕刻過ぎまで開いている神社は珍しいが、ここは21:00までやっているそうだ。敷地こそ小さいが、繁華街のど真ん中にあって参拝者が絶えない。

100704-01.jpg

夕食はうどんをメインにあれこれ飲み食いした。

P1010236.JPG

更に丹後で買った地ビールを宿で飲みながら「龍馬伝」を見た。地ビールはどれもスッキリした飲み口で美味しかった。半分寝ぼけてたけど。


7月3日の日記:丹後探訪

ドリーム・シアター"Awake"、"Black Clouds And Silver Linning"、デフ・レパード"Hysteria"、ニュークリア・ヴァルテス"I Am I"、エアロスミス"Pump"に、自分で編集したリストを聴いた。


A.M.5時ちょい前に目覚める。

サッカーのウルグアイvsチリ戦をTVで見てみると、引き分けていた。延長戦濃厚な試合展開だったが、5時出発と決めていたので、家を出た。程なくウルグアイがPKで勝利したことを知った。

後で知ったが、色々なことがあったのね…ウルグアイにとっては、点取り屋のスアレス選手の出場停止は準決勝に響きそうだ。


で、今回の旅行だが、まず目指したのは丹後半島。久々に東名高速に乗り、伊勢湾道を経て新名神を通って大津に至るというドライヴコースを初体験。名古屋港、埠頭に停泊する船や工業地帯はなかなかの迫力だった。

それにしても困惑したのは猛烈な雨だ。海沿いを走っていたので、降るときはこんなものなのかと思っていたが、後で報道を見たら、記録的な豪雨だったらしい。

運転にもかなりの疲労がかかる天候だったため、丹後宮津に到着したのは午後2時過ぎだった。昼食は駅前の富田屋(とんだや)にて、定食、うどんを食べた。

P1010182.JPG

写真は私が食べた焼き魚定食(¥600)だけど、総じて価格が安くて驚いた。母が冷やしの素うどんにあれこれ天ぷらを注文したのだが、案の上、山盛りで登場、取り分けてお腹一杯になった。店内の雰囲気も良かった。宿も提供しているらしいので、もう一度機会があったらお世話になりたいな。

丹後に到着して驚いたのは、その蒸し暑さだ。潮風もあって、べた付くという感じで、なかなか厳しい環境だ。

幸い、雨の方はほとんど止んだので、食後、周辺を散策してみた。

宮津城は織田信長の命で丹後を与えられた細川藤孝、忠興親子が居城としていた。城跡は明治維新後にほとんど破壊されている。

…とは言え、かつて城があった事を示す案内板や石垣の名残は残っており、そうしたものを見て回った。案内板を見て思ったが、城の構造が明智光秀が琵琶湖に面して築城した坂本城に似ていたようだ。

宮津城も日本海、宮津湾に面しており、似たような形で築かれた事は十分考えられる。でも、坂本も宮津も城はほとんど破壊されており、残念至極だ。

かつての石垣の名残や古木を撮影して廻っていたのだが、中でも驚いたのはかつての三の丸内にあたる場所に建てられている祠で、江戸期の不義密通事件に絡む祟りを祀ってあるそうだが、ここだけは他とは違う空気が漂っていた。妹はビビって撮影しなかったが、自分はパチリ。

100703-01.jpg

「さわらぬ神に祟りなし」を絵に描いたような様相で、ある意味、本日のハイライトだったなぁ…

その後、宮津小学校に城の建造物で唯一残されたという門が移築されているというので、それを見たが、門扉以外は後補のようだ。

100703-02.jpg

…というわけで、宮津城にまつわる遺跡をブラブラ廻った後、この日の宿へ向かった。車に乗った途端に、再度、叩きつけるような雨が降ってきた。天運にだけは滅法強いんだな、自分。

宿は、よく知らないままに予約したのだが、なかなか栄えた温泉街で、夕食は日本海の幸を味わった。

P1010192.JPG

P1010193.JPG


夜はワールドカップのドイツvsアルゼンチンを見た。ドイツの衝撃的なほどの強さに絶句。マラドーナ監督の打つ手なしといった表情が切なかった。


3月7日の日記:長谷川等伯展

ボン・ジョヴィ"Bon Jovi"、ニッケルバック"The Long Road"を聴いた。


昼頃、東京国立博物館に向かった。途中、実家近くのイタリア食堂でハンバーグ&ナポリタン・ランチを頼んだら、ものすごい量でたまげた。母や妹が頼んだものの倍近いわ…。

…で、食後に上野の国立博物館で「長谷川等伯展」を見た。開催されると知ったときから楽しみにしていた展覧会だった。

何故、自分が長谷川等伯が好きなのかと言うと、昔、智積院で「楓図壁貼付」を初めて見たときに「狩野永徳以外にこんな絵を描ける人がいたのか!」と驚愕した思いがトラウマのように脳裏に張り付いている事と、桃山芸術の頂点に君臨した狩野一門に対峙せんとした等伯の意気込み、生き様が、ひねくれ者の自分に過剰な思い入れを抱かせるのだと思う。

hasegawa.jpg

全体に、絵師としての等伯の生涯を辿るような展示内容が良かった。

通してみると、作品の出来不出来に意外とムラがあり「完全無欠」の絵師ではなかったという事もわかった。様々なスタイルに挑戦して、失敗もしながら、それぞれ素晴らしい作品を残して来た芸術家としての姿には触発されるものがあった。

100307-01.jpg
 ↑図録より~「柳橋水車図屏風」文字通り、柳と橋と水車…なんてことない3つの物を巧みに配して屏風に仕立てたものだが、この洗練されたセンス…当時の屏風絵のヒット商品だったそうだが、現代でもとてもポップに感じられる作品だと思った。

100307-02.jpg
 ↑図録より~「枯木猿候図」個人的にサルと言う動物は嫌いなんだけど…この絵はサルの毛並みの繊細さも見事だが、樹木の見せる力強さに圧倒された。

もちろん、国宝の楓図壁貼付の絢爛豪華な世界も、水墨画の頂点たる松林図屏風の静寂な世界も存分に楽しめた。

母親が見終わった後、公共放送の出口アンケートを受けたらしい。ボールペンもらって喜んでた。

帰りには、池袋で軽くワインを飲んで帰宅した。


しかし福山雅治は絵になるなぁ…あれこれ論じるのがバカバカしくなるほどだ。


11月23日の日記:皇室の名宝・第二期

ドリーム・シアター"Octavarium"を聴いた。


昼間は東京国立博物館へ「皇室の名宝展:第二期」を見に行った。昼食は揚州商人でラーメン、夕食はエチカのワイン・バー「ボナパルト」と先月「皇室の名宝展:第一期」を見に行った時と同じタイムラインでの行動を取った。

博物館は予想外に混んでいた。「第一期」の方がメジャーな展示物が多かったと思うけど…多分今回の方が展示物が細かいものが多くて、拝観に時間がかかるせいで込み合ったんじゃないかと思った。

教科書でよく見ていた聖徳太子像も出展されていたけれど、「描かれた当初の部分は少ない」との解説があったが、あの絵は後補部分が多いと言うことなのか?よくわからない解説だった。

正倉院に収蔵されたものが凄かったなぁ。螺鈿で飾られた弦楽器とか、どんな音が出るのだろうか?

来年は長谷川等伯と細川家にまつわる特別展が行われるそうで、楽しみだ。

hasegawa.jpghosokawa.jpg


夕食はこんな感じ。

091123-181135.jpg

奥はシーザーサラダで、手前は一見アイスクリームに見えるけれど、ジャガイモに酸味を利かせた前菜。ビールに合います。

091123-182623.jpg

これはベーコンのグリル。予想外に大きな肉で驚いた。


帰宅後、WWE「スマックダウン」を見た。でも酔いに負けて最期まで見れずじまい。現地でこの日に行われたPPV「サヴァイヴァー・シリーズ」もサプライズは少なかったみたいね。波乱は明日の「ロウ」かな。


10月25日の日記:皇室の名宝展~第1期

ヤンキース戦は中止か…午前中の楽しみがなくなってしまいました。で、小雨降る中、近所のスーパーの朝市をブラブラ…朝一に相応しいほど安いな、と思えたのはグレープフルーツくらいだったかな。


午後は上野の国立博物館へ皇室の名宝展(第1期)を見に行った。上野へ行く前に腹ごしらえで揚州商人なる中華料理店へ行ってみた。

以前、ABCでCaoruさんから「杏仁豆腐が美味しいですよ」と勧められたことがあったのだが、なるほど、滑らかでミルキーな杏仁豆腐だ。ラーメンは「普通かも」と言われていたが、自分は美味しかった。「人気ナンバー1」とメニューに書いてあったスーラータンメンを食べたけれど、風邪の予防にも効果的な気がした。

091025-124222.jpg

これが、なめらか杏仁豆腐。ラーメンは腹が減っていたので、撮影の機を逸しました…


091025-133116.jpg


食後に上野へ移動した。今回の展示の中心は安土桃山時代の巨匠狩野永徳による唐獅子図屏風と、江戸期の画家伊藤若仲の動植綵絵三十点が一同に展示される事にある。このほかにも一流の画家、工芸家の作品が揃っていて唯一無二ともいえる絢爛豪華な展示物の数々には感心させられた。

子供のころから教科書などで見て来た唐獅子図屏風を実際に見るのは今回が初めてだったが、驚いたのはその大きさで…圧倒的な迫力に震えが来るほど感動した。

外国人の見学者も多いな、とこの日は感じたけれど、それは伊藤若冲の名に負うところが大きかったのかな?…鮮やかな色彩は、万国共通の美世界、誰が見ても言葉を失わせる説得力を誇っている。

もちろん、横山大観や円山応挙の作品も凄かったけど、近代以降の工芸品も素晴らしかった。100年ほど前にこういうものを献上したりとか、この国で行われていたんだもんなぁ…何か不思議な気分がした。


存分に目の保養をした後は、ワインバーでまったり過ごしてから帰宅。時代劇をきっちり見て、そのまま爆睡しました。

091025-172703.jpg

酷い写真というか、構図だな…アルコールのせいかも?しかし、エチカの有料トイレ、パスモで課金されたのに扉が開かないのは遺憾千万だった。今思えば、開け方を間違えていたのかもしれない…(苦笑)一生懸命、横にスライドさせようとしたんだけれど、実は押せば開いたとか?


