昼間、増上寺の遺構が移築されているという狭山不動寺に行ってみた。場所は西武ドームの真向いにあるので判りやすい…とはいえ、自分自身、車で西武ドームまで来たのは初めてだけど…しかし、意外と近いもんだなぁ。
西武ドームの向かいの森に寺院建築が見えるので、それを目指して路地裏に入って適当な駐車スペースに車を入れてみたのだが、目的の不動寺ではなく、隣接する山口観音金乗院なるお寺に来てしまった。
ただ、事前にネットで予習した情報から、隣接した寺にも増上寺の石灯籠が移築されていると知っていたので、取りあえず散策してみた。
なるほど、境内各所に石灯籠があり、銘文を読むと江戸期のもので、増上寺に寄進されたものであることが判る。ただし、これらの石灯籠は六代将軍家宣、七代将軍家継の逝去にあたって寄進されたもので、自分が目当てにしている二代将軍秀忠関連のものはなかった。
ざっと見たところで本来の目的地である不動寺に移動した。駐車場から門をくぐると整然と石灯篭が並んでいた。銘文を読むと、全て徳川綱重…五代将軍綱吉の兄で、六代将軍家宣の実父にあたる人物の逝去にあたって寄進されたもののようだ。奉納した大名もすべて譜代大名だったように思う。

驚いたのは、これらの石燈籠が並ぶ参道から石の柵を隔てた中に青銅製の灯籠が保存されていたことで、どうやら、これらが全て二代将軍徳川秀忠の逝去に際して、全国の有力諸大名が寄進したものらしい、しかし、残念ながら柵の中に入っての見学は出来ないようだ。詳しく見たい…他に石灯籠がいくつか、散在していたが、いずれも譜代大名から寄進されたものだった。

この寺には諸大名が寄進した灯籠以外にも、増上寺の貴重な遺構が移築されている。まずは崇源院丁子門…戦国武将浅井長政三女で、徳川秀忠の正室、俗にお江の方で知られる女性の廟所に使われていた門である。

我が国で、女性の廟所にこれほどの規模を誇ったものは、皇室…推古天皇や持統天皇といった女性天皇の陵墓くらいしかないんじゃないかな?
そして、二代将軍徳川秀忠の廟所の遺構として、勅額門と御成門が移築されている。これらが造営されたのは寛永九(1632)年の秀忠逝去時のこと。ちなみに、世界遺産としても知られている徳川家康を祀った日光東照宮の陽明門などは寛永十三(1632)年の徳川家光による大規模な改装によるものである。つまり、秀忠廟の建築は、日光東照宮に先立つ徳川将軍の廟所の遺構として、大変貴重なものなのだ。

まずは御成門から。名称から察するに徳川将軍のみが通行を許された門…奥の院の秀忠墓所への通用門がこれにあたる。恐らく、手前の拝殿などの主要建築からも、奥の院からも離れた位置に独立して建てられたために焼失を逃れたのだろう。天女を中心に極楽浄土を描いたと思われる彫刻の見事さに驚愕した。

内部の天井にも珍しい意匠が採用されている。寺院や御殿建築で格子模様の彫刻、絵画を見ることが多いが、ここでは、その中に巨大な円形の枠を入れて極楽浄土の世界を描いてある。神格化された徳川家康を葬った日光東照宮と比べると、随分と穏やかな世界観が反映されているのが興味深い。こうした意匠が、純粋な供養の意味合いを持ったものか、それとも葬られた人物の性格から来たものなのか、様々想像出来て面白い。
最後に見たのが勅額門、読んで字の如く、時の後水尾天皇の御宸筆による徳川秀忠公の法名「台徳院」の文字が飾られている。

内部には花鳥、獅子や龍の絵、彫刻がある。注目すべきは龍かな。日光で見られるような立体的な彫刻には仕上がっていない…それ以前の過度的な仕上がりと言えそうだ。

…というわけで、予想以上に面白いものが沢山見られ、大満足、また来ようと思いました。