12月15日の日記:坂本~安土探訪
前日夜に滋賀県に向けて出発したわけだが、5時前に大津SA着。ここで少し休んでから、高速を下りて大津市外を抜けて坂本城址へ。城址公園の駐車場に車を止めて夜明けを待った。しかし、思ったより暖かいな…関東の方が寒いや。
程なく日が出てきたので、城址探訪開始。写真は琵琶湖での夜明け。かつて、この地にあった坂本城に在城していた明智光秀も、この光景を眺めたんだろうなぁ…
城址公園には明智光秀の像も立っているが、正直、イマイチな出来だと思った。大きな埴輪みたい…

公園内には坂本城の石垣の名残と思われる石積みがあるが、一部はコンクリで固めてあったりして、当時の石垣であるのか良くわからない。公園内をブラブラしつつ、注意書きを読んでみると、どうやら、この公園が坂本城の中枢にあたるわけではないらしい。「300m北」と書いてあるので、とりあえず公園を出て国道161号線にそって北に向かった。
途中で国道を外れたところにある、戦前に設置された坂本城址の石碑を撮影した。Googleマップで坂本城址を検索すると、ここになるんだよね。石碑と案内板以外、何もないんだけど。
で、Googleマップを再び開いて、周辺の地図を調べてみると『明智塚』なる表記があった。これは…と思って行って見ると、坂本城落城の後、城内から収容された遺体、遺品の類を埋めた場所だという。という事はこの辺りが当時の坂本城の天守閣などがあった場所なのか?更に周囲を歩くと、明智塚から国道を隔てたところに『坂本城本丸跡』の石碑があった。どうやら、間違いないようだ。下の写真が明智塚。
坂本城は、明智光秀が山崎合戦で敗れて小栗栖で討たれた際には、重臣の明智秀満が守備していたのだが、光秀の敗死を悟った秀満は城内の金品財宝の類に目録を添えて、城を包囲する羽柴秀吉方に引き渡した後、城に火を放ち、一族自害して果てたという。こうした潔い最期が、敵方からも賞賛されたというので、戦後、戦死者に対して丁重な扱いがなされた事が考えられる。その証左が明智塚なのかもしれない。
坂本周辺の琵琶湖の岸部には、坂本城の石垣の名残を見る事が出来る。特に琵琶湖が渇水期になると、当時の石垣が湖底から姿を現すらしいのだが、残念ながら、この日は見る事が出来ず…
下の写真はとある民家の脇から琵琶湖の岸に出てみたところだが、石積み自体は後世の修築と思われるが、石材は坂本城のものではないかと思う。
せっかく坂本城址まで来たんだし…ということで、次に行ったのが西教寺。ここには明智光秀とその一族の墓がある。3度目だか4度目の来訪になるけれど、お参りに立ち寄った。写真は上手く撮れなかったけれど、境内から臨む坂本の町並み、琵琶湖に朝日が差し込む様子は絶景だった。
西教寺には、坂本城の城門が総門として使われているのだが、もう一つ、坂本城の城門が使われているとされているのが、聖衆来迎寺で、初めて訪ねてみたのだが…肝心の門が修復工事中だった(苦笑)。
ただし、境内に織田信長の重臣の一人、森可成の墓所があり、こちらをお参りして来た。可成は本能寺の変から十年以上前にこの辺りで、浅井、朝倉連合軍と交戦して討死しているのだ。可成を弔ったためか、かの比叡山焼き討ちの際、この寺は織田軍の攻撃を受けなかったらしい。西教寺は焼け落ちたんだけど、光秀が復興に協力してくれたそうで、今日、光秀関係の遺品や墓所が遺されているというわけ。
ここで坂本探訪は終了!で、時間は10時頃。結構歩いたからなぁ…。LAWSONで遅めの朝食を買って安土へ向かった。途中で膳所城址の脇を通った。ここもまだ、行った事ないな…来年以降、行ってみようかな。
滋賀県内を車で移動する場合、国道を使うより、脇に入った方が数倍快適なドライブが楽しめる。田畑や牛舎、川や湖の間をメタルかけながら駆け抜ける至福の一時…。
昼前に安土に到着。最初に博物館のあたりに寄ってから城址へ。最初は通常の登城路の東を散策して、昼食を食べに行ってまた城址に戻る…というスケジュールを考えていたのだが、駐車場料金を新たに¥500徴収するという表示を見かけて予定を変更、先に昼食を取ってから、まとめて城内を散策することにした。
昼食は安土の味葦庵にて近江牛トロトロカレーを食べた。前に来たときは、おばんざいバイキングだったが、今はバイキングと定食を交互にやっているらしい。しかし、凄い数の小鉢…
カレーはまさに牛肉!という味で、思っていた以上にスパイシーだった。要するに予想以上に好みの味だった。