10月3日の日記

メガデス"Cryptic Writings"、"Risk"、"The World Needs A Hero"、"The Systems Has Failed"、フェア・ウォーニング"Fair Warning"、"Rain Maker"を聴いた。


朝、7時前に実家を出発して、新潟県上越への小旅行に向かった。一応、1ヶ月ほど経た母親への誕生日プレゼントも兼ねているけれど、上越を選んだのは自分なりの目的がある。まずはまっしぐらに上越高田を目指した。

道中の天気はイマイチだったが、特に支障なく上越高田に到着、そのまま高田城址にある上越市立総合博物館に向かった。

実は今回、市内で豊臣秀吉の御所参内と後陽成天皇の聚楽第行幸図屏風が発見され、これが期間限定で展示されることになった。10/4までの展示期間を終えた後は専門家による内容の精査が入ると思われる。

そもそも聚楽第は、関白に任じられた豊臣秀吉が京都における自身の本拠として、築いた城郭だ。ところが、この城が機能した期間は10年ほどしかなく、文禄五年に秀吉の関白職を引き継いでいた豊臣秀次が失脚すると、聚楽第も破却されてしまった。

程なく秀吉も没した上、豊臣家もまた滅び、その後を引き継いだ徳川幕府は伏見城、二条城をもって京都の政庁としたことで、聚楽第はまさに「幻の城」になってしまったわけだ。

そのためか、聚楽第に関しては、史料も殆ど残されておらず、いくつかの屏風を通してしか、その姿を想像するしかない。そこに今回の発見である。

「これは見に行くしかないだろ!」

というわけではるばる上越までやって来たわけだが、驚くべき事に博物館の駐車場が並んでいる…各地からマニアが馳せ参じているらしい。博物館内部も30分待ちで立ち止まらずに見なさいと来た。阿修羅展みたいだ。

地方の博物館でこんな行列に出くわした記憶なんて殆どないが…奈良の「正倉院展」くらいかな?

しかし、この屏風は素晴らしい。輿に乗った秀吉や天皇の姿、表情は判らないが、沿道に居並ぶ諸大名の顔ぶれから、描かれた時期を推定できそうだ。脇道の庶民の姿は当時の風俗が表れている。聚楽第の天守も最上階に望楼が巡らされている他、四方の扉には鳥が飛翔する様子が描かれていたようだ。

主役の屏風絵については…これは重要文化財指定は必定でしょ。私は秀吉を追慕するというより、この盛儀に参加した大名の誰かが自らの晴れの舞台を残そうとしたのではないか、という印象を持った。

気になったのは、輿の中にあって姿の見えない秀吉の後に乗り物に担がれた人物だ。このころの豊臣政権のNo.2は秀吉の実弟秀長でも、徳川家康でもなく、織田信長の次男信雄が内大臣の地位にあって秀吉に次ぐ存在だった。どうもこの人物は織田信雄だと思うのだが…ちなみに信雄は行幸の二年後に失脚している。にも関わらず、信雄を描いたということは…?妄想、想像は尽きないな。


091003-02.jpg

091003-01.jpg

じっくり屏風を見たところで時間はお昼になった。昼食は黒ふねという和食屋へ行ってみた。3人とも海鮮丼を食べたが、さすが新潟、米も魚も旨い!いわゆる漬け丼タイプだが、この漬けダレが美味しいし、海苔やシソの風味も見事だった。店で使っている瓢箪型の焼酎の瓶を無料で配っていて、母が父親へのお土産にとゲットしていた。さすが、抜け目がない。

高田城は一度訪れたことがあるので、今回は散策しなかったが、城下に寺町として現在も63軒もの寺が残っていると知り、本堂が重要文化財で県内最大の寺院という浄興寺に行ってみた。

なるほど、高田の寺町は一般の住宅と寺が入り乱れてるわ…これ、観光用に整備したら良いとも思えたが…そんな中でも浄興寺は境内に数軒の塔頭寺院も擁している。その一つの苔蒸した玄関に近づくとカエルが二匹飛び出してきて、その内の一匹が私の手に飛び乗って来た。すかさず妹が記念撮影。

「このカエルは、なかなか人を見る目がある」

と言って苔の上に戻してやったが、もう一匹は必死で逃げ回っている。

「こいつは人を見る目がないな…」

追いかけるのは止めて境内を散策した。

さすがに県下最大というだけあって本堂がデカい…江戸期に造営され、重要文化財とのことだが、随分と保存、補修の手が入っているという印象だ。ガラス窓も付いてるし。屋根が杮葺ながら重厚な印象を与えるのが特徴かな。内部の装飾も豪華で、保存が行き届いている。

091003-03.jpg

また、浄土真宗の開祖、親鸞の本廟もある。親鸞の廟所は本願寺にあるとばっかり思い込んでいたが…京都で亡くなったものの、遺骨の一部は関東にあった浄興寺に納められ、その後、戦乱などで移転を繰り返し、現在の上越に至ったという事のようだ。

本廟は江戸期以降の建築のようだが、豪華な装飾が施されている。宝物館には上杉謙信が奉納したという伝承の残る鐘があったが、年号などは刻まれていなかった。使い込まれていて古いものだとは思ったが…龍の彫刻があまり微細ではないのが、鋳造時期を推測する証左になるのだろうか?

受付では黒猫が飼われていた。よく懐いているというか、動じない猫だった。カメラは苦手だったみたい。

091003-04.jpg

この日の観光はここで終了して、宿としたペンションへ。途中、妙高高原地ビールを購入した。その途中、妹に翌朝早くに帰らなければいけないことが発覚、明日はまず、駅に送らないといけないな。

赤倉温泉は露天でお湯は温めだったけど、いかにも体に良さそうな心地…露天風呂の岩が鍾乳石みたいに白く変形しているのが説得力抜群だ。滝のように降るお湯を直接浴びたら熱いの何の。

091003-05.jpg

夕食はきのこ鍋。鶏肉のつみれが美味しかったなぁ…食後は部屋で地ビール飲みながら、映画「マジック・アワー」を見た。突っ込みどころ満載なのに面白い所は、さすが三谷幸喜だね。


8月15日の日記

起床は前日のような早起きとはならず8時過ぎ、相当飲んだと思うが、二日酔いと言うほど辛くはなかった。

ところが、朝食に朝カレーをご飯だけでなく、残ったうどんにまでかけて食べたところ、急に胃の調子が悪くなってきた。当たり前か…


宿を皆で出たのが10時過ぎ?そのままスーパーとみやげ屋を廻ったところで、親戚とは別れた。親戚は皆、中央道八王子ICが近いのだが、ウチだけは埼玉…で、高速道路の渋滞が嫌いな私は恵林寺を訪ねつつ、そのまま国道140号に沿って秩父に抜けて帰ることにしたのだ。

昼前に恵林寺に到着した。戦国時代には武田氏の庇護を受けた事で知られる寺院だが、その滅亡に際して織田信長の焼き討ちを受けて一時荒廃している。しかし、程なくして発生した本能寺の変後は、徳川家康がその復興を支援したほか、江戸時代には五代将軍綱吉の側用人として辣腕を振るった柳沢吉保が甲府藩主として恵林寺を庇護したことで、開基以来、ある程度の勢力を維持しえただけあって、その規模はさすがに大きい。

090815-01.jpg

朱塗りの四脚門は、徳川家康が復興を支援した際に建てられたものと言われ、重要文化財。門自体の規模は小振りだが、太く良質な材木を使った安土桃山時代の気風を感じさせる豪快かつ華麗な建築だ。

090815-03.jpg

更に素晴らしいのが、国指定の名勝で、室町時代の創建時に夢窓疎石が築庭したという枯山水庭園だ。一日中四季の折々に訪ねてみたくなる庭で、これには感動した。後に京都で天龍寺や西芳寺の作庭も手がけたと知って納得したが、これだけ広大な敷地を無駄なく仕上げるセンスが凄い。

090815-02.jpg

恵林寺境内の売店脇で爆睡する猫。子供達が触っても起きなかったらしい。


昼食は恵林寺内の蕎麦屋で食べたが、自分は腹具合が悪くてアイスコーヒーのみ、しかもこのアイスコーヒーがイマイチで…そもそも、胃が疲れているのにアイスコーヒーをチョイスすること自体が間違いなんだけど。

