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3月7日の日記:長谷川等伯展

ボン・ジョヴィ"Bon Jovi"、ニッケルバック"The Long Road"を聴いた。


昼頃、東京国立博物館に向かった。途中、実家近くのイタリア食堂でハンバーグ&ナポリタン・ランチを頼んだら、ものすごい量でたまげた。母や妹が頼んだものの倍近いわ…。

…で、食後に上野の国立博物館で「長谷川等伯展」を見た。開催されると知ったときから楽しみにしていた展覧会だった。

何故、自分が長谷川等伯が好きなのかと言うと、昔、智積院で「楓図壁貼付」を初めて見たときに「狩野永徳以外にこんな絵を描ける人がいたのか!」と驚愕した思いがトラウマのように脳裏に張り付いている事と、桃山芸術の頂点に君臨した狩野一門に対峙せんとした等伯の意気込み、生き様が、ひねくれ者の自分に過剰な思い入れを抱かせるのだと思う。

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全体に、絵師としての等伯の生涯を辿るような展示内容が良かった。

通してみると、作品の出来不出来に意外とムラがあり「完全無欠」の絵師ではなかったという事もわかった。様々なスタイルに挑戦して、失敗もしながら、それぞれ素晴らしい作品を残して来た芸術家としての姿には触発されるものがあった。

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 ↑図録より~「柳橋水車図屏風」文字通り、柳と橋と水車…なんてことない3つの物を巧みに配して屏風に仕立てたものだが、この洗練されたセンス…当時の屏風絵のヒット商品だったそうだが、現代でもとてもポップに感じられる作品だと思った。

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 ↑図録より~「枯木猿候図」個人的にサルと言う動物は嫌いなんだけど…この絵はサルの毛並みの繊細さも見事だが、樹木の見せる力強さに圧倒された。

もちろん、国宝の楓図壁貼付の絢爛豪華な世界も、水墨画の頂点たる松林図屏風の静寂な世界も存分に楽しめた。

母親が見終わった後、公共放送の出口アンケートを受けたらしい。ボールペンもらって喜んでた。

帰りには、池袋で軽くワインを飲んで帰宅した。


しかし福山雅治は絵になるなぁ…あれこれ論じるのがバカバカしくなるほどだ。

11月23日の日記:皇室の名宝・第二期

ドリーム・シアター"Octavarium"を聴いた。


昼間は東京国立博物館へ「皇室の名宝展:第二期」を見に行った。昼食は揚州商人でラーメン、夕食はエチカのワイン・バー「ボナパルト」と先月「皇室の名宝展:第一期」を見に行った時と同じタイムラインでの行動を取った。

博物館は予想外に混んでいた。「第一期」の方がメジャーな展示物が多かったと思うけど…多分今回の方が展示物が細かいものが多くて、拝観に時間がかかるせいで込み合ったんじゃないかと思った。

教科書でよく見ていた聖徳太子像も出展されていたけれど、「描かれた当初の部分は少ない」との解説があったが、あの絵は後補部分が多いと言うことなのか?よくわからない解説だった。

正倉院に収蔵されたものが凄かったなぁ。螺鈿で飾られた弦楽器とか、どんな音が出るのだろうか?

来年は長谷川等伯と細川家にまつわる特別展が行われるそうで、楽しみだ。

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夕食はこんな感じ。

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奥はシーザーサラダで、手前は一見アイスクリームに見えるけれど、ジャガイモに酸味を利かせた前菜。ビールに合います。

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これはベーコンのグリル。予想外に大きな肉で驚いた。


帰宅後、WWE「スマックダウン」を見た。でも酔いに負けて最期まで見れずじまい。現地でこの日に行われたPPV「サヴァイヴァー・シリーズ」もサプライズは少なかったみたいね。波乱は明日の「ロウ」かな。

10月25日の日記:皇室の名宝展~第1期

ヤンキース戦は中止か…午前中の楽しみがなくなってしまいました。で、小雨降る中、近所のスーパーの朝市をブラブラ…朝一に相応しいほど安いな、と思えたのはグレープフルーツくらいだったかな。


午後は上野の国立博物館へ皇室の名宝展(第1期)を見に行った。上野へ行く前に腹ごしらえで揚州商人なる中華料理店へ行ってみた。

以前、ABCでCaoruさんから「杏仁豆腐が美味しいですよ」と勧められたことがあったのだが、なるほど、滑らかでミルキーな杏仁豆腐だ。ラーメンは「普通かも」と言われていたが、自分は美味しかった。「人気ナンバー1」とメニューに書いてあったスーラータンメンを食べたけれど、風邪の予防にも効果的な気がした。

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これが、なめらか杏仁豆腐。ラーメンは腹が減っていたので、撮影の機を逸しました…


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食後に上野へ移動した。今回の展示の中心は安土桃山時代の巨匠狩野永徳による唐獅子図屏風と、江戸期の画家伊藤若仲の動植綵絵三十点が一同に展示される事にある。このほかにも一流の画家、工芸家の作品が揃っていて唯一無二ともいえる絢爛豪華な展示物の数々には感心させられた。

子供のころから教科書などで見て来た唐獅子図屏風を実際に見るのは今回が初めてだったが、驚いたのはその大きさで…圧倒的な迫力に震えが来るほど感動した。

外国人の見学者も多いな、とこの日は感じたけれど、それは伊藤若冲の名に負うところが大きかったのかな?…鮮やかな色彩は、万国共通の美世界、誰が見ても言葉を失わせる説得力を誇っている。

もちろん、横山大観や円山応挙の作品も凄かったけど、近代以降の工芸品も素晴らしかった。100年ほど前にこういうものを献上したりとか、この国で行われていたんだもんなぁ…何か不思議な気分がした。


存分に目の保養をした後は、ワインバーでまったり過ごしてから帰宅。時代劇をきっちり見て、そのまま爆睡しました。

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酷い写真というか、構図だな…アルコールのせいかも?しかし、エチカの有料トイレ、パスモで課金されたのに扉が開かないのは遺憾千万だった。今思えば、開け方を間違えていたのかもしれない…(苦笑)一生懸命、横にスライドさせようとしたんだけれど、実は押せば開いたとか?

10月3日の日記

メガデス"Cryptic Writings"、"Risk"、"The World Needs A Hero"、"The Systems Has Failed"、フェア・ウォーニング"Fair Warning"、"Rain Maker"を聴いた。


朝、7時前に実家を出発して、新潟県上越への小旅行に向かった。一応、1ヶ月ほど経た母親への誕生日プレゼントも兼ねているけれど、上越を選んだのは自分なりの目的がある。まずはまっしぐらに上越高田を目指した。

道中の天気はイマイチだったが、特に支障なく上越高田に到着、そのまま高田城址にある上越市立総合博物館に向かった。

実は今回、市内で豊臣秀吉の御所参内と後陽成天皇の聚楽第行幸図屏風が発見され、これが期間限定で展示されることになった。10/4までの展示期間を終えた後は専門家による内容の精査が入ると思われる。

そもそも聚楽第は、関白に任じられた豊臣秀吉が京都における自身の本拠として、築いた城郭だ。ところが、この城が機能した期間は10年ほどしかなく、文禄五年に秀吉の関白職を引き継いでいた豊臣秀次が失脚すると、聚楽第も破却されてしまった。

程なく秀吉も没した上、豊臣家もまた滅び、その後を引き継いだ徳川幕府は伏見城、二条城をもって京都の政庁としたことで、聚楽第はまさに「幻の城」になってしまったわけだ。

そのためか、聚楽第に関しては、史料も殆ど残されておらず、いくつかの屏風を通してしか、その姿を想像するしかない。そこに今回の発見である。

「これは見に行くしかないだろ!」

というわけではるばる上越までやって来たわけだが、驚くべき事に博物館の駐車場が並んでいる…各地からマニアが馳せ参じているらしい。博物館内部も30分待ちで立ち止まらずに見なさいと来た。阿修羅展みたいだ。

地方の博物館でこんな行列に出くわした記憶なんて殆どないが…奈良の「正倉院展」くらいかな?

