デフ・レパードの自作編集ベスト、エイジア"Asia"、"Alpha"、"Astra"を聴いた。
雨の中、滋賀県に向けて車で出発。毎年恒例の安土城址への織田信長の墓参りなのだ。今回は家族五人だ。
当初の予定では最初に安土城址に行って墓参りした後に上洛、京都のホテル泊~日曜日に京都を軽く観光して帰宅というスケジュールを立てていたのだが、関ヶ原から彦根にかけての豪雨たるや、笑ってしまうほどで予定変更、まずは京都観光をする事にした。ところが、大津で食事&コーヒーを取っている間に雨が止んだ…日頃の善行がものをいったようだ。
写真は昼食に飲食した、京都にあるというパン屋「ラミデュパン」のコーヒーとSAのレストランの近江牛肉重。どちらも美味しかった。


まずは東寺に到着。ここは堂内に国宝の立体曼荼羅があり、最近、仏像にご執心の母や妹に良かろうというわけで行ってみた。
この寺、堂舎の消失~再建が繰り返された歴史を反映して、室町から現代にわたる壮大な建築物で構成されているのが、見所の一つだ。ま、敷地、伽藍をはじめ全体に規模、スケールがデカいので、そこいらのお寺とは、比較する事自体ナンセンスなのだが。
自分を除く家族皆が、それぞれカメラを持って撮影している様子は見ていておかしいが、一様に建物が大きすぎてフレームに収まらないとブーイングを上げていた。

これは室町時代後期に再建された講堂で重要文化財。内部には弘法大師空海の残した国宝立体曼荼羅が安置されている。見事な仏像二十一体が並ぶ様は有り難味を忘れるほどに壮観。建物は平安時代以来の雅な趣が残っている。

金堂は内部の薬師三尊像を含めて、安土桃山時代の豊臣秀頼による再建。戦国乱世の余燼を感じさせる豪快かつ壮大な建物で、初めて見たときは絶句したものだ。

弘法大師が京都における住居とした大師堂も室町時代、三代将軍足利義満による再建。落ち着いた外観に内部も実用性の高さを感じさせる。

私は東寺を訪れたのは二度目なのだが、今回、改めて圧倒されたのが、この五重塔だ。はじめて来た時の記憶は金堂のインパクトが強く、五重塔には、そんなに近くまで寄らなかったような…。江戸時代初期、徳川家光の再建によるもので、派手さはないが、重厚なデザインが見事だ。
ざっと東寺を廻った後、Daddyが八坂神社周辺の繁華街を見てみたいというので、近くの駐車場に入れて自由行動へ。私はショッピングする気力などなく、車中でしばし昼寝。後で妹に無様な爆睡姿を撮影されていたことを知る…。
宿は京都御所近くのホテルを予約していた。確か、2度目だったと思うが…あの時は西本願寺や大徳寺に行ったんだっけな。
夕食まで間があったので、一時間ほど時間が出来たので妹と散歩。京都御所を経て相国寺を目指したが、京都御所内に見所が多く、それ以上に広い!結局、途中で戻る羽目になった。幕末、禁門の変の舞台となった蛤御門て残っていたのね…当時の弾痕も撮影しました。


御所内は人気も少ないのに皇宮警察も頻繁にパトロールしていた。現在の皇居、江戸城跡周辺よりも警戒が厳しいような気がするほどだ。なんか、別世界だね。

戻る途中、夕立に見舞われ、道端にあった猪を祀った護王神社でしばし雨宿り。本人の干支だからか、妹は興味津津のようだ。
「雨宿りのお世話になったから」
と妹が鳥居の脇の賽銭箱に小銭を入れると更に豪雨になる。
「なんだよ、俺にも払えってか」
と私も小銭を入れると程なく小降りになった。天気雨に近い状況だったので、