しかし、食後に親が持っていた胃薬を飲むと、あら不思議、というほどに気分が良くなった。単純だなぁ。

090815-04.jpg

食後に門前脇の直売店で桃を買った。食事の最中に呼び出した上、父親の無理難題に応じて、その場で桃を切ってくれたお店の方に感謝。

国道140号線を通って山梨を出るのは初めてなのだが、これはなかなかドライヴには楽しい。県境のトンネルが有料だけど、ダムとか道の駅、橋など、見るべきものが多いのだ。下の写真は広瀬ダム。市街地の暑さと打って変わった涼しさにビックリ。

090815-05.jpg

で、胃薬飲んでから、空腹になった私はイノブタまんに天むすを食べた。イノブタまんは肉々しい感じだった。母親は恵林寺で蕎麦とみそおでんを食べたのに、その上みたらし団子を買って食べていた。もう車内で寝るだけなのに食べ過ぎだろう。この滝沢ダムでは、あまりの暑さにキレてるし。

090815-06.jpg

この階段、下りられるみたいなんだけど…ダム巡りも面白いかもね。


意外だったのが道路の渋滞で、特に秩父に入ってからが、帰省ラッシュというより、キャンプなどの観光客の多さから渋滞が発生しているように見えた。むしろ、随所で関越のインターと交差している川越街道は思った以上に楽だった。

というわけで、帰り道では夕飯に寿司を食べて実家に到着、一休みしてから自宅に帰って今回の旅行は終了しました。史跡ブログなどの更新もしないとなぁ…。


8月14日の日記

タリスマン"Cats & Dogs"、"7"を聴いた。


前夜、割と早めに酔いつぶれたからか、朝4時過ぎに目が覚めた。取りあえず、軽く温泉に浸かってから散歩に出てみた。夜明け前にも関わらず、外は妙に蒸し暑い。近くのお寺、神社をぶらつき、鉄棒で懸垂してみたりもした。今思うと、怪しい人だな。

散歩の途中、小さなコウモリが飛んでいたのだが、あれ、夜明けになると屋根の隙間に潜り込むのね。しかも、着地というか、壁にへばりつくのがやたらと下手くそで、何度も壁にぶつかったりしながら、やっとこさ、という感じで屋根裏に入る姿がおかしかった。近所でも夕方にコウモリを見るけれど、夜明けにはあんな苦労をしているのかな?

散歩を終えて宿に戻ってもう一回温泉に浸かってリフレッシュ。朝食は前夜に続いてカレーを食べた。今日はスタミナをつけておかないと。


10時に妹と大月駅で待ち合わせていたので、一人で8時半頃に宿を出た。ちなみに他の親戚、家族は私が出掛けた後、向日葵を見に行ったらしい。

大月駅には約束の時間には余裕で着いたのだが、予想以上にこじんまりとした駅で驚いた。石和温泉駅の印象と、急行や特急が停車したり、高速のインターにもなっている事で、自分の脳内である程度ブランド化してるんだな。

それはともかく、大月駅に着いてからは前夜から朝食に至る食べ過ぎ飲み過ぎが祟ったのか腹痛であたふた…公衆トイレに紙がなくて駐車場に戻ったり、妹が来るまで駅周辺でかなり挙動不審だったと思う。

ほぼ10時きっかりに妹と待ち合わせた後、駅近くの岩殿山城へ向かった。中央自動車道や甲州街道、JR中央本線で大月駅周辺を通過した事があれば、この岩山を見たことがあるかと思う。この山が岩殿山城だ。

090814-01.jpg

元は修験者の修行の場であったらしいが…後にこの地域を支配する小山田氏の居城となる。「難攻不落」「天然の要害」とはこの城の為にある言葉と言いたくなるほど凄い場所にある城跡なのだ。

一応、岩殿山頂で昼食を取ろうかと考えて近くのスーパーで飲み物と食べ物を購入して、いざ!岩殿山への登山を開始。

途中、無料休憩所というか、資料館があるのだが、そこまでで既に汗だく、更に山頂を目指したが、いやはやこれはきつい。自分は三度目(内1回は連れの膝がパンクして断念)だが、こんなにきついものだったか。実際、初めて登った時も疲れてほとんど写真を撮影していなかったりするから、今回再訪したわけだが。

妹も息が上がっていたが、清々しい表情で下山して来た老婦人とすれ違ったり、子供をおんぶしてガンガン登っていく若いパパさんもいたりと、ビックリするような体力の持ち主に目を奪われつつ、ようやく登山道から城跡っぽい揚木戸門跡に到着した。

090814-02.jpg

巨大な岩盤が多い被さるようなところできっちり道も城門らしく屈曲している。登山道を見下ろせる番所跡のスペースもあって、この辺りには驚かされる。

ほどなく城内で最も展望が利く三の丸跡に出た。大月市街が一望出来、晴れた日には富士山もよく見えるそうだが、この日はあいにくの薄曇りで霊峰を拝めることは叶わず。

090814-03.jpg

ただ、この辺りから先の城址の雰囲気が、以前に行ったときの記憶とどうも合わないような…自分が他の山城と勘違いをしているのかもしれない。ともかく更に山道を進んで本丸跡に到着、現在はテレビの電波塔が並んでいて、城址の風情は皆無だ。

090814-04.jpg

確か池だか井戸の跡があったよなぁ…と思いつつ夏草の生い茂った中をうろうろしていると「廃寺跡」の矢印と標識を発見、少し行ってみると道も整備された感じで手すりも見える。

というわけで、この道を進んだのが大失敗。廃寺の跡も見つからないまま、次第に道は急峻な登山道に変貌し、土砂崩れの痕跡や破壊された手すりに仰天、逃げるように山を下りることになった次第。おかげで山頂の涼しい風の中、昼食を楽しむ機会も失ってしまった。さすがにもう一度登る気も起こらないし…結局、駐車場に戻って車内で済ませてしまった。

しかし、池の写真の撮影を逃したから、後日もう一度チャレンジしないとなぁ…今度はもう少し涼しい頃に来るとしよう。夏は見通しも悪くて駄目だ。


気を取り直して次に向かった先は甲斐武田氏終焉の地、景徳院。武田勝頼、信勝父子と勝頼の妻の墓所があり、最近発掘整備がされたらしいと聞いて来てみたのだが、まだ整備中で、供養塔も臨時の…とは言え、よく目立つ場所に移してあった。古木奇木の類が多いのが印象的。

090814-07.jpg

追っ手の立場になって橋の手前の駐車場に立ってみると、川を前にした小高い場所に景徳院があることが判り、いかにもここを最後という気持ちで勝頼主従が迎え撃った場所という事が納得できた。

090814-05.jpg

最後に立ち寄ったのが、中央道一宮御坂ICの名の元でもあろう甲斐国一宮浅間神社。甲州街道沿いに大きな鳥居が目立っていたので、どんなものかな?と立ち寄ってみたのだが、国道沿いの大鳥居から想像出来るほどの規模ではなかった。かつては相応の規模を誇っていたんだろうけどね。立派な松が植えてあったし、現地で見る事は出来ないが、後奈良天皇が武田信玄を介して奉納した重要文化財の般若心経を収蔵しているそうで、かつての繁栄を偲ぶ事は出来る。

090814-08.jpg

さて、見るものも見たし、帰ろうかと駐車場に向かって歩いていたら、何処からか犬がやって来たので、記念写真。

090814-09.jpg

良く懐いていたが、サバサバした性格のようで、ひとしきりの時間を過ごすと、またどこかへ去ってしまった。

帰りは地元のスーパーなどに寄って妹がお土産を物色、やっぱりワインの売り場が凄いね。あとご当地産のレトルト・カレーが充実していて面白かった。


宿に戻っての夕飯は母の得意料理の一つ、ハンバーグ鍋。このくそ暑い夏の山梨で鍋とはほとんど拷問…とも思えるが、物凄い人気であっという間になくなった。

090814-184223.jpg

この日は妹に続いて、もう一人従兄弟が参加していたのだが、アホなネタを次々と投下した末に泥酔して酔いつぶれてしまった。かく言う自分も、いつ、どのように眠ったのか全く記憶がない…。


8月13日の日記

ドリーム・シアター"Black Clouds & Silver Linnings"、"Alchohole Anonymous Suite"、タリスマン"Humanimal"、"Life"を聴いた。


石和温泉に親戚が集まるというので、これに乗じて史跡巡りを計画、早朝に母を連れて出発した。ちなみに父は所用で後から合流、妹は仕事で翌日合流、私の妻はコミックマーケットで不参加。

渋滞嫌いの私は(渋滞中の運転は眠くなるし)、中央道の混雑を嫌い、高速料金¥1,000円を利用して関越~上信越~長野~中央自動車道という超迂回ルートでの石和行きを選択、関越も花園辺りまで渋滞しているとの事で、国道254号で花園から関越に乗り、まずは長野県の小諸城を目指した。

小諸城には重要文化財の大手門があるのだが、私が数年前に小諸を訪れた際、門は無残にも民家に改装された上、崩壊寸前、鬼でも住んでいるかの様相を呈していたが、最近修理工事が完了したとの事で、是非ともそれを確認したかったというわけ。

小諸城には9時過ぎに到着、空腹を我慢しつつ、まずは大手門を確認。これはまた立派な門に修復されましたなぁ…ちなみに数年目の古い写真と比較してみよう。
090813-01.jpg

090813-02.jpg

数年前の写真は安いデジカメの上、良く使い方がわからず、撮影時間も夕方に近かった為か、まるで心霊写真のようだけど…。次に大手門をくぐった所、これまた、古い写真と比較してみると…
090813-03.jpg