しかし、この屏風は素晴らしい。輿に乗った秀吉や天皇の姿、表情は判らないが、沿道に居並ぶ諸大名の顔ぶれから、描かれた時期を推定できそうだ。脇道の庶民の姿は当時の風俗が表れている。聚楽第の天守も最上階に望楼が巡らされている他、四方の扉には鳥が飛翔する様子が描かれていたようだ。

主役の屏風絵については…これは重要文化財指定は必定でしょ。私は秀吉を追慕するというより、この盛儀に参加した大名の誰かが自らの晴れの舞台を残そうとしたのではないか、という印象を持った。

気になったのは、輿の中にあって姿の見えない秀吉の後に乗り物に担がれた人物だ。このころの豊臣政権のNo.2は秀吉の実弟秀長でも、徳川家康でもなく、織田信長の次男信雄が内大臣の地位にあって秀吉に次ぐ存在だった。どうもこの人物は織田信雄だと思うのだが…ちなみに信雄は行幸の二年後に失脚している。にも関わらず、信雄を描いたということは…?妄想、想像は尽きないな。


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じっくり屏風を見たところで時間はお昼になった。昼食は黒ふねという和食屋へ行ってみた。3人とも海鮮丼を食べたが、さすが新潟、米も魚も旨い!いわゆる漬け丼タイプだが、この漬けダレが美味しいし、海苔やシソの風味も見事だった。店で使っている瓢箪型の焼酎の瓶を無料で配っていて、母が父親へのお土産にとゲットしていた。さすが、抜け目がない。

高田城は一度訪れたことがあるので、今回は散策しなかったが、城下に寺町として現在も63軒もの寺が残っていると知り、本堂が重要文化財で県内最大の寺院という浄興寺に行ってみた。

なるほど、高田の寺町は一般の住宅と寺が入り乱れてるわ…これ、観光用に整備したら良いとも思えたが…そんな中でも浄興寺は境内に数軒の塔頭寺院も擁している。その一つの苔蒸した玄関に近づくとカエルが二匹飛び出してきて、その内の一匹が私の手に飛び乗って来た。すかさず妹が記念撮影。

「このカエルは、なかなか人を見る目がある」

と言って苔の上に戻してやったが、もう一匹は必死で逃げ回っている。

「こいつは人を見る目がないな…」

追いかけるのは止めて境内を散策した。

さすがに県下最大というだけあって本堂がデカい…江戸期に造営され、重要文化財とのことだが、随分と保存、補修の手が入っているという印象だ。ガラス窓も付いてるし。屋根が杮葺ながら重厚な印象を与えるのが特徴かな。内部の装飾も豪華で、保存が行き届いている。

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また、浄土真宗の開祖、親鸞の本廟もある。親鸞の廟所は本願寺にあるとばっかり思い込んでいたが…京都で亡くなったものの、遺骨の一部は関東にあった浄興寺に納められ、その後、戦乱などで移転を繰り返し、現在の上越に至ったという事のようだ。

本廟は江戸期以降の建築のようだが、豪華な装飾が施されている。宝物館には上杉謙信が奉納したという伝承の残る鐘があったが、年号などは刻まれていなかった。使い込まれていて古いものだとは思ったが…龍の彫刻があまり微細ではないのが、鋳造時期を推測する証左になるのだろうか?

受付では黒猫が飼われていた。よく懐いているというか、動じない猫だった。カメラは苦手だったみたい。

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この日の観光はここで終了して、宿としたペンションへ。途中、妙高高原地ビールを購入した。その途中、妹に翌朝早くに帰らなければいけないことが発覚、明日はまず、駅に送らないといけないな。

赤倉温泉は露天でお湯は温めだったけど、いかにも体に良さそうな心地…露天風呂の岩が鍾乳石みたいに白く変形しているのが説得力抜群だ。滝のように降るお湯を直接浴びたら熱いの何の。

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夕食はきのこ鍋。鶏肉のつみれが美味しかったなぁ…食後は部屋で地ビール飲みながら、映画「マジック・アワー」を見た。突っ込みどころ満載なのに面白い所は、さすが三谷幸喜だね。

8月15日の日記

起床は前日のような早起きとはならず8時過ぎ、相当飲んだと思うが、二日酔いと言うほど辛くはなかった。

ところが、朝食に朝カレーをご飯だけでなく、残ったうどんにまでかけて食べたところ、急に胃の調子が悪くなってきた。当たり前か…


宿を皆で出たのが10時過ぎ?そのままスーパーとみやげ屋を廻ったところで、親戚とは別れた。親戚は皆、中央道八王子ICが近いのだが、ウチだけは埼玉…で、高速道路の渋滞が嫌いな私は恵林寺を訪ねつつ、そのまま国道140号に沿って秩父に抜けて帰ることにしたのだ。

昼前に恵林寺に到着した。戦国時代には武田氏の庇護を受けた事で知られる寺院だが、その滅亡に際して織田信長の焼き討ちを受けて一時荒廃している。しかし、程なくして発生した本能寺の変後は、徳川家康がその復興を支援したほか、江戸時代には五代将軍綱吉の側用人として辣腕を振るった柳沢吉保が甲府藩主として恵林寺を庇護したことで、開基以来、ある程度の勢力を維持しえただけあって、その規模はさすがに大きい。

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朱塗りの四脚門は、徳川家康が復興を支援した際に建てられたものと言われ、重要文化財。門自体の規模は小振りだが、太く良質な材木を使った安土桃山時代の気風を感じさせる豪快かつ華麗な建築だ。

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更に素晴らしいのが、国指定の名勝で、室町時代の創建時に夢窓疎石が築庭したという枯山水庭園だ。一日中四季の折々に訪ねてみたくなる庭で、これには感動した。後に京都で天龍寺や西芳寺の作庭も手がけたと知って納得したが、これだけ広大な敷地を無駄なく仕上げるセンスが凄い。

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恵林寺境内の売店脇で爆睡する猫。子供達が触っても起きなかったらしい。


昼食は恵林寺内の蕎麦屋で食べたが、自分は腹具合が悪くてアイスコーヒーのみ、しかもこのアイスコーヒーがイマイチで…そもそも、胃が疲れているのにアイスコーヒーをチョイスすること自体が間違いなんだけど。

しかし、食後に親が持っていた胃薬を飲むと、あら不思議、というほどに気分が良くなった。単純だなぁ。

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食後に門前脇の直売店で桃を買った。食事の最中に呼び出した上、父親の無理難題に応じて、その場で桃を切ってくれたお店の方に感謝。

国道140号線を通って山梨を出るのは初めてなのだが、これはなかなかドライヴには楽しい。県境のトンネルが有料だけど、ダムとか道の駅、橋など、見るべきものが多いのだ。下の写真は広瀬ダム。市街地の暑さと打って変わった涼しさにビックリ。

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で、胃薬飲んでから、空腹になった私はイノブタまんに天むすを食べた。イノブタまんは肉々しい感じだった。母親は恵林寺で蕎麦とみそおでんを食べたのに、その上みたらし団子を買って食べていた。もう車内で寝るだけなのに食べ過ぎだろう。この滝沢ダムでは、あまりの暑さにキレてるし。

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この階段、下りられるみたいなんだけど…ダム巡りも面白いかもね。


意外だったのが道路の渋滞で、特に秩父に入ってからが、帰省ラッシュというより、キャンプなどの観光客の多さから渋滞が発生しているように見えた。むしろ、随所で関越のインターと交差している川越街道は思った以上に楽だった。

というわけで、帰り道では夕飯に寿司を食べて実家に到着、一休みしてから自宅に帰って今回の旅行は終了しました。史跡ブログなどの更新もしないとなぁ…。

8月14日の日記

タリスマン"Cats & Dogs"、"7"を聴いた。


前夜、割と早めに酔いつぶれたからか、朝4時過ぎに目が覚めた。取りあえず、軽く温泉に浸かってから散歩に出てみた。夜明け前にも関わらず、外は妙に蒸し暑い。近くのお寺、神社をぶらつき、鉄棒で懸垂してみたりもした。今思うと、怪しい人だな。

散歩の途中、小さなコウモリが飛んでいたのだが、あれ、夜明けになると屋根の隙間に潜り込むのね。しかも、着地というか、壁にへばりつくのがやたらと下手くそで、何度も壁にぶつかったりしながら、やっとこさ、という感じで屋根裏に入る姿がおかしかった。近所でも夕方にコウモリを見るけれど、夜明けにはあんな苦労をしているのかな?