おなか一杯になったところで再び安土城址へ。駐車場料金払って、通常の登城路から外れて東側の内堀の方へ廻った。夏場は草木が生い茂ってマムシやスズメバチなどもいるので、危険極まりないところだが、冬場は安心して歩ける。昨年だか、二年前にもこの辺りには行ったんだけども、危なくて途中で引き返したんだよね…
内堀で野生のカワセミを初めて見た。飛んでいると、水色に光り輝くように見えるのね。びっくりしたけれども、美しいものを見る事が出来て、得した気分だ。写真は…速くて無理でした。
…で、内堀沿いに歩いていくと弘法大師云々…と書かれたボロボロの幟が見えてきた。松源院なる寺らしい。安土城を管理する総見寺とは無関係なのか…?案内板にはここから登っても天主跡などには行けないとか書いてあったが、安土城の遺構である事には違いあるまいと入ってみた。寺は真新しい洗濯物などがあったので、人の出入りはあるようだが、この日は無人だったように思う。
ほどなく、巨大な石垣に到達。
案内用の石碑に「東門」と彫ってある。大正時代の発掘整備の際のものだ。確かに門は折れ曲がったルートになっていて、安土城の遺構に違いない。で、この門を抜けると結構な平地に出る。当時、御茶屋平と呼ばれていたらしい。驚いたのはこんな奇妙なものが築かれていた事で…
恐らく、安土城内で石垣に転用されていた墓石、仏石の類を集めてコンクリで固めたのだろう。更に四国八十八箇所巡りを模して江戸期、文化、文政、安政といった時期の彫られた仏石が山道沿いに設置されている。どうも大正時代に整備されたもののようだが…まぁ、この時期じゃないと入れないだろうな。
八十八箇所グルリと廻ってみたが、安土城関連の遺構で最も目を引いたのが、この石垣だった。上は馬場平と呼ばれている広大な平地なのだが、5m余の石垣を三段築いてある。今は樹木に覆われているが、当時は城下を行き交う人々の目を引いたんじゃないかな?
ただし、この辺りは人気が全くないので、注意が必要だ。特に夏場は危ないと思う。
ここで一旦山を下りて、現在の正式な見学路である大手道を通り過ぎて、今度は西側の百々橋口に向かってみた。ここ何年か、ここまで足を運ぶことはなかったのだが、案の定、新しく整備されていた。
新たな城門跡という事で、比較的小規模な門があったらしい。このため、城の防御施設が、これらの山際よりも更に広がっていたのでは?というような事が書かれていた。写真左側の石垣の上には監視用の物見櫓があったと考えられるそうだ。位置的に大手門と百々橋門の両方を見渡せるという、物見櫓を立てるのには好都合なのだ。
…というわけで、城の中枢に入るまでに散々歩き回ったが、ここでようやく、入場料払って大手道に入った。まぁ、この辺は毎年来ているので、サクサク歩いて…途中、宅配便のおじさんから昔話を教えてもらったり、初めて来たと思しき女性に声をかけたりと気ままに散策して山頂天主台跡に到着。
天主台から北への眺望はいつもと変わらないけれど、二の丸辺りから樹木が伐採されていて、かなり見通しが良くなった。発掘整備をまた行うのかもしれない。天主台から信長公の墓もこんなに良く見える。
これで、本日の城廻は終了!帰りは彦根に立ち寄ってスーパーで買い物。地方に行ったらお土産屋も良いけれど、地元の人々が行くスーパーを覗くと楽しいんだよね。この辺りならではのものはないかとウロウロ…
物価はあまり変わらないか。野菜は関東の方が安いかもね。
夕食は彦根駅前の鉄板焼き屋『まさ味』へ。滋賀のグルメというと近江牛や湖魚、鮒鮨といったものが有名だけれども、何千円も払って近江牛食べて得られる満足感と同等のものが、この店では¥220で味わえるのだ。
この鳥皮が最高に美味しいのだ。『鉄板一筋』のTシャツ来たお店のスタッフが調理する姿を見ているだけで楽しい。写真を撮った際に、
「母親がここの鳥皮が忘れられないというもんで…」
と声をかけると、先日も同じようなお客様がいて、親戚一同引き連れて再来店頂きまして…との事。やっぱり…。自分は他に出し巻き卵とお好み焼きを食べて大満足。車なので、ビールが飲めないのが残念だったが、来年あたり泊りがけで来るとしよう。
…というわけで、一日中、近江路を楽しんで帰路に着きました。今度は東北自動車道が無料の内に奥州へ足を伸ばすかな。


















































































































