090813-04.jpg

この角度の方が、旧観の酷さがわかると思う。屋根とか、傾いて崩壊しかけていたりするし。この門は二階の格子窓部分などに、木目部分が露出しており、江戸期のほぼ全体を白漆喰で塗り固めた様式より古い形態を残しながら、戦国の空気が残る安土桃山時代の豪快な印象も偲ばせる貴重な遺構なのだ。

大手門の復元に満足した後、小師城址の中枢部分である懐古園に行った。母は学生時代の修学旅行だかで、小諸や上田を訪れた事があったらしく「50年ぶりよ!」などとはしゃぎながら、巨木古木から気を頂きましょうとペタペタ触って、パシャパシャ写真撮影していた。ただ、当時は今ほど整備されていなかったらしい。

残念だったのは、千曲川方面の景色を望める展望台部分の石垣が先日の地震で破損して通行不可になっていた事。

090813-05.jpg

更に園内にある動物園を見て(なんと、ライオンもいた)回ると、さすがに空腹に耐えかねて、本丸の売店で手打ち蕎麦を食べた。でも、城址の本丸に食堂があるって珍しいかもしれない…ちょっと大名気分だな。で、私が食べたのは冷やし山菜蕎麦。ここで売っていた地ビールを買い損ねたのが悔やまれた。

090813-06.jpg

再び上信越道に乗って一路、甲府を目指す。ここでは迂回路の長さを感じたな。各SAの混雑ぶりも印象的だった。甲府に着いたのは2時半くらいだったかな?まずは甲府城址で最近復元された山手門跡に向かった。甲府城址は甲府駅建設で城跡に線路が通ってしまって大きく破壊されているのだが、この山手門は城跡の中枢部とは線路で隔たれてしまった地域で、唯一復元可能な遺構のようだ。

090813-07.jpg

江戸時代の城郭に見られる巨大な桝形門で、巨大な石垣に総塗籠めの櫓門、銃眼で固められた遺構が見事に復元されていた。櫓門の中では修理工事、復元に至るビデオも見る事が出来た。正直、復元にいくらかかったんだろう?という疑問が一番大きかったけど、野暮なことは質問するまいと思った次第。

それにしても、甲府は猛烈に暑い。人間が出歩く環境じゃあないわ。

この日、最後に立ち寄ったのが武田神社、かつての戦国大名武田氏の館跡だ。驚いたのが、旧大手門周辺が復元工事を受けていた事。…ま、武田時代ではなく、その後の織田、徳川氏の手の入った遺構の復元ではあったが、新しい時代の到来を示すために敢えてこういうものを築いたんだろう。実に興味深い。

090813-08.jpg

既に石和の宿には親戚が終結したらしく、残った私と母はお土産に神社境内の井戸水や、ワインなどをお土産に購入、強烈な暑さにも耐えかね、自分らのためにソフトクリームを買ったのだが、これが美味い!いかにも山梨らしく、ブドウの風味が効いてるな、と思いながらペロペロしていると、母がハイ・トーンで「まぁ!ブドウの風味が効いていて美味しいわ」と声を挙げるや、周辺の観光客がドドドッと集まって来て、ソフトクリームを注文し始めた。私の母には、そういうポジティヴなオーラがあるらしい。

かくして、石和温泉にようやく到着して、親戚一同、カレーをメインにビール、焼酎で飲めや食えやの宴に突入。自分はこの日は温泉に浸かる事もなく、ブッ潰れた。ま、この日に関しては、史跡巡りも充実していて、思い残す事はなかったね。


6月7日の日記

5時ちょい過ぎに目を覚ますと、既に父と叔父は起きて一服していた。私は昨夜に思いついた通り、二条城へ散歩に行き、周囲を一周して、四方に開かれた門などを撮影してきた。昨夜も思ったけれど、城の周囲はジョギング・コースになっているようだ。東京の江戸城…皇居と似たような状況になっているね。


昨日、負傷した足腰はだいぶ良い感じ。我ながら驚異的な回復力だと感心した。あちこちでお参りした効果があったようだ。


朝食はホテル近くのベーカリー&喫茶、進々堂で食べた。あまりの美味しさに土産として食パンを買ったのだが、私が店でパンを切らずに購入したのが、母は気に入らなかったらしく、後でブーたれていたらしい。妹は人の家のパンの扱いに文句を言う母が理解不能のようだった…Me Too!

帰宅後、妻に「ああ切ってこうして調理しろ!」と命じて困らせる姿でも想像したのだろうか?パン自体がやたらでかくて荷物になるのが不満だったのかもしれないな。潰れやすいし。


今日は自分の脳内では醍醐寺か石山寺に行こうかと考えていたのだが、昨晩、叔父が大原、三千院の方に行ってみたいと言うので、そちらへ行く事にした。自分としてはいずれも初めて足を運ぶところなので、特に不満はなかったけれど、帰り道に苦労するのでは、という事だけが気になっていた。

090607-01.jpg

三千院の入り口、石垣なども立派だが、境内の広大さを知るや見学を止めた。何のためにここまで…まぁ、参道を登るだけでも結構な距離だからねぇ。大原は年寄りには辛いわ。その代わり、奥の宝泉院ではゆっくりと抹茶などを頂いてくつろいだ。血天井の下で。

090607-02.jpg
これは勝林院。三千院周辺では最もその起源が古いお寺のようだが、本堂などは江戸期に火災で焼けたため、復興したものだそうだ。

ホテルを出る時に小耳にはさんだが、インフルエンザの影響で観光客が激減しているらしい。お陰で自分らは余裕持って見学できるけど…。参道の売店とかホント、商売熱心でした。


090607-03.jpg

最後に立ち寄った寂光院。これまた参道をかなり歩く。意外に近くまで車で上がれるようでもあるが、道が狭いので、どこまで進んでいいのか躊躇してしまう。というわけで、予想以上に大原は見学に時間がかかるね。


…以上で観光地巡りは終了して東京への帰路に着いたが、高速道路¥1,000円キャンペーンの効果は絶大で、関東の高速の出入り口は大渋滞、叔父夫婦を送って実家にたどり着いたのはA.M.1:30頃だったかな。そのまま実家に一泊した次第。


6月6日の日記

スコーピオンズ、ザック・ワイルド、ドリーム・シアターのバラード集にジャーニーのベストを聴いた。


早朝3時に実家を出て、一路、滋賀県に向かった。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りだ。八王子~彦根間の高速道路料金が¥1,000円と表示された時は盛り上がったね~。ともかく、10時には安土城址に到着した。自分は今回、今まであまり足を運んだ事のなかった山麓の武家屋敷跡を巡ってみた。予想以上に広い…近年の発掘作業で門の跡なども出ているようだ。

水掘沿いなのか、地続きの路面に面していたのか定かではないが、とにかく多くの門が開かれていたようで、一つの門が更に左右に別れて、それぞれ別の屋敷に通じていたように見えた。規模的に小姓や馬廻の邸だったのだろう。江戸期に田畑として流用していたかもしれないので、石垣などは信長時代とは違うかもしれない。

しかし、このあたりはここ数日の雨のせいでぬかるんでいるだけではなく、野生の王国と化しており、草むらに足を突っ込めば、クモや蛇が湧いて出てくるわ、スズメバチは襲来するわで落ち着いて探索など出来ない。

毎年、安土に来て疑問に思っていたのが、山頂付近に一本高めの木がある事で…今回はその木がどれなのか特定してみた。本丸ではなくて、総見寺跡付近だろうな、とは察していたけど…

090606-01.jpg

真面目に探すと意外と簡単に見つかった。本堂跡の左向かいに立つ木だね。一応、写真に撮ったけれど、何だかわからないな…

090606-02.jpg

ところで、本丸に上る途中、長谷川屋敷跡(織田信雄ら三代の墓所)手前の石垣で思いっきりコケてしまった。私の言う公式記録では「妹に押されてコケた」のだが、居合わせた妹曰く「一人で石垣に飛び乗ろうと『トォッ!』と跳び上がったら、そのままベチャッと這いつくばってた」との事だ。

しかし、「大丈夫」と言いつつ立ち上がるまでは良かったが、右の腿が思うように上がらないのには参った。お陰でこの日は黒田官兵衛の如く、足を引きずるように歩く羽目になった。これまでの人生を振り返っても、記憶にないほどの痛みだったね。


本当は安土城跡の次には三井寺に立ち寄るつもりだったのだが、昼食に予想以上に時間がかかり、予定変更、直接京都に入り、適当な所に寄る事にした。で、寄ったのが知恩院。時代劇などでもしばしば使われる特大の山門の迫力に両親と叔父夫婦は感嘆しきり…満足して頂いたようで何よりでした。


既に夕方4時半を回っている中、最後に立ち寄ったのが御霊神社…かつて上御霊社と呼ばれ、応仁の乱の開戦地となったところだ。

090606-03.jpg

文正二(1467)年1月18日、突如として管領職を奪われた畠山政長は管領屋敷の引き渡しを将軍足利義政より命じられ、軍を率いて屋敷を退去、京都市街の外れで陣を張りやすかったのか、地の理に秀でていたのか、この上御霊社に陣取った。

そこへ夕方に至って政長と家督を争う畠山義就が攻めかかって来た。幕府の実力者、山名宗全らの援兵も加わった義就方に対し、政長は独力で彼らを迎え撃つも多勢に無勢、敗れて逃走する。討ち死にの噂も流れたのだが、実際は山名宗全と幕府の主導権を争う細川勝元の邸に逃げ込んでいたらしい。