散歩を終えて宿に戻ってもう一回温泉に浸かってリフレッシュ。朝食は前夜に続いてカレーを食べた。今日はスタミナをつけておかないと。


10時に妹と大月駅で待ち合わせていたので、一人で8時半頃に宿を出た。ちなみに他の親戚、家族は私が出掛けた後、向日葵を見に行ったらしい。

大月駅には約束の時間には余裕で着いたのだが、予想以上にこじんまりとした駅で驚いた。石和温泉駅の印象と、急行や特急が停車したり、高速のインターにもなっている事で、自分の脳内である程度ブランド化してるんだな。

それはともかく、大月駅に着いてからは前夜から朝食に至る食べ過ぎ飲み過ぎが祟ったのか腹痛であたふた…公衆トイレに紙がなくて駐車場に戻ったり、妹が来るまで駅周辺でかなり挙動不審だったと思う。

ほぼ10時きっかりに妹と待ち合わせた後、駅近くの岩殿山城へ向かった。中央自動車道や甲州街道、JR中央本線で大月駅周辺を通過した事があれば、この岩山を見たことがあるかと思う。この山が岩殿山城だ。

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元は修験者の修行の場であったらしいが…後にこの地域を支配する小山田氏の居城となる。「難攻不落」「天然の要害」とはこの城の為にある言葉と言いたくなるほど凄い場所にある城跡なのだ。

一応、岩殿山頂で昼食を取ろうかと考えて近くのスーパーで飲み物と食べ物を購入して、いざ!岩殿山への登山を開始。

途中、無料休憩所というか、資料館があるのだが、そこまでで既に汗だく、更に山頂を目指したが、いやはやこれはきつい。自分は三度目(内1回は連れの膝がパンクして断念)だが、こんなにきついものだったか。実際、初めて登った時も疲れてほとんど写真を撮影していなかったりするから、今回再訪したわけだが。

妹も息が上がっていたが、清々しい表情で下山して来た老婦人とすれ違ったり、子供をおんぶしてガンガン登っていく若いパパさんもいたりと、ビックリするような体力の持ち主に目を奪われつつ、ようやく登山道から城跡っぽい揚木戸門跡に到着した。

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巨大な岩盤が多い被さるようなところできっちり道も城門らしく屈曲している。登山道を見下ろせる番所跡のスペースもあって、この辺りには驚かされる。

ほどなく城内で最も展望が利く三の丸跡に出た。大月市街が一望出来、晴れた日には富士山もよく見えるそうだが、この日はあいにくの薄曇りで霊峰を拝めることは叶わず。

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ただ、この辺りから先の城址の雰囲気が、以前に行ったときの記憶とどうも合わないような…自分が他の山城と勘違いをしているのかもしれない。ともかく更に山道を進んで本丸跡に到着、現在はテレビの電波塔が並んでいて、城址の風情は皆無だ。

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確か池だか井戸の跡があったよなぁ…と思いつつ夏草の生い茂った中をうろうろしていると「廃寺跡」の矢印と標識を発見、少し行ってみると道も整備された感じで手すりも見える。

というわけで、この道を進んだのが大失敗。廃寺の跡も見つからないまま、次第に道は急峻な登山道に変貌し、土砂崩れの痕跡や破壊された手すりに仰天、逃げるように山を下りることになった次第。おかげで山頂の涼しい風の中、昼食を楽しむ機会も失ってしまった。さすがにもう一度登る気も起こらないし…結局、駐車場に戻って車内で済ませてしまった。

しかし、池の写真の撮影を逃したから、後日もう一度チャレンジしないとなぁ…今度はもう少し涼しい頃に来るとしよう。夏は見通しも悪くて駄目だ。


気を取り直して次に向かった先は甲斐武田氏終焉の地、景徳院。武田勝頼、信勝父子と勝頼の妻の墓所があり、最近発掘整備がされたらしいと聞いて来てみたのだが、まだ整備中で、供養塔も臨時の…とは言え、よく目立つ場所に移してあった。古木奇木の類が多いのが印象的。

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追っ手の立場になって橋の手前の駐車場に立ってみると、川を前にした小高い場所に景徳院があることが判り、いかにもここを最後という気持ちで勝頼主従が迎え撃った場所という事が納得できた。

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最後に立ち寄ったのが、中央道一宮御坂ICの名の元でもあろう甲斐国一宮浅間神社。甲州街道沿いに大きな鳥居が目立っていたので、どんなものかな?と立ち寄ってみたのだが、国道沿いの大鳥居から想像出来るほどの規模ではなかった。かつては相応の規模を誇っていたんだろうけどね。立派な松が植えてあったし、現地で見る事は出来ないが、後奈良天皇が武田信玄を介して奉納した重要文化財の般若心経を収蔵しているそうで、かつての繁栄を偲ぶ事は出来る。

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さて、見るものも見たし、帰ろうかと駐車場に向かって歩いていたら、何処からか犬がやって来たので、記念写真。

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良く懐いていたが、サバサバした性格のようで、ひとしきりの時間を過ごすと、またどこかへ去ってしまった。

帰りは地元のスーパーなどに寄って妹がお土産を物色、やっぱりワインの売り場が凄いね。あとご当地産のレトルト・カレーが充実していて面白かった。


宿に戻っての夕飯は母の得意料理の一つ、ハンバーグ鍋。このくそ暑い夏の山梨で鍋とはほとんど拷問…とも思えるが、物凄い人気であっという間になくなった。

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この日は妹に続いて、もう一人従兄弟が参加していたのだが、アホなネタを次々と投下した末に泥酔して酔いつぶれてしまった。かく言う自分も、いつ、どのように眠ったのか全く記憶がない…。

8月13日の日記

ドリーム・シアター"Black Clouds & Silver Linnings"、"Alchohole Anonymous Suite"、タリスマン"Humanimal"、"Life"を聴いた。


石和温泉に親戚が集まるというので、これに乗じて史跡巡りを計画、早朝に母を連れて出発した。ちなみに父は所用で後から合流、妹は仕事で翌日合流、私の妻はコミックマーケットで不参加。

渋滞嫌いの私は(渋滞中の運転は眠くなるし)、中央道の混雑を嫌い、高速料金¥1,000円を利用して関越~上信越~長野~中央自動車道という超迂回ルートでの石和行きを選択、関越も花園辺りまで渋滞しているとの事で、国道254号で花園から関越に乗り、まずは長野県の小諸城を目指した。

小諸城には重要文化財の大手門があるのだが、私が数年前に小諸を訪れた際、門は無残にも民家に改装された上、崩壊寸前、鬼でも住んでいるかの様相を呈していたが、最近修理工事が完了したとの事で、是非ともそれを確認したかったというわけ。

小諸城には9時過ぎに到着、空腹を我慢しつつ、まずは大手門を確認。これはまた立派な門に修復されましたなぁ…ちなみに数年目の古い写真と比較してみよう。
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数年前の写真は安いデジカメの上、良く使い方がわからず、撮影時間も夕方に近かった為か、まるで心霊写真のようだけど…。次に大手門をくぐった所、これまた、古い写真と比較してみると…
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この角度の方が、旧観の酷さがわかると思う。屋根とか、傾いて崩壊しかけていたりするし。この門は二階の格子窓部分などに、木目部分が露出しており、江戸期のほぼ全体を白漆喰で塗り固めた様式より古い形態を残しながら、戦国の空気が残る安土桃山時代の豪快な印象も偲ばせる貴重な遺構なのだ。

大手門の復元に満足した後、小師城址の中枢部分である懐古園に行った。母は学生時代の修学旅行だかで、小諸や上田を訪れた事があったらしく「50年ぶりよ!」などとはしゃぎながら、巨木古木から気を頂きましょうとペタペタ触って、パシャパシャ写真撮影していた。ただ、当時は今ほど整備されていなかったらしい。

残念だったのは、千曲川方面の景色を望める展望台部分の石垣が先日の地震で破損して通行不可になっていた事。

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更に園内にある動物園を見て(なんと、ライオンもいた)回ると、さすがに空腹に耐えかねて、本丸の売店で手打ち蕎麦を食べた。でも、城址の本丸に食堂があるって珍しいかもしれない…ちょっと大名気分だな。で、私が食べたのは冷やし山菜蕎麦。ここで売っていた地ビールを買い損ねたのが悔やまれた。

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再び上信越道に乗って一路、甲府を目指す。ここでは迂回路の長さを感じたな。各SAの混雑ぶりも印象的だった。甲府に着いたのは2時半くらいだったかな?まずは甲府城址で最近復元された山手門跡に向かった。甲府城址は甲府駅建設で城跡に線路が通ってしまって大きく破壊されているのだが、この山手門は城跡の中枢部とは線路で隔たれてしまった地域で、唯一復元可能な遺構のようだ。

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江戸時代の城郭に見られる巨大な桝形門で、巨大な石垣に総塗籠めの櫓門、銃眼で固められた遺構が見事に復元されていた。櫓門の中では修理工事、復元に至るビデオも見る事が出来た。正直、復元にいくらかかったんだろう?という疑問が一番大きかったけど、野暮なことは質問するまいと思った次第。

それにしても、甲府は猛烈に暑い。人間が出歩く環境じゃあないわ。

この日、最後に立ち寄ったのが武田神社、かつての戦国大名武田氏の館跡だ。驚いたのが、旧大手門周辺が復元工事を受けていた事。…ま、武田時代ではなく、その後の織田、徳川氏の手の入った遺構の復元ではあったが、新しい時代の到来を示すために敢えてこういうものを築いたんだろう。実に興味深い。

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既に石和の宿には親戚が終結したらしく、残った私と母はお土産に神社境内の井戸水や、ワインなどをお土産に購入、強烈な暑さにも耐えかね、自分らのためにソフトクリームを買ったのだが、これが美味い!いかにも山梨らしく、ブドウの風味が効いてるな、と思いながらペロペロしていると、母がハイ・トーンで「まぁ!ブドウの風味が効いていて美味しいわ」と声を挙げるや、周辺の観光客がドドドッと集まって来て、ソフトクリームを注文し始めた。私の母には、そういうポジティヴなオーラがあるらしい。

かくして、石和温泉にようやく到着して、親戚一同、カレーをメインにビール、焼酎で飲めや食えやの宴に突入。自分はこの日は温泉に浸かる事もなく、ブッ潰れた。ま、この日に関しては、史跡巡りも充実していて、思い残す事はなかったね。

6月7日の日記

5時ちょい過ぎに目を覚ますと、既に父と叔父は起きて一服していた。私は昨夜に思いついた通り、二条城へ散歩に行き、周囲を一周して、四方に開かれた門などを撮影してきた。昨夜も思ったけれど、城の周囲はジョギング・コースになっているようだ。東京の江戸城…皇居と似たような状況になっているね。


昨日、負傷した足腰はだいぶ良い感じ。我ながら驚異的な回復力だと感心した。あちこちでお参りした効果があったようだ。


朝食はホテル近くのベーカリー&喫茶、進々堂で食べた。あまりの美味しさに土産として食パンを買ったのだが、私が店でパンを切らずに購入したのが、母は気に入らなかったらしく、後でブーたれていたらしい。妹は人の家のパンの扱いに文句を言う母が理解不能のようだった…Me Too!

帰宅後、妻に「ああ切ってこうして調理しろ!」と命じて困らせる姿でも想像したのだろうか?パン自体がやたらでかくて荷物になるのが不満だったのかもしれないな。潰れやすいし。


今日は自分の脳内では醍醐寺か石山寺に行こうかと考えていたのだが、昨晩、叔父が大原、三千院の方に行ってみたいと言うので、そちらへ行く事にした。自分としてはいずれも初めて足を運ぶところなので、特に不満はなかったけれど、帰り道に苦労するのでは、という事だけが気になっていた。

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三千院の入り口、石垣なども立派だが、境内の広大さを知るや見学を止めた。何のためにここまで…まぁ、参道を登るだけでも結構な距離だからねぇ。大原は年寄りには辛いわ。その代わり、奥の宝泉院ではゆっくりと抹茶などを頂いてくつろいだ。血天井の下で。

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これは勝林院。三千院周辺では最もその起源が古いお寺のようだが、本堂などは江戸期に火災で焼けたため、復興したものだそうだ。

ホテルを出る時に小耳にはさんだが、インフルエンザの影響で観光客が激減しているらしい。お陰で自分らは余裕持って見学できるけど…。参道の売店とかホント、商売熱心でした。


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最後に立ち寄った寂光院。これまた参道をかなり歩く。意外に近くまで車で上がれるようでもあるが、道が狭いので、どこまで進んでいいのか躊躇してしまう。というわけで、予想以上に大原は見学に時間がかかるね。


…以上で観光地巡りは終了して東京への帰路に着いたが、高速道路¥1,000円キャンペーンの効果は絶大で、関東の高速の出入り口は大渋滞、叔父夫婦を送って実家にたどり着いたのはA.M.1:30頃だったかな。そのまま実家に一泊した次第。

6月6日の日記

スコーピオンズ、ザック・ワイルド、ドリーム・シアターのバラード集にジャーニーのベストを聴いた。


早朝3時に実家を出て、一路、滋賀県に向かった。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りだ。八王子~彦根間の高速道路料金が¥1,000円と表示された時は盛り上がったね~。ともかく、10時には安土城址に到着した。自分は今回、今まであまり足を運んだ事のなかった山麓の武家屋敷跡を巡ってみた。予想以上に広い…近年の発掘作業で門の跡なども出ているようだ。

水掘沿いなのか、地続きの路面に面していたのか定かではないが、とにかく多くの門が開かれていたようで、一つの門が更に左右に別れて、それぞれ別の屋敷に通じていたように見えた。規模的に小姓や馬廻の邸だったのだろう。江戸期に田畑として流用していたかもしれないので、石垣などは信長時代とは違うかもしれない。

しかし、このあたりはここ数日の雨のせいでぬかるんでいるだけではなく、野生の王国と化しており、草むらに足を突っ込めば、クモや蛇が湧いて出てくるわ、スズメバチは襲来するわで落ち着いて探索など出来ない。

毎年、安土に来て疑問に思っていたのが、山頂付近に一本高めの木がある事で…今回はその木がどれなのか特定してみた。本丸ではなくて、総見寺跡付近だろうな、とは察していたけど…

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真面目に探すと意外と簡単に見つかった。本堂跡の左向かいに立つ木だね。一応、写真に撮ったけれど、何だかわからないな…

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ところで、本丸に上る途中、長谷川屋敷跡(織田信雄ら三代の墓所)手前の石垣で思いっきりコケてしまった。私の言う公式記録では「妹に押されてコケた」のだが、居合わせた妹曰く「一人で石垣に飛び乗ろうと『トォッ!』と跳び上がったら、そのままベチャッと這いつくばってた」との事だ。

しかし、「大丈夫」と言いつつ立ち上がるまでは良かったが、右の腿が思うように上がらないのには参った。お陰でこの日は黒田官兵衛の如く、足を引きずるように歩く羽目になった。これまでの人生を振り返っても、記憶にないほどの痛みだったね。


本当は安土城跡の次には三井寺に立ち寄るつもりだったのだが、昼食に予想以上に時間がかかり、予定変更、直接京都に入り、適当な所に寄る事にした。で、寄ったのが知恩院。時代劇などでもしばしば使われる特大の山門の迫力に両親と叔父夫婦は感嘆しきり…満足して頂いたようで何よりでした。


既に夕方4時半を回っている中、最後に立ち寄ったのが御霊神社…かつて上御霊社と呼ばれ、応仁の乱の開戦地となったところだ。

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文正二(1467)年1月18日、突如として管領職を奪われた畠山政長は管領屋敷の引き渡しを将軍足利義政より命じられ、軍を率いて屋敷を退去、京都市街の外れで陣を張りやすかったのか、地の理に秀でていたのか、この上御霊社に陣取った。

そこへ夕方に至って政長と家督を争う畠山義就が攻めかかって来た。幕府の実力者、山名宗全らの援兵も加わった義就方に対し、政長は独力で彼らを迎え撃つも多勢に無勢、敗れて逃走する。討ち死にの噂も流れたのだが、実際は山名宗全と幕府の主導権を争う細川勝元の邸に逃げ込んでいたらしい。

こうして3月の応仁への改元を経た5月、細川勝元が猛反撃を開始、東は東海地方、西は北九州から続々と軍勢が押し寄せ、それぞれが相手の陣取る大名屋敷や寺社に放火を繰り返し、花の都は灰塵に帰したわけだ。要するに我々が京都で目にする文化財建築はことごとく、応仁の乱以降の復興されたものなのだ。

というわけで、この御霊神社などは真っ先に焼き払われたわけで、乱を偲ぶものは写真の石碑以外、何もないのだが、鎮魂と平和への願い、そして我が幸せと目下の足腰の痛みの平癒を祈っておいた。

ところで、自分は車のキーを探しまわっていて、良く見ていなかったが、御霊神社で妹が賽銭を投げ入れたところで、どういう団体か知らないが、行者が数十人押し入って来て妹を排除してしまったらしい。というか、奴らは妹の投げ入れた賽銭で願い事したという事か…小銭とはいえ、立派な強盗じゃないの?でも、ああいうのが見られるのも京都ならではか。母は遺恨重畳とばかり、罵倒しまくっていたけど。


夕食の前には、足腰の健康に良いとされる護王神社の前を通ったので、安土城址でしたたかに打ちつけた足腰の回復を祈った。


夕食は「麺どころ 晃庵」であれこれおばんざいを頼んで、締めはうどん。腹いっぱいになりました。


宿に戻ってジャイアンツの勝利を知って更に満足。内海投手は勝ち星は少ないが、勝った相手は岩隈投手にダルビッシュ投手と記憶に残る試合を制しているのが素晴らしい。


上機嫌で更にビールを飲んでから、妹と夜のお散歩。二条城にまで足を運んで、路地裏の石碑を回りながらホテルに戻った。妙顕寺城なんて、初めて知ったよ。


サッカー日本代表の試合の事はすっかり忘れて風呂につかっていた。足腰の痛みが気になっていたので…風呂で腰を打ちつけた痣を見て泣き笑い。昼に食べたステーキの断面みたいになっていた。そりゃあ痛いわけだ…とそのままうたた寝、気がつくとすぐにベッドにもぐり込んだ。