こうして3月の応仁への改元を経た5月、細川勝元が猛反撃を開始、東は東海地方、西は北九州から続々と軍勢が押し寄せ、それぞれが相手の陣取る大名屋敷や寺社に放火を繰り返し、花の都は灰塵に帰したわけだ。要するに我々が京都で目にする文化財建築はことごとく、応仁の乱以降の復興されたものなのだ。

というわけで、この御霊神社などは真っ先に焼き払われたわけで、乱を偲ぶものは写真の石碑以外、何もないのだが、鎮魂と平和への願い、そして我が幸せと目下の足腰の痛みの平癒を祈っておいた。

ところで、自分は車のキーを探しまわっていて、良く見ていなかったが、御霊神社で妹が賽銭を投げ入れたところで、どういう団体か知らないが、行者が数十人押し入って来て妹を排除してしまったらしい。というか、奴らは妹の投げ入れた賽銭で願い事したという事か…小銭とはいえ、立派な強盗じゃないの?でも、ああいうのが見られるのも京都ならではか。母は遺恨重畳とばかり、罵倒しまくっていたけど。


夕食の前には、足腰の健康に良いとされる護王神社の前を通ったので、安土城址でしたたかに打ちつけた足腰の回復を祈った。


夕食は「麺どころ 晃庵」であれこれおばんざいを頼んで、締めはうどん。腹いっぱいになりました。


宿に戻ってジャイアンツの勝利を知って更に満足。内海投手は勝ち星は少ないが、勝った相手は岩隈投手にダルビッシュ投手と記憶に残る試合を制しているのが素晴らしい。


上機嫌で更にビールを飲んでから、妹と夜のお散歩。二条城にまで足を運んで、路地裏の石碑を回りながらホテルに戻った。妙顕寺城なんて、初めて知ったよ。


サッカー日本代表の試合の事はすっかり忘れて風呂につかっていた。足腰の痛みが気になっていたので…風呂で腰を打ちつけた痣を見て泣き笑い。昼に食べたステーキの断面みたいになっていた。そりゃあ痛いわけだ…とそのままうたた寝、気がつくとすぐにベッドにもぐり込んだ。


3月13日の日記

ドリーム・シアター"Awake"、"Falling Into Infinity"を聴いた。


やっぱりキューバは打つなぁ。序盤はメキシコも対等に渡り合っていたんだけど…、ただ、キューバ打線は落ちるボールを空振りする場面も多かった。決して勝てない相手ではないわね。


夕方はサントリー美術館で三井寺展を見た。

090313-01.jpg

中興の祖である高僧円珍への厚いリスペクトを感じさせる秘仏をはじめ、国宝、重文に指定された展示物がズラリ。「黄不動」と称される不動明王像は背中まで筋骨隆々でWWEのジャック・スワガーみたいだった。異様なのは円珍が唐からの帰途に出会い、三井寺へと導いたという新羅明神像で顔面中央に両の目が寄って垂れ下がる容貌は見たことない類の像だった。

090313-02.jpg090314-3.jpg

左が智証大師円珍坐像で、内部には遺骨が納められていると言われており、「御骨坐像」とも呼ばれている。右は新羅明神坐像。

TVもインターネットもない時代、一心不乱に修行に励めば、不動明王や新羅明神が夢に現れるというのは判る気がする。

夢といえば、私の妹は最近、夢に金城武とジダンが出てきて、家で会食をしたらしい。「金城武はファンだから判るけど、ジダンは意味不明」と首を傾げていた。対照的な存在なんじゃないの?ちなみに私は最近、自宅の裏庭の池(実際にそんなものはない)で新種の動物を発見した夢を見た。これがニョロニョロにそっくりな奇怪な動物で…とても神や仏のようにも見えなかったな。

美術館を出た後は、お好み焼きを食べて帰った。さすがに六本木で食べると価格の桁が違うわ。


8月15日の日記~米沢旅行・その一

ドリーム・シアターを色々聴いた。

7時頃、車で実家を出て、米沢へ向かった。母親の誕生日プレゼントを兼ねての旅行で、妹も一緒。来年の大河ドラマの予習や史跡巡りといった自身の趣味も兼ねている事は言うまでもない。

妹は旅行となると、ガイドなどで様々予習をして来るのだが、今回も何やらメモにビッシリ書き込んである。聞いたら行きがけのSA、PAのグルメ情報との事。マメだなぁ。もっとも、寄ったのは上河内SAだけで、水とスキヤキまんを買ったくらいだったが。

事前の計算通り、昼前には米沢市街に入る。昼食には微妙に早かったので、まずは米沢藩主上杉家の廟所に行くことに。杉木立の中、歴代藩主の霊廟がずらりと並んでおり、

080915-01.jpg

中央奥には藩祖謙信公の霊廟が鎮座している。

080915-02.jpg

自分は米沢を訪ねるのは4回目だったと思うが、ここが一番好きな場所で、必ず立ち寄っている。一方、母と妹は初めて。古木を愛でるのが好きな母は廟所の石垣にめり込むほどの杉の巨木に抱きついていた。

昼食は米沢城址の堀端にあるラーメン屋「お堀端さっぽろ」へ。自分は辛味噌をトッピングして汗だく、ちぢれ麺で美味いわ。

080915-03.jpg

食後、堀端に咲く蓮の花が見事で、しばし撮影。花を覆い隠す葉をどかすのにWii Fitで鍛えたバランス感覚がついに役だった(?)。しかし、蓮の花というものは、自然のものとは思えないほどに色鮮やかで美しく、そこに仏様がいると考えた人々の気持ちが良く分かった。

米沢城址を散策するのは後回しにして、次に訪れたのが林泉寺。新潟の林泉寺には二回行った事があるが、米沢は初めてだ。ここには直江兼続をはじめとする上杉家臣団、一族の墓所となっている。ちなみに母は「りんせんじ」と聞いて上杉家の武勇から来る先入観のせいか「臨戦寺」だとばっかり思い込んでいたらしい。笑った。

080915-04.jpg
これは直江兼続夫妻の墓所。墓石が舘の形をしていて、珍しい。

墓所の入口にある観音様「ふれあし観音」脇の賽銭箱には、どういう細工がしてあるのか、小銭を落とすと鈴鳴りのような良い音がする。

「もう一回入れたくなるような音よねぇ」

と母は感心している(言うだけで入れない…)。で、小銭の持ち合わせのなかった私、アルミ製のコインをやむを得ず投入すると、

「チーン…」

という何とも情けない音がした。

「音色でいくら入れたかバレるな…」

思っていたら、すかさず妹が突っ込んで来た。しょうがないやんけ。

その後、伝国の杜米沢市上杉博物館へ。上杉鷹山の映画を見たが、この人、苦労してたんだなぁ。この博物館、一度来ているはずだけど、中の様子が昔と違うような…

かくして、米沢観光を夕方まで楽しんだところで、宿に向かう。スキー場内のペンションで、標高700mまで上る。ペンションに泊まるのは初めてなので、ちょっとドキドキする。気の弱そうな犬が吠えて出迎え。でかい猫もいた。

心配していたお風呂も快適で、食事は前評判通り、米沢牛ステーキを中心に美味しかった。山の中なので、虫が多かったが、余興とばかり、アブやカマドウマ、ハエを撃退した。

部屋に戻ってからは地ビールと米沢牛ビーフジャーキーで乾杯!

080915-06.jpg


9月16日の日記~米沢旅行・その2

ドリーム・シアターとデフ・レパードを色々聴いた。

6時頃起床、朝食が8:00なので、朝風呂に入ってから、ペンション周辺を散歩。さすがに標高が700mあると朝方、霧に包み込まれるような場面もある。種類はよく知らないが、多くの花が咲いており、虫などを探してみたが、奇怪なクモやカメムシなど、ゲテモノの類ばかり。営業を止め、廃屋と化した建物も見られるのが切ない…ペンションのベランダでたそがれていたら、猫が来た。「ゴロー」という名前らしい。

080916-01.jpg

でもこの猫、カメラ目線を嫌がるんだよね。抱かれたり、撫でられたりするのを嫌がったりはしないが、人の目を見ない。一晩明けて、だいぶ慣れて来たらしく、じゃれついて来たりもしたけれど、ついに、見つめ合う事はなかった…。
一晩明けて、実は犬が二匹飼われていたことを知る。いずれも捨て犬だったそうだ。それで何かトラウマがあって、初めてのお客さんに懐こうとしないのか…オーナーさんの人柄が伝わるなぁ。お世話になりました。

宿を出て、再び米沢市内へ。朝、起きた時は酷い天気になるのではないかとも思われたが、快晴。まずは米沢城址をブラブラ。宝物殿には直江兼続の「愛」の前立てつきの有名な甲冑もあった。ちなみにあの「愛」は別に「LOVE」を意味しているわけではない。愛染明王なる信仰の対象の一つだ。下は城址に鎮座する藩祖、上杉輝虎入道謙信公の銅像。
080916-02.jpg

母と妹を城址苑の土産物店に置いて、一人で米沢城址を歩き回った。本丸のお堀以外、何もないんだよなぁ…。当時から、米沢城には石垣の類はなく、堀と土塁で造成された城郭で、三階建ての櫓が二基、天守閣の代わりを担っていたそうだ。櫓台は一か所はそれとわかったが、もう一か所は破壊されていたと思う。
080916-03.jpg
一見、櫓台にも見えるが、この堀の向こうの塁上には、江戸時代、謙信公の遺骸を収めた御堂が安置されていたそうだ。

昼食はラーメンと並ぶ米沢名物、日本蕎麦を「矢平」なるお店で食べる。コシのある板ソバも美味だったが、味噌を乗せて表面をカラっと揚げたようなソバ田楽には感激…

食後、慶長二年(1597~上杉氏が会津・米沢に移って来た年)に出来たという酒蔵東光に行ってみた。もちろん、当時の建物ではないが、明治時代の馬鹿デカい蔵や商家の建築、庭園に驚愕。室町時代作の備前焼の大甕もあった。商売上手だったんだろうな…あやからないと。下はカメラに収まりきらない酒蔵の一部。自分は日本酒は飲まないので、何も買わなかったが、妹が大吟醸をゲット。
080916-04.jpg

最後に観光で立ち寄ったのが、旧米沢高等工業学校本館校舎、現在の山形大学工学部の敷地内にある。昨日、林泉寺に立ち寄る途中に見かけて、「これは凄い!」と思い立ち寄った次第。これ、国の重要文化財である。明治時代の西洋建築は史跡巡りをしていると、見かける事はよくあるが、こんなに馬鹿デカい建築にはなかなかお目にかかれない。しかも、内装も含めて保存も行き届いている。
080916-05.jpg

…というわけで、今回の小旅行は終了。9時過ぎには実家に戻って巨人、阪神のゲーム差が3に縮まったことを知り、米沢市内のあちこちでお参りした効果が早くも出たかと満足この上なし。

12時過ぎに帰宅。博物館で買った上杉景勝や直江兼続に関する展示図録を読みながら爆睡。


6月1日の日記~安土城

目を覚ますと7時…何てこった!早朝、洛中を散歩したかったのに…

天気は昨日とは打ってかわって快晴。朝食はホテル近くの喫茶店でモーニング・セットでパンとコーヒーを食す。妻と母、妹はその後、護王神社を探索したようだが、自分とDaddyはホテルで休息した。

9時過ぎにホテルを出て、安土城址へ向かったが、せっかく京都にいるんだし…と言う事で、かつての本能寺跡へ行ってみた。現在、地図や観光本に掲載されている本能寺は、後に豊臣秀吉による区画整理で移転されたもので、有名な「本能寺の変」が起きた場所ではない。というわけで、狭い路地を通り、犬の散歩をしている地元の方に道を尋ねつつ、たどり着いた旧本能寺跡。
080601-honnouji.jpg
今は老人ホームになっているらしいが、最近、発掘したら色々なものが出てきたとか、ニュースで話題にもなっていた。天正十(1582)年6月2日、この地で日本史上最大のクーデター事件が起きたのか…と思いを馳せつつ、家族で石碑を中心に記念写真。


これで今年は京都に思い残す事はない、と安土に向かったが、予想外に交通渋滞などに引っかかり、予定より遅く安土に到着した。

安土に行くと母は必ずスーパーで近江米を買うのだが(実際、これが安くて美味い)、昼食はそのスーパーの前のおばんざい屋「味葦庵」で和食のランチ・バイキング。2年ほど前に出来た店らしいが、毎年通っていたのに気がつかなかったな…安くて美味しくて大満足でした。

こうして、ようやく安土城に到着。
080601-azuchi2.jpg
写真はお花畑を前にした安土山。この周辺は素晴らしい開放感が味わえる癒し空間なのだ。

織田信長の命日直近の日曜日は毎年「安土信長祭」が開催され、多くの人が集まっている。既に武者行列などのイベントは終わったようだが、屋台などは大盛況だ。両親も近所からの以来で珍味の鮒鮨を購入していた。

面白かったのは、武者行列に参加した方々がそのまんまの格好で城跡を徘徊していて、観光客に大人気、記念写真を撮られまくっていた。しかし、あの格好で本丸まで登るのって辛くないのかな?

毎年、少しずつではあるが発掘整備の進んでいる安土城址、今年はそんなに変化は感じなかったが、祭りの行われていたのと、時間の関係でよく見られなかった山麓部分の整備、樹木の伐採が進んでいるという印象は受けた。来年は祭りの日を避けて、山麓部分を徹底的に歩いてみようと決意した次第。
080601-azuchi1.jpg

その後は特に寄り道せずに帰宅。帰りの車中、ラジオでソフトバンクvs巨人戦を聞いていたが、巨人サヨナラ負けという結果以前に、試合内容が両軍とも悪過ぎだ。順位に反映されてるよなぁ…


5月31日の日記~上洛

デフ・レパードの自作編集ベスト、エイジア"Asia"、"Alpha"、"Astra"を聴いた。

雨の中、滋賀県に向けて車で出発。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りなのだ。今回は家族五人だ。

当初の予定では最初に安土城址に行って墓参りした後に上洛、京都のホテル泊~日曜日に京都を軽く観光して帰宅というスケジュールを立てていたのだが、関ヶ原から彦根にかけての豪雨たるや、笑ってしまうほどで予定変更、まずは京都観光をする事にした。ところが、大津で食事&コーヒーを取っている間に雨が止んだ…日頃の善行がものをいったようだ。

写真は昼食に飲食した、京都にあるというパン屋「ラミデュパン」のコーヒーとSAのレストランの近江牛肉重。どちらも美味しかった。
080531-ohtsu1.jpg080531-ohtsu2.jpg


まずは東寺に到着。ここは堂内に国宝の立体曼荼羅があり、最近、仏像にご執心の母や妹に良かろうというわけで行ってみた。

この寺、堂舎の消失~再建が繰り返された歴史を反映して、室町から現代にわたる壮大な建築物で構成されているのが、見所の一つだ。ま、敷地、伽藍をはじめ全体に規模、スケールがデカいので、そこいらのお寺とは、比較する事自体ナンセンスなのだが。

自分を除く家族皆が、それぞれカメラを持って撮影している様子は見ていておかしいが、一様に建物が大きすぎてフレームに収まらないとブーイングを上げていた。

080531-toji5.jpg
これは室町時代後期に再建された講堂で重要文化財。内部には弘法大師空海の残した国宝立体曼荼羅が安置されている。見事な仏像二十一体が並ぶ様は有り難味を忘れるほどに壮観。建物は平安時代以来の雅な趣が残っている。

080531-toji1.jpg
金堂は内部の薬師三尊像を含めて、安土桃山時代の豊臣秀頼による再建。戦国乱世の余燼を感じさせる豪快かつ壮大な建物で、初めて見たときは絶句したものだ。

080531-toji4.jpg
弘法大師が京都における住居とした大師堂も室町時代、三代将軍足利義満による再建。落ち着いた外観に内部も実用性の高さを感じさせる。

080531-toji3.jpg
私は東寺を訪れたのは二度目なのだが、今回、改めて圧倒されたのが、この五重塔だ。はじめて来た時の記憶は金堂のインパクトが強く、五重塔には、そんなに近くまで寄らなかったような…。江戸時代初期、徳川家光の再建によるもので、派手さはないが、重厚なデザインが見事だ。


ざっと東寺を廻った後、Daddyが八坂神社周辺の繁華街を見てみたいというので、近くの駐車場に入れて自由行動へ。私はショッピングする気力などなく、車中でしばし昼寝。後で妹に無様な爆睡姿を撮影されていたことを知る…。

宿は京都御所近くのホテルを予約していた。確か、2度目だったと思うが…あの時は西本願寺や大徳寺に行ったんだっけな。

夕食まで間があったので、一時間ほど時間が出来たので妹と散歩。京都御所を経て相国寺を目指したが、京都御所内に見所が多く、それ以上に広い!結局、途中で戻る羽目になった。幕末、禁門の変の舞台となった蛤御門て残っていたのね…当時の弾痕も撮影しました。
080531-gosyo1.jpg
080531-gosyo4.jpg

御所内は人気も少ないのに皇宮警察も頻繁にパトロールしていた。現在の皇居、江戸城跡周辺よりも警戒が厳しいような気がするほどだ。なんか、別世界だね。
080531-gosyo5.jpg


戻る途中、夕立に見舞われ、道端にあった猪を祀った護王神社でしばし雨宿り。本人の干支だからか、妹は興味津津のようだ。

「雨宿りのお世話になったから」
と妹が鳥居の脇の賽銭箱に小銭を入れると更に豪雨になる。
「なんだよ、俺にも払えってか」
と私も小銭を入れると程なく小降りになった。天気雨に近い状況だったので、空の様子が何とも神秘的だったな。
080531-goou.jpg


夕食はホテル近くの居酒屋で食べた。地ビールが美味しかった。食後、ホテルの部屋に戻っての二次会は私の誕生会。何時の間にやらケーキなどが用意されていた。
BGVはバレーボール男子の日本vsイタリア戦だったが、信じられない展開にチャンネルを「ごくせん」に変更…

11時頃に二次会を終え、深夜だというのに、相国寺へ向けて散歩を再チャレンジ。かほどに相国寺にこだわったのは、この周辺が応仁の乱の開戦地であったので、一度訪れてみたかったのだ。京都御所、周辺の公園が真っ暗だけど、通行は自由。パトカーのサイレンを頻繁に見かけるので、安心ではあるが。

意外な事に相国寺は深夜でもは入れる場所はあった。抜け道みたいなものなのかな。意外と通行人もいた。更に進んで御霊神社を目指す。応仁元年、管領職を突如として剥奪された畠山政長がここに立て籠もり、家督相続を巡って争う畠山義就勢が襲撃する。「上御霊社の戦い」が実質、応仁の乱開戦のゴングとなった。ところが、残念ながら、御霊神社は夜は開けていなかった。鬱蒼とした森が残っていて戦場となった雰囲気はわずかながら残っていたけど。来年以降、昼間に行ってみようかな。

というわけで散々歩き回ってホテルの風呂で湯に使ったまま爆睡、気がついてベッドに潜り込んだのは何時だったのだろう?