3月13日の日記

ドリーム・シアター"Awake"、"Falling Into Infinity"を聴いた。


やっぱりキューバは打つなぁ。序盤はメキシコも対等に渡り合っていたんだけど…、ただ、キューバ打線は落ちるボールを空振りする場面も多かった。決して勝てない相手ではないわね。


夕方はサントリー美術館で三井寺展を見た。

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中興の祖である高僧円珍への厚いリスペクトを感じさせる秘仏をはじめ、国宝、重文に指定された展示物がズラリ。「黄不動」と称される不動明王像は背中まで筋骨隆々でWWEのジャック・スワガーみたいだった。異様なのは円珍が唐からの帰途に出会い、三井寺へと導いたという新羅明神像で顔面中央に両の目が寄って垂れ下がる容貌は見たことない類の像だった。

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左が智証大師円珍坐像で、内部には遺骨が納められていると言われており、「御骨坐像」とも呼ばれている。右は新羅明神坐像。

TVもインターネットもない時代、一心不乱に修行に励めば、不動明王や新羅明神が夢に現れるというのは判る気がする。

夢といえば、私の妹は最近、夢に金城武とジダンが出てきて、家で会食をしたらしい。「金城武はファンだから判るけど、ジダンは意味不明」と首を傾げていた。対照的な存在なんじゃないの?ちなみに私は最近、自宅の裏庭の池(実際にそんなものはない)で新種の動物を発見した夢を見た。これがニョロニョロにそっくりな奇怪な動物で…とても神や仏のようにも見えなかったな。

美術館を出た後は、お好み焼きを食べて帰った。さすがに六本木で食べると価格の桁が違うわ。

8月15日の日記~米沢旅行・その一

ドリーム・シアターを色々聴いた。

7時頃、車で実家を出て、米沢へ向かった。母親の誕生日プレゼントを兼ねての旅行で、妹も一緒。来年の大河ドラマの予習や史跡巡りといった自身の趣味も兼ねている事は言うまでもない。

妹は旅行となると、ガイドなどで様々予習をして来るのだが、今回も何やらメモにビッシリ書き込んである。聞いたら行きがけのSA、PAのグルメ情報との事。マメだなぁ。もっとも、寄ったのは上河内SAだけで、水とスキヤキまんを買ったくらいだったが。

事前の計算通り、昼前には米沢市街に入る。昼食には微妙に早かったので、まずは米沢藩主上杉家の廟所に行くことに。杉木立の中、歴代藩主の霊廟がずらりと並んでおり、

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中央奥には藩祖謙信公の霊廟が鎮座している。

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自分は米沢を訪ねるのは4回目だったと思うが、ここが一番好きな場所で、必ず立ち寄っている。一方、母と妹は初めて。古木を愛でるのが好きな母は廟所の石垣にめり込むほどの杉の巨木に抱きついていた。

昼食は米沢城址の堀端にあるラーメン屋「お堀端さっぽろ」へ。自分は辛味噌をトッピングして汗だく、ちぢれ麺で美味いわ。

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食後、堀端に咲く蓮の花が見事で、しばし撮影。花を覆い隠す葉をどかすのにWii Fitで鍛えたバランス感覚がついに役だった(?)。しかし、蓮の花というものは、自然のものとは思えないほどに色鮮やかで美しく、そこに仏様がいると考えた人々の気持ちが良く分かった。

米沢城址を散策するのは後回しにして、次に訪れたのが林泉寺。新潟の林泉寺には二回行った事があるが、米沢は初めてだ。ここには直江兼続をはじめとする上杉家臣団、一族の墓所となっている。ちなみに母は「りんせんじ」と聞いて上杉家の武勇から来る先入観のせいか「臨戦寺」だとばっかり思い込んでいたらしい。笑った。

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これは直江兼続夫妻の墓所。墓石が舘の形をしていて、珍しい。

墓所の入口にある観音様「ふれあし観音」脇の賽銭箱には、どういう細工がしてあるのか、小銭を落とすと鈴鳴りのような良い音がする。

「もう一回入れたくなるような音よねぇ」

と母は感心している(言うだけで入れない…)。で、小銭の持ち合わせのなかった私、アルミ製のコインをやむを得ず投入すると、

「チーン…」

という何とも情けない音がした。

「音色でいくら入れたかバレるな…」

思っていたら、すかさず妹が突っ込んで来た。しょうがないやんけ。

その後、伝国の杜米沢市上杉博物館へ。上杉鷹山の映画を見たが、この人、苦労してたんだなぁ。この博物館、一度来ているはずだけど、中の様子が昔と違うような…

かくして、米沢観光を夕方まで楽しんだところで、宿に向かう。スキー場内のペンションで、標高700mまで上る。ペンションに泊まるのは初めてなので、ちょっとドキドキする。気の弱そうな犬が吠えて出迎え。でかい猫もいた。

心配していたお風呂も快適で、食事は前評判通り、米沢牛ステーキを中心に美味しかった。山の中なので、虫が多かったが、余興とばかり、アブやカマドウマ、ハエを撃退した。

部屋に戻ってからは地ビールと米沢牛ビーフジャーキーで乾杯!

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9月16日の日記~米沢旅行・その2

ドリーム・シアターとデフ・レパードを色々聴いた。

6時頃起床、朝食が8:00なので、朝風呂に入ってから、ペンション周辺を散歩。さすがに標高が700mあると朝方、霧に包み込まれるような場面もある。種類はよく知らないが、多くの花が咲いており、虫などを探してみたが、奇怪なクモやカメムシなど、ゲテモノの類ばかり。営業を止め、廃屋と化した建物も見られるのが切ない…ペンションのベランダでたそがれていたら、猫が来た。「ゴロー」という名前らしい。

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でもこの猫、カメラ目線を嫌がるんだよね。抱かれたり、撫でられたりするのを嫌がったりはしないが、人の目を見ない。一晩明けて、だいぶ慣れて来たらしく、じゃれついて来たりもしたけれど、ついに、見つめ合う事はなかった…。
一晩明けて、実は犬が二匹飼われていたことを知る。いずれも捨て犬だったそうだ。それで何かトラウマがあって、初めてのお客さんに懐こうとしないのか…オーナーさんの人柄が伝わるなぁ。お世話になりました。

宿を出て、再び米沢市内へ。朝、起きた時は酷い天気になるのではないかとも思われたが、快晴。まずは米沢城址をブラブラ。宝物殿には直江兼続の「愛」の前立てつきの有名な甲冑もあった。ちなみにあの「愛」は別に「LOVE」を意味しているわけではない。愛染明王なる信仰の対象の一つだ。下は城址に鎮座する藩祖、上杉輝虎入道謙信公の銅像。
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母と妹を城址苑の土産物店に置いて、一人で米沢城址を歩き回った。本丸のお堀以外、何もないんだよなぁ…。当時から、米沢城には石垣の類はなく、堀と土塁で造成された城郭で、三階建ての櫓が二基、天守閣の代わりを担っていたそうだ。櫓台は一か所はそれとわかったが、もう一か所は破壊されていたと思う。
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一見、櫓台にも見えるが、この堀の向こうの塁上には、江戸時代、謙信公の遺骸を収めた御堂が安置されていたそうだ。

昼食はラーメンと並ぶ米沢名物、日本蕎麦を「矢平」なるお店で食べる。コシのある板ソバも美味だったが、味噌を乗せて表面をカラっと揚げたようなソバ田楽には感激…

食後、慶長二年(1597~上杉氏が会津・米沢に移って来た年)に出来たという酒蔵東光に行ってみた。もちろん、当時の建物ではないが、明治時代の馬鹿デカい蔵や商家の建築、庭園に驚愕。室町時代作の備前焼の大甕もあった。商売上手だったんだろうな…あやからないと。下はカメラに収まりきらない酒蔵の一部。自分は日本酒は飲まないので、何も買わなかったが、妹が大吟醸をゲット。
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最後に観光で立ち寄ったのが、旧米沢高等工業学校本館校舎、現在の山形大学工学部の敷地内にある。昨日、林泉寺に立ち寄る途中に見かけて、「これは凄い!」と思い立ち寄った次第。これ、国の重要文化財である。明治時代の西洋建築は史跡巡りをしていると、見かける事はよくあるが、こんなに馬鹿デカい建築にはなかなかお目にかかれない。しかも、内装も含めて保存も行き届いている。
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…というわけで、今回の小旅行は終了。9時過ぎには実家に戻って巨人、阪神のゲーム差が3に縮まったことを知り、米沢市内のあちこちでお参りした効果が早くも出たかと満足この上なし。

12時過ぎに帰宅。博物館で買った上杉景勝や直江兼続に関する展示図録を読みながら爆睡。

6月1日の日記~安土城

目を覚ますと7時…何てこった!早朝、洛中を散歩したかったのに…

天気は昨日とは打ってかわって快晴。朝食はホテル近くの喫茶店でモーニング・セットでパンとコーヒーを食す。妻と母、妹はその後、護王神社を探索したようだが、自分とDaddyはホテルで休息した。

9時過ぎにホテルを出て、安土城址へ向かったが、せっかく京都にいるんだし…と言う事で、かつての本能寺跡へ行ってみた。現在、地図や観光本に掲載されている本能寺は、後に豊臣秀吉による区画整理で移転されたもので、有名な「本能寺の変」が起きた場所ではない。というわけで、狭い路地を通り、犬の散歩をしている地元の方に道を尋ねつつ、たどり着いた旧本能寺跡。
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今は老人ホームになっているらしいが、最近、発掘したら色々なものが出てきたとか、ニュースで話題にもなっていた。天正十(1582)年6月2日、この地で日本史上最大のクーデター事件が起きたのか…と思いを馳せつつ、家族で石碑を中心に記念写真。


これで今年は京都に思い残す事はない、と安土に向かったが、予想外に交通渋滞などに引っかかり、予定より遅く安土に到着した。

安土に行くと母は必ずスーパーで近江米を買うのだが(実際、これが安くて美味い)、昼食はそのスーパーの前のおばんざい屋「味葦庵」で和食のランチ・バイキング。2年ほど前に出来た店らしいが、毎年通っていたのに気がつかなかったな…安くて美味しくて大満足でした。

こうして、ようやく安土城に到着。
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写真はお花畑を前にした安土山。この周辺は素晴らしい開放感が味わえる癒し空間なのだ。

織田信長の命日直近の日曜日は毎年「安土信長祭」が開催され、多くの人が集まっている。既に武者行列などのイベントは終わったようだが、屋台などは大盛況だ。両親も近所からの以来で珍味の鮒鮨を購入していた。

面白かったのは、武者行列に参加した方々がそのまんまの格好で城跡を徘徊していて、観光客に大人気、記念写真を撮られまくっていた。しかし、あの格好で本丸まで登るのって辛くないのかな?

毎年、少しずつではあるが発掘整備の進んでいる安土城址、今年はそんなに変化は感じなかったが、祭りの行われていたのと、時間の関係でよく見られなかった山麓部分の整備、樹木の伐採が進んでいるという印象は受けた。来年は祭りの日を避けて、山麓部分を徹底的に歩いてみようと決意した次第。
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その後は特に寄り道せずに帰宅。帰りの車中、ラジオでソフトバンクvs巨人戦を聞いていたが、巨人サヨナラ負けという結果以前に、試合内容が両軍とも悪過ぎだ。順位に反映されてるよなぁ…

5月31日の日記~上洛

デフ・レパードの自作編集ベスト、エイジア"Asia"、"Alpha"、"Astra"を聴いた。

雨の中、滋賀県に向けて車で出発。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りなのだ。今回は家族五人だ。

当初の予定では最初に安土城址に行って墓参りした後に上洛、京都のホテル泊~日曜日に京都を軽く観光して帰宅というスケジュールを立てていたのだが、関ヶ原から彦根にかけての豪雨たるや、笑ってしまうほどで予定変更、まずは京都観光をする事にした。ところが、大津で食事&コーヒーを取っている間に雨が止んだ…日頃の善行がものをいったようだ。

写真は昼食に飲食した、京都にあるというパン屋「ラミデュパン」のコーヒーとSAのレストランの近江牛肉重。どちらも美味しかった。
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まずは東寺に到着。ここは堂内に国宝の立体曼荼羅があり、最近、仏像にご執心の母や妹に良かろうというわけで行ってみた。

この寺、堂舎の消失~再建が繰り返された歴史を反映して、室町から現代にわたる壮大な建築物で構成されているのが、見所の一つだ。ま、敷地、伽藍をはじめ全体に規模、スケールがデカいので、そこいらのお寺とは、比較する事自体ナンセンスなのだが。

自分を除く家族皆が、それぞれカメラを持って撮影している様子は見ていておかしいが、一様に建物が大きすぎてフレームに収まらないとブーイングを上げていた。

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これは室町時代後期に再建された講堂で重要文化財。内部には弘法大師空海の残した国宝立体曼荼羅が安置されている。見事な仏像二十一体が並ぶ様は有り難味を忘れるほどに壮観。建物は平安時代以来の雅な趣が残っている。

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金堂は内部の薬師三尊像を含めて、安土桃山時代の豊臣秀頼による再建。戦国乱世の余燼を感じさせる豪快かつ壮大な建物で、初めて見たときは絶句したものだ。

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弘法大師が京都における住居とした大師堂も室町時代、三代将軍足利義満による再建。落ち着いた外観に内部も実用性の高さを感じさせる。

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私は東寺を訪れたのは二度目なのだが、今回、改めて圧倒されたのが、この五重塔だ。はじめて来た時の記憶は金堂のインパクトが強く、五重塔には、そんなに近くまで寄らなかったような…。江戸時代初期、徳川家光の再建によるもので、派手さはないが、重厚なデザインが見事だ。


ざっと東寺を廻った後、Daddyが八坂神社周辺の繁華街を見てみたいというので、近くの駐車場に入れて自由行動へ。私はショッピングする気力などなく、車中でしばし昼寝。後で妹に無様な爆睡姿を撮影されていたことを知る…。

宿は京都御所近くのホテルを予約していた。確か、2度目だったと思うが…あの時は西本願寺や大徳寺に行ったんだっけな。

夕食まで間があったので、一時間ほど時間が出来たので妹と散歩。京都御所を経て相国寺を目指したが、京都御所内に見所が多く、それ以上に広い!結局、途中で戻る羽目になった。幕末、禁門の変の舞台となった蛤御門て残っていたのね…当時の弾痕も撮影しました。
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御所内は人気も少ないのに皇宮警察も頻繁にパトロールしていた。現在の皇居、江戸城跡周辺よりも警戒が厳しいような気がするほどだ。なんか、別世界だね。
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戻る途中、夕立に見舞われ、道端にあった猪を祀った護王神社でしばし雨宿り。本人の干支だからか、妹は興味津津のようだ。

「雨宿りのお世話になったから」
と妹が鳥居の脇の賽銭箱に小銭を入れると更に豪雨になる。
「なんだよ、俺にも払えってか」
と私も小銭を入れると程なく小降りになった。天気雨に近い状況だったので、空の様子が何とも神秘的だったな。
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夕食はホテル近くの居酒屋で食べた。地ビールが美味しかった。食後、ホテルの部屋に戻っての二次会は私の誕生会。何時の間にやらケーキなどが用意されていた。
BGVはバレーボール男子の日本vsイタリア戦だったが、信じられない展開にチャンネルを「ごくせん」に変更…

11時頃に二次会を終え、深夜だというのに、相国寺へ向けて散歩を再チャレンジ。かほどに相国寺にこだわったのは、この周辺が応仁の乱の開戦地であったので、一度訪れてみたかったのだ。京都御所、周辺の公園が真っ暗だけど、通行は自由。パトカーのサイレンを頻繁に見かけるので、安心ではあるが。

意外な事に相国寺は深夜でもは入れる場所はあった。抜け道みたいなものなのかな。意外と通行人もいた。更に進んで御霊神社を目指す。応仁元年、管領職を突如として剥奪された畠山政長がここに立て籠もり、家督相続を巡って争う畠山義就勢が襲撃する。「上御霊社の戦い」が実質、応仁の乱開戦のゴングとなった。ところが、残念ながら、御霊神社は夜は開けていなかった。鬱蒼とした森が残っていて戦場となった雰囲気はわずかながら残っていたけど。来年以降、昼間に行ってみようかな。

というわけで散々歩き回ってホテルの風呂で湯に使ったまま爆睡、気がついてベッドに潜り込んだのは何時だったのだろう?