12月1日の日記~松本・諏訪小旅行・その1

早朝のニュースで亀田大毅選手の会見を見たが、面白みのカケラもなかった。朝青龍関の謝罪会見は大爆笑だったけど。質問する方もなぁ…自分が審判を下す!みたいな気持ちがカラ回りしているみたいで滑稽…まぁ、報道する側は視聴率が稼げれば良いんだろうけど。

で、今日は松本~諏訪へ一泊の小旅行に出かけた。7人と大人数なので、車ではなく新宿から8時半発の特急あずさに乗った。特急電車で城を見に行くなんて初めてだ。

11時半に松本駅着。やはり関東とは一段寒さが違う。とりあえず松本城を目指しつつ、街をぶらぶらしながら昼食を食べる蕎麦屋探し。結局「こばやし」という蕎麦屋に入った。店内では三人もの人が蕎麦を打っている。馬刺しに天ぷら盛り合わせ、蕎麦を注文して大満足。

この日の大目標である松本城は大河ドラマの影響で相当混んでいるのかと思っていたが、そうでもなかった。過去に天守閣の登り口が大行列を成していたこともあったので意外…考えてみれば12月ともなれば並んで待つには寒いしね。

天守閣は年長組も含めて、何とか皆で最上階へ登った。以前、冷たい風が吹き込んできて恐ろしく寒いと感じたこともあったが、今日は冬場の割には大丈夫だった。むしろ心地よい涼しさという感じで…これも温暖化の影響かね。

天守を降りてから、改めて周囲を廻りながら写真を撮影したりしたのだが、鯱鉾の上にトビが2羽止まっていた。城の周囲の堀の水の浄化も進んでおり、鯉や水鳥ばかりか、小魚まで透けて見えた。ああいうのは良いね。

071201.JPG

城をざっと見た後はコーヒーでも飲もうかと思ったが、時間がなかったので、事前に下諏訪で予約していた宿へ向かうことにした。時間もあるし、下諏訪駅から歩いてみたら、予想外に遠くて40分くらい歩くことになってしまい、母は大ブーイング。

宿に着いた直後のニュースで浦和の敗戦~鹿島の逆転優勝を知って言葉を失った。ここ一月ばかり勝利に見放されてるな…クラブワールドカップまでに何とかコンディションを取り戻してほしい。

宿の温泉は天然に偽りはないようで、肌にしみるし、男の自分でもお肌がみずみずしく感じられるほど。野球日本代表の試合を肴にしたビール&食事も美味しかった。

071201-1.jpg

フィギュアの安藤選手の3度にわたるコケっぷりには驚いた。練習のときにどこか怪我したのか?と思われるようなしぐさも見ていたから心配していたんだけど。武田選手の100万ドルの笑顔には参ったなぁ。惚れてしまいました。

フィギュア観戦後、コーヒーでも飲もうかと思い、1階のラウンジに行ってみたが、下手クソなカラオケ大会が行われていて閉口…従業員も辛いな。仕方ないので、夜の散歩も悪くはないかという事で、諏訪湖岸の夜景を楽しみつつ、モスバーガーまでブラリ。意外と…といってはなんだけど、お店は結構開いてるね。宴を終えたホテルのラウンジでは、酔っ払いが会社の同僚への愚痴をぶちまけていた。

12時過ぎには爆睡。


6月3日の日記~彦根城築城四百年

朝食はホテル内のバイキング。食堂が広くて、おかわりに行くのが億劫な感じだった。母は皿の上のものを全て食べていないのに下げられてちょっと不満げ。まぁ食事を出す側の思う壺ですな。

今年は彦根城が築城四百年という事で、観光客も随分と集まっている。普段は二の丸佐和口近くの駐車場に車を停めるのだが、この日はそこで観光物産展が開催されており、大手の普段はグランドに使われていると思われる臨時駐車場に車を入れて、これまた珍しく、大手橋から城内へ。

続きを読む "6月3日の日記~彦根城築城四百年" »


6月2日の日記~安土城址へ墓参

ミートローフ"Bat Out Of Hell"シリーズ3作、マスタープラン、オーディオスレイヴの自作ベストを聴いた。

早朝、母、妹、叔母を連れて滋賀県に向けて出発。天正10(1582)年のこの日は本能寺の変が起きた日…つまり、織田信長の命日というわけで、その墓参りに出かけたのだ。私の場合、ここ15年ほどは毎年恒例のことだけど。

続きを読む "6月2日の日記~安土城址へ墓参" »


4月30日の日記~石和Part.2

起きてすぐにコンビニへのど飴とちり紙を買いに出かけた。発熱こそないものの、自然と鼻水は垂れてくるし、くしゃみも連発で悲惨な有様。とりあえず温泉による湯治効果を祈りつつ、朝から温泉に浸かってみた。あまりに心地よくてしばしウトウト…。

またヤンキース負けたのか。昨日の勝ち方で勢いに乗るかと思ったが…なかなか上手くいかないな。

風邪を押して宿を出て勝沼へむかった。ワインショップの側に勝沼氏館跡が整備されているらしい。戦国期の武家屋敷の遺構が残っているのはなかなか貴重なのだ。案内板に従って停めた駐車場からやや離れたところに土塁らしきものが見える。近くでテントを張っていた方に確認して行ってみると、意外に大きな堀と土塁が出てきた。

c-katsunuma1.jpg

内部は遺構が整備されて公園になっていた。水路が巡っているのが印象的だった。建物跡は去年行った朝倉氏館などに比べると規模が小さいね。しかし、地方の国人領主の館跡を想像させる遺構は大いに参考になった。下の写真、手前が厩跡で、その奥に見えるのが館などの殿舎建築にあたる。

c-katsunuma4.jpg

ちなみに勝沼氏最後の当主信元は武田信玄の従兄弟にあたるが、謀反の嫌疑を受けて成敗されて滅亡している。このため、放置された館跡が残されたらしい。

その後、ワイナリーに立ち寄った。皆が試飲、購入する中、風邪っぴきの私はウロウロするだけ。鼻水の垂れるのは収まってきたけど、咽喉が相変わらずヒリヒリする。

ワインの買い物終了後に親戚と別れ、妹と母、それに私の三人になった。昼食後、近くにある大善寺へ向かった。山梨県で最も古い建築である薬師堂が国宝になっている。国道に出ると山の麓に大きな建物が見えてきた。

江戸期に再建された山門を潜って参道を登っていくと、桧皮葺の巨大な国宝薬師堂に着いた。想像以上の大きさだ。

t-daizen3.jpg

この寺は養老二(718)年の開基で、薬師堂は鎌倉時代末期、元寇を経た弘安九(1286)年に執権北条貞時によって建立されたという。つまり、築720年か…屋根の反りなどは、さほど大きくなく、豪快、華麗というより、落ち着いた風情を感じる建築だ。

ちなみに先ほど立ち寄った勝沼館の勝沼信元が信玄に打たれた際、信元の妻は出家して理慶尼と称して大善寺に入ったという。そして勝沼氏滅亡から約二十年を経た天正十(1582)年、勝沼氏を滅ぼした武田氏に滅亡の時が来た。織田軍に追われるようにやって来た武田勝頼主従が逃げる途中、大善寺に立ち寄り一夜を過ごして、再起を祈ったのだという。その後、逃亡先にしていた郡内領主、小山田信茂に裏切られ、進退窮まった勝頼主従は勝沼から程近い天目山田野で自害して滅亡した。理慶尼はこうした武田家滅亡の様子を「理慶尼記」に書きまとめて残している。

当時の武田勝頼や理慶尼らの思いを馳せながら、今に残る薬師堂を外から眺め、内部の十二神将をはじめとする仏像群を拝観して、今回の史跡めぐりは終了。

帰りはどうせ渋滞だろうし、高速道路を使わず家路についた。実家に母と妹を送り届け、割と早めに帰宅。風邪を治すため、とっとと寝た。

CDはフィリップ・セイス"Silver Wheel Of Stars"、ポーキュパイン・ツリー"Fear Of A Blind Planet"、エアロスミス"Honkin' On Bobo"、ペイン・オヴ・サルベイション"Scarsick"、ミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of HellⅡ"、"Bat Out Of HellⅢ"を聴いた。
風邪で朦朧としていたけど、ペイン・オヴ・サルベイションがカッコ良かったね。


4月29日の日記~石和Part.1

昨晩から実家のソファでそのまま寝ていたが、妻の風邪が移っていたらしく、更に昨晩の寒さが祟って嫌な鼻水、くしゃみ、咽喉の痛みが出た。しかし、今日は石和の温泉で親戚の集まりついでに山梨県内の史跡探訪に行こうと決めていたので、無理して出発。
母親は前日から石和に行っており、父親は背中の腫れ物を切除した関係で温泉に駄目出しが出て、留守番ということで、妹を連れて行った。

出掛けにヤンキースの井川投手が先発投手の負傷降板で途中登板して好投、勝利投手になりそうだとの報に接した。目出度い!これでチームの調子も上がればいいけど。

ところで、そもそも私はGWやお盆休みといった連休時にドライブに行くのは大嫌いなのだが、案の定、中央道は渋滞。覚悟はしていたが、ETCレーンが一番混んでいる状態にはさすがに立腹した。まぁ、今日は快晴で富士山の眺めが非常に良いのが救いではあった。せっかくだからと双葉SAで車を降り、展望台で妹が富士山を記念撮影。私は見知らぬ家族に頼まれて、やはり富士山を背景に記念撮影をしてあげた。SLAYERのTシャツを着ていても、私からはフレンドリーな人柄がにじみ出るようだ。

昼食は山梨に来たら、とりあえずほうとうを食べたくなるもんだろう、ということで韮崎ICを下りてすぐ、「信玄餅」で有名な桔梗屋が運営している食事処「水琴茶堂」でほうとうを食べた。けんちん汁がおかわりし放題とは珍しい。今日は暖かかったので、汗が出たけど、美味しかった。自分の体調が…くしゃみ、鼻水が止まらないのには参ったけど。店を出る際、親戚へのお土産に「幻のコロッケ」も購入した。

さて、今回の史跡探訪の最初の地は武田八幡神社である。鎌倉時代、甲斐の国、つまり現在の山梨県の守護に任じられた甲斐武田氏初代、武田信義が氏神とした神社で、現在の社殿は武田晴信(信玄)による再建という事なので、行ってみた。
車で遠目に無骨な二の鳥居が見え「石鳥居か?」と思って車を降りてみると木製で当初の朱塗りが禿げてしまったものらしい。神額なぞは文字が読めないほど劣化している。案内板を読むと武田信虎(信玄の父親)が建て、江戸期に修復だか再建したという事になっていた。
ここから、なだらかな坂を上って行くと一の鳥居、本殿に着く。実際はここにも駐車場があったけど。驚いたのは一の鳥居の大きさで、遠目にはかなりの大きさと思って、いざ、たどり着いてみると高さ2m前後の小ぶりな石鳥居だった。しかも、鳥居を潜るというより、その脇を抜けるように通路、石段が配されている。わざわざ石垣も含めて重要文化財に指定されているので、当時からこうだったのだろう。珍しい参拝ルートだ。

s-takedahachiman2.jpg

そして両脇の大木がまた圧巻だ。左側の巨木の洞からは冷たい空気が吹き出ていて、「風邪が治るかもしれない」と顔を近づけて思い切り息を吸っておいた。この木、信玄も見上げたんだろうなぁ…

信玄が再建したという社殿も、室町時代の武家が関わったと思わせる豪快な建築だ。木鼻や懸魚が妙にデカイのだ。鬼瓦もリアルに恐ろしげで、今にも動き出しそうだった。

s-takedahachiman3.jpg

すぐ近くに白山城の城址があるとの案内があり、動物除けの高圧電流を巡らせた金網内に侵入したものの、道がよくわからない上、時間もないので、今回は断念した。鼻水とくしゃみも止まらないし。

しかし、そんな体調にもめげず、今度は新府城へ行った。織田信長に滅ぼされた武田家最後の当主、勝頼によって築かれた城で、信玄の時代の甲府の躑躅が崎館(現武田神社)とは規模も桁違いに大きな城郭だ。ただし、完成を前にして織田の大軍の侵入を許し、勝頼は城を捨てることを余儀なくされるのだが。

私は過去に二度、この城址を訪れているのだが、今回は城の北方から侵入を試みた。
この城、西側は釜無川に面した目の回るような断崖絶壁で、残る三方を堀で囲んである。これらのうち、北、東はやはり堀から城内が急斜面で、北西部分に小さな搦め手口を設け、南方の比較的なだらかな方向に大手口を開き、防備施設を築いてある。
北方には堀に突き出るように二つの出構と呼ばれる陣地のような施設があり、このうちの一つから城址に入る。山道を登れば程なく本丸直下の帯郭に出る。こうして実際に歩くと、新府城は北方の防御があまりにも脆弱である事が実感できる。
本丸跡には勝頼はじめ、滅亡した武田一族、家臣団を祀ってある。ここから南へ大手方面に進むと土塁、堀で作られた堅固な防御施設を見ることが出来る。特に二重の馬出しで囲まれた大手口は必見だ。ここは甲斐武田氏独自の防御施設、丸馬出しと三日月堀が残る貴重な城址なのだ。もちろん、松代や松本、高遠など、かつて武田氏が築いた城址にもこうした遺構はあったのだが、明治維新以降の開発で、堀から突き出した馬出しなどというものは無用の長物として次々と破壊され、埋め立てられてしまったのだ。その点、平地でなく山中に築かれた新府城は破壊を逃れたわけだ。

c-shinpu6.jpg

巨大なので、全体像を上手く撮影できなかったが、右手に土塁が築かれ、その左の土塁に沿った窪みが三日月堀です。江戸期遺構、石垣による枡形形式の防御施設が主流となったわけだが、これは石垣で曲線状の塁壁を築くのには高い技術が必要だから仕方がない。だが、屈曲が出来れば死角が生まれやすく、それをカヴァーするために人数も多く必要になるというリスクもある。その点、土で作る戦国の城郭では半円形の土塁と堀の組み合わせを手軽に築く事によって、最小限の人数で広い視野を確保して門を守り、かつ出撃路を確保出来たのだ。こうした施設を考案したのが、信玄の時代の甲斐武田氏なのである。

その後、もと来た道を戻りつつ、井戸郭と搦め手口を見に行くと、大手口とは逆に随分と小奇麗に遺構が整備されていた。下は搦め手の虎口。見事に土塁で囲まれている。

c-shinpu10.jpg

長大な土塁などを嬉々として撮影していると妹に母からメールが。「バーベキューはじまるよ」って…まだ5時やんけ。

気が済むまで写真を撮りまくってから石和の宿に着いたのは何時だったかな?親戚一同、既に酒と温泉にまみれて潰れてました…

宿に着いてから風邪が本格化してきたようで、咽喉が痛い…食後、温泉に入る順番を待っていたら眠ってしまい、深夜2時頃に焼けるような咽喉の痛みで目を覚ましたら皆爆睡中だった。一人温泉に浸かり、咽喉の痛みを和らげるものを台所で探すが、飴の類は皆無。仕方なく、ポカリスエットでチビチビ咽喉を濡らしながら一晩を過ごした。

CDはミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of Hell Ⅱ"、"Bat Out Of Hell Ⅲ"、セリオン"Gothic Kabbalah"、マノウォー"Gods Of War"を聴いた。マノウォーはちょっとオーケストラに頼り過ぎじゃないかな。


1月14日の日記~江戸城展

友人のカネゴン氏と江戸東京博物館へ「江戸城展」を見に行った。

この時期に何故、江戸城を取り上げるのかと思っていたが、どうもドラマの「大奥」が絡んでいるようだ。

自分としては太田道灌時代の江戸城に興味があったのだが、その辺の展示は少なかった。やっぱり判っていない事が多いのか…想像ジオラマとかがあるのかと思っていたけど、なかった。道灌の書状は興味深かった。書体が…直筆なのかわからないが、随分と流麗だった。

他にも太閤分銅金や、江戸の大名達の生活を彷彿とさせる史料は興味深かった。

CGによる「ヴァーチャル江戸城」を見たが、御殿などの建造物主体で、城郭としての構造にはあまり触れていなかったので、自分的にはイマイチだった。「大奥」ファンには楽しめたんじゃないかな?

それにしても、思いの他、混んでいた。

博物館を見た後、ちゃんこ鍋を食べて帰宅。


11月23日の日記~仏像展~

061123.jpg

上野の東京国立博物館へ「仏像~一木にこめられた祈り」展を見に行った。私は仏像マニアではないが、展示の大半が全国からつめた国宝か重文という凄まじい企画展であるし、行ってみた。母と妹なぞは「芸術新潮」で予習まで済ませていた。

博物館に向かう電車はそこそこ空いていたので、日程的に良い選択だったのかもと思いながら、現地に着いたら大間違いで入場規制が敷かれていた。幸い昼食時だったので、さほどの待ちぼうけも食らわず入れたけど。

いわゆる一本の木材から削りだされた仏像に焦点を当てた展示なので、大仏さんのようなものはなく、多くは立像…特に十一面観音が多い。こういう技法は奈良から平安時代が全盛であったらしいが、表情は様々だ。

宣伝ポスターやチラシに使用されている国宝、十一面観音菩薩立像(滋賀・向源寺)はさすがに放たれるオーラが違う。写真以上に現物から放たれる美しさや色気まで感じさせる神々しさに衝撃を受け、しばし呆然とさせられた。

「鉈彫」という技法もはじめて知った。模様のように鉈で削った跡をそのまま残しておく技法で、主に東国で流行ったらしい。圧巻は宝誌和尚立像(京都・西住寺)だ。顔が裂けた中から観音菩薩の顔が現れる瞬間を像にしたもので、そのインパクトたるや当時の庶民からすれば、「エクソシスト」級であったろう。

061123a.jpg

展示の後半は江戸時代の円空と木喰による独特の仏像がズラリ。これって信仰というより大衆芸術というか…もちろん、当時の庶民の信仰を支えたのは確かだろうが、ピカソのような芸術の天才の技と比べるべきものだと思った。見ていて思わず微笑んでしまうね。

内面をリフレッシュさせてくれた良い企画展でした。

夜は池袋の「膳丸」で飲み食いして帰宅。

その後、WWE「スマックダウン」を見たが、特に波乱はなかった。ブギーマンは面白かったけど。









↓スポンサー↓

禁煙しませんか?