12月1日の日記~松本・諏訪小旅行・その1

早朝のニュースで亀田大毅選手の会見を見たが、面白みのカケラもなかった。朝青龍関の謝罪会見は大爆笑だったけど。質問する方もなぁ…自分が審判を下す!みたいな気持ちがカラ回りしているみたいで滑稽…まぁ、報道する側は視聴率が稼げれば良いんだろうけど。

で、今日は松本~諏訪へ一泊の小旅行に出かけた。7人と大人数なので、車ではなく新宿から8時半発の特急あずさに乗った。特急電車で城を見に行くなんて初めてだ。

11時半に松本駅着。やはり関東とは一段寒さが違う。とりあえず松本城を目指しつつ、街をぶらぶらしながら昼食を食べる蕎麦屋探し。結局「こばやし」という蕎麦屋に入った。店内では三人もの人が蕎麦を打っている。馬刺しに天ぷら盛り合わせ、蕎麦を注文して大満足。

この日の大目標である松本城は大河ドラマの影響で相当混んでいるのかと思っていたが、そうでもなかった。過去に天守閣の登り口が大行列を成していたこともあったので意外…考えてみれば12月ともなれば並んで待つには寒いしね。

天守閣は年長組も含めて、何とか皆で最上階へ登った。以前、冷たい風が吹き込んできて恐ろしく寒いと感じたこともあったが、今日は冬場の割には大丈夫だった。むしろ心地よい涼しさという感じで…これも温暖化の影響かね。

天守を降りてから、改めて周囲を廻りながら写真を撮影したりしたのだが、鯱鉾の上にトビが2羽止まっていた。城の周囲の堀の水の浄化も進んでおり、鯉や水鳥ばかりか、小魚まで透けて見えた。ああいうのは良いね。

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城をざっと見た後はコーヒーでも飲もうかと思ったが、時間がなかったので、事前に下諏訪で予約していた宿へ向かうことにした。時間もあるし、下諏訪駅から歩いてみたら、予想外に遠くて40分くらい歩くことになってしまい、母は大ブーイング。

宿に着いた直後のニュースで浦和の敗戦~鹿島の逆転優勝を知って言葉を失った。ここ一月ばかり勝利に見放されてるな…クラブワールドカップまでに何とかコンディションを取り戻してほしい。

宿の温泉は天然に偽りはないようで、肌にしみるし、男の自分でもお肌がみずみずしく感じられるほど。野球日本代表の試合を肴にしたビール&食事も美味しかった。

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フィギュアの安藤選手の3度にわたるコケっぷりには驚いた。練習のときにどこか怪我したのか?と思われるようなしぐさも見ていたから心配していたんだけど。武田選手の100万ドルの笑顔には参ったなぁ。惚れてしまいました。

フィギュア観戦後、コーヒーでも飲もうかと思い、1階のラウンジに行ってみたが、下手クソなカラオケ大会が行われていて閉口…従業員も辛いな。仕方ないので、夜の散歩も悪くはないかという事で、諏訪湖岸の夜景を楽しみつつ、モスバーガーまでブラリ。意外と…といってはなんだけど、お店は結構開いてるね。宴を終えたホテルのラウンジでは、酔っ払いが会社の同僚への愚痴をぶちまけていた。

12時過ぎには爆睡。

6月3日の日記~彦根城築城四百年

朝食はホテル内のバイキング。食堂が広くて、おかわりに行くのが億劫な感じだった。母は皿の上のものを全て食べていないのに下げられてちょっと不満げ。まぁ食事を出す側の思う壺ですな。

今年は彦根城が築城四百年という事で、観光客も随分と集まっている。普段は二の丸佐和口近くの駐車場に車を停めるのだが、この日はそこで観光物産展が開催されており、大手の普段はグランドに使われていると思われる臨時駐車場に車を入れて、これまた珍しく、大手橋から城内へ。

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6月2日の日記~安土城址へ墓参

ミートローフ"Bat Out Of Hell"シリーズ3作、マスタープラン、オーディオスレイヴの自作ベストを聴いた。

早朝、母、妹、叔母を連れて滋賀県に向けて出発。天正10(1582)年のこの日は本能寺の変が起きた日…つまり、織田信長の命日というわけで、その墓参りに出かけたのだ。私の場合、ここ15年ほどは毎年恒例のことだけど。

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4月30日の日記~石和Part.2

起きてすぐにコンビニへのど飴とちり紙を買いに出かけた。発熱こそないものの、自然と鼻水は垂れてくるし、くしゃみも連発で悲惨な有様。とりあえず温泉による湯治効果を祈りつつ、朝から温泉に浸かってみた。あまりに心地よくてしばしウトウト…。

またヤンキース負けたのか。昨日の勝ち方で勢いに乗るかと思ったが…なかなか上手くいかないな。

風邪を押して宿を出て勝沼へむかった。ワインショップの側に勝沼氏館跡が整備されているらしい。戦国期の武家屋敷の遺構が残っているのはなかなか貴重なのだ。案内板に従って停めた駐車場からやや離れたところに土塁らしきものが見える。近くでテントを張っていた方に確認して行ってみると、意外に大きな堀と土塁が出てきた。

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内部は遺構が整備されて公園になっていた。水路が巡っているのが印象的だった。建物跡は去年行った朝倉氏館などに比べると規模が小さいね。しかし、地方の国人領主の館跡を想像させる遺構は大いに参考になった。下の写真、手前が厩跡で、その奥に見えるのが館などの殿舎建築にあたる。

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ちなみに勝沼氏最後の当主信元は武田信玄の従兄弟にあたるが、謀反の嫌疑を受けて成敗されて滅亡している。このため、放置された館跡が残されたらしい。

その後、ワイナリーに立ち寄った。皆が試飲、購入する中、風邪っぴきの私はウロウロするだけ。鼻水の垂れるのは収まってきたけど、咽喉が相変わらずヒリヒリする。

ワインの買い物終了後に親戚と別れ、妹と母、それに私の三人になった。昼食後、近くにある大善寺へ向かった。山梨県で最も古い建築である薬師堂が国宝になっている。国道に出ると山の麓に大きな建物が見えてきた。

江戸期に再建された山門を潜って参道を登っていくと、桧皮葺の巨大な国宝薬師堂に着いた。想像以上の大きさだ。

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この寺は養老二(718)年の開基で、薬師堂は鎌倉時代末期、元寇を経た弘安九(1286)年に執権北条貞時によって建立されたという。つまり、築720年か…屋根の反りなどは、さほど大きくなく、豪快、華麗というより、落ち着いた風情を感じる建築だ。

ちなみに先ほど立ち寄った勝沼館の勝沼信元が信玄に打たれた際、信元の妻は出家して理慶尼と称して大善寺に入ったという。そして勝沼氏滅亡から約二十年を経た天正十(1582)年、勝沼氏を滅ぼした武田氏に滅亡の時が来た。織田軍に追われるようにやって来た武田勝頼主従が逃げる途中、大善寺に立ち寄り一夜を過ごして、再起を祈ったのだという。その後、逃亡先にしていた郡内領主、小山田信茂に裏切られ、進退窮まった勝頼主従は勝沼から程近い天目山田野で自害して滅亡した。理慶尼はこうした武田家滅亡の様子を「理慶尼記」に書きまとめて残している。

当時の武田勝頼や理慶尼らの思いを馳せながら、今に残る薬師堂を外から眺め、内部の十二神将をはじめとする仏像群を拝観して、今回の史跡めぐりは終了。

帰りはどうせ渋滞だろうし、高速道路を使わず家路についた。実家に母と妹を送り届け、割と早めに帰宅。風邪を治すため、とっとと寝た。

CDはフィリップ・セイス"Silver Wheel Of Stars"、ポーキュパイン・ツリー"Fear Of A Blind Planet"、エアロスミス"Honkin' On Bobo"、ペイン・オヴ・サルベイション"Scarsick"、ミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of HellⅡ"、"Bat Out Of HellⅢ"を聴いた。
風邪で朦朧としていたけど、ペイン・オヴ・サルベイションがカッコ良かったね。

4月29日の日記~石和Part.1

昨晩から実家のソファでそのまま寝ていたが、妻の風邪が移っていたらしく、更に昨晩の寒さが祟って嫌な鼻水、くしゃみ、咽喉の痛みが出た。しかし、今日は石和の温泉で親戚の集まりついでに山梨県内の史跡探訪に行こうと決めていたので、無理して出発。
母親は前日から石和に行っており、父親は背中の腫れ物を切除した関係で温泉に駄目出しが出て、留守番ということで、妹を連れて行った。

出掛けにヤンキースの井川投手が先発投手の負傷降板で途中登板して好投、勝利投手になりそうだとの報に接した。目出度い!これでチームの調子も上がればいいけど。

ところで、そもそも私はGWやお盆休みといった連休時にドライブに行くのは大嫌いなのだが、案の定、中央道は渋滞。覚悟はしていたが、ETCレーンが一番混んでいる状態にはさすがに立腹した。まぁ、今日は快晴で富士山の眺めが非常に良いのが救いではあった。せっかくだからと双葉SAで車を降り、展望台で妹が富士山を記念撮影。私は見知らぬ家族に頼まれて、やはり富士山を背景に記念撮影をしてあげた。SLAYERのTシャツを着ていても、私からはフレンドリーな人柄がにじみ出るようだ。

昼食は山梨に来たら、とりあえずほうとうを食べたくなるもんだろう、ということで韮崎ICを下りてすぐ、「信玄餅」で有名な桔梗屋が運営している食事処「水琴茶堂」でほうとうを食べた。けんちん汁がおかわりし放題とは珍しい。今日は暖かかったので、汗が出たけど、美味しかった。自分の体調が…くしゃみ、鼻水が止まらないのには参ったけど。店を出る際、親戚へのお土産に「幻のコロッケ」も購入した。

さて、今回の史跡探訪の最初の地は武田八幡神社である。鎌倉時代、甲斐の国、つまり現在の山梨県の守護に任じられた甲斐武田氏初代、武田信義が氏神とした神社で、現在の社殿は武田晴信(信玄)による再建という事なので、行ってみた。
車で遠目に無骨な二の鳥居が見え「石鳥居か?」と思って車を降りてみると木製で当初の朱塗りが禿げてしまったものらしい。神額なぞは文字が読めないほど劣化している。案内板を読むと武田信虎(信玄の父親)が建て、江戸期に修復だか再建したという事になっていた。
ここから、なだらかな坂を上って行くと一の鳥居、本殿に着く。実際はここにも駐車場があったけど。驚いたのは一の鳥居の大きさで、遠目にはかなりの大きさと思って、いざ、たどり着いてみると高さ2m前後の小ぶりな石鳥居だった。しかも、鳥居を潜るというより、その脇を抜けるように通路、石段が配されている。わざわざ石垣も含めて重要文化財に指定されているので、当時からこうだったのだろう。珍しい参拝ルートだ。

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そして両脇の大木がまた圧巻だ。左側の巨木の洞からは冷たい空気が吹き出ていて、「風邪が治るかもしれない」と顔を近づけて思い切り息を吸っておいた。この木、信玄も見上げたんだろうなぁ…

信玄が再建したという社殿も、室町時代の武家が関わったと思わせる豪快な建築だ。木鼻や懸魚が妙にデカイのだ。鬼瓦もリアルに恐ろしげで、今にも動き出しそうだった。

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すぐ近くに白山城の城址があるとの案内があり、動物除けの高圧電流を巡らせた金網内に侵入したものの、道がよくわからない上、時間もないので、今回は断念した。鼻水とくしゃみも止まらないし。

しかし、そんな体調にもめげず、今度は新府城へ行った。織田信長に滅ぼされた武田家最後の当主、勝頼によって築かれた城で、信玄の時代の甲府の躑躅が崎館(現武田神社)とは規模も桁違いに大きな城郭だ。ただし、完成を前にして織田の大軍の侵入を許し、勝頼は城を捨てることを余儀なくされるのだが。

私は過去に二度、この城址を訪れているのだが、今回は城の北方から侵入を試みた。
この城、西側は釜無川に面した目の回るような断崖絶壁で、残る三方を堀で囲んである。これらのうち、北、東はやはり堀から城内が急斜面で、北西部分に小さな搦め手口を設け、南方の比較的なだらかな方向に大手口を開き、防備施設を築いてある。
北方には堀に突き出るように二つの出構と呼ばれる陣地のような施設があり、このうちの一つから城址に入る。山道を登れば程なく本丸直下の帯郭に出る。こうして実際に歩くと、新府城は北方の防御があまりにも脆弱である事が実感できる。
本丸跡には勝頼はじめ、滅亡した武田一族、家臣団を祀ってある。ここから南へ大手方面に進むと土塁、堀で作られた堅固な防御施設を見ることが出来る。特に二重の馬出しで囲まれた大手口は必見だ。ここは甲斐武田氏独自の防御施設、丸馬出しと三日月堀が残る貴重な城址なのだ。もちろん、松代や松本、高遠など、かつて武田氏が築いた城址にもこうした遺構はあったのだが、明治維新以降の開発で、堀から突き出した馬出しなどというものは無用の長物として次々と破壊され、埋め立てられてしまったのだ。その点、平地でなく山中に築かれた新府城は破壊を逃れたわけだ。

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巨大なので、全体像を上手く撮影できなかったが、右手に土塁が築かれ、その左の土塁に沿った窪みが三日月堀です。江戸期遺構、石垣による枡形形式の防御施設が主流となったわけだが、これは石垣で曲線状の塁壁を築くのには高い技術が必要だから仕方がない。だが、屈曲が出来れば死角が生まれやすく、それをカヴァーするために人数も多く必要になるというリスクもある。その点、土で作る戦国の城郭では半円形の土塁と堀の組み合わせを手軽に築く事によって、最小限の人数で広い視野を確保して門を守り、かつ出撃路を確保出来たのだ。こうした施設を考案したのが、信玄の時代の甲斐武田氏なのである。

その後、もと来た道を戻りつつ、井戸郭と搦め手口を見に行くと、大手口とは逆に随分と小奇麗に遺構が整備されていた。下は搦め手の虎口。見事に土塁で囲まれている。

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長大な土塁などを嬉々として撮影していると妹に母からメールが。「バーベキューはじまるよ」って…まだ5時やんけ。

気が済むまで写真を撮りまくってから石和の宿に着いたのは何時だったかな?親戚一同、既に酒と温泉にまみれて潰れてました…

宿に着いてから風邪が本格化してきたようで、咽喉が痛い…食後、温泉に入る順番を待っていたら眠ってしまい、深夜2時頃に焼けるような咽喉の痛みで目を覚ましたら皆爆睡中だった。一人温泉に浸かり、咽喉の痛みを和らげるものを台所で探すが、飴の類は皆無。仕方なく、ポカリスエットでチビチビ咽喉を濡らしながら一晩を過ごした。

CDはミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of Hell Ⅱ"、"Bat Out Of Hell Ⅲ"、セリオン"Gothic Kabbalah"、マノウォー"Gods Of War"を聴いた。マノウォーはちょっとオーケストラに頼り過ぎじゃないかな。

1月14日の日記~江戸城展

友人のカネゴン氏と江戸東京博物館へ「江戸城展」を見に行った。

この時期に何故、江戸城を取り上げるのかと思っていたが、どうもドラマの「大奥」が絡んでいるようだ。

自分としては太田道灌時代の江戸城に興味があったのだが、その辺の展示は少なかった。やっぱり判っていない事が多いのか…想像ジオラマとかがあるのかと思っていたけど、なかった。道灌の書状は興味深かった。書体が…直筆なのかわからないが、随分と流麗だった。

他にも太閤分銅金や、江戸の大名達の生活を彷彿とさせる史料は興味深かった。

CGによる「ヴァーチャル江戸城」を見たが、御殿などの建造物主体で、城郭としての構造にはあまり触れていなかったので、自分的にはイマイチだった。「大奥」ファンには楽しめたんじゃないかな?

それにしても、思いの他、混んでいた。

博物館を見た後、ちゃんこ鍋を食べて帰宅。

11月23日の日記~仏像展~

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上野の東京国立博物館へ「仏像~一木にこめられた祈り」展を見に行った。私は仏像マニアではないが、展示の大半が全国からつめた国宝か重文という凄まじい企画展であるし、行ってみた。母と妹なぞは「芸術新潮」で予習まで済ませていた。

博物館に向かう電車はそこそこ空いていたので、日程的に良い選択だったのかもと思いながら、現地に着いたら大間違いで入場規制が敷かれていた。幸い昼食時だったので、さほどの待ちぼうけも食らわず入れたけど。

いわゆる一本の木材から削りだされた仏像に焦点を当てた展示なので、大仏さんのようなものはなく、多くは立像…特に十一面観音が多い。こういう技法は奈良から平安時代が全盛であったらしいが、表情は様々だ。

宣伝ポスターやチラシに使用されている国宝、十一面観音菩薩立像(滋賀・向源寺)はさすがに放たれるオーラが違う。写真以上に現物から放たれる美しさや色気まで感じさせる神々しさに衝撃を受け、しばし呆然とさせられた。

「鉈彫」という技法もはじめて知った。模様のように鉈で削った跡をそのまま残しておく技法で、主に東国で流行ったらしい。圧巻は宝誌和尚立像(京都・西住寺)だ。顔が裂けた中から観音菩薩の顔が現れる瞬間を像にしたもので、そのインパクトたるや当時の庶民からすれば、「エクソシスト」級であったろう。

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展示の後半は江戸時代の円空と木喰による独特の仏像がズラリ。これって信仰というより大衆芸術というか…もちろん、当時の庶民の信仰を支えたのは確かだろうが、ピカソのような芸術の天才の技と比べるべきものだと思った。見ていて思わず微笑んでしまうね。

内面をリフレッシュさせてくれた良い企画展でした。

夜は池袋の「膳丸」で飲み食いして帰宅。

その後、WWE「スマックダウン」を見たが、特に波乱はなかった。ブギーマンは面白かったけど。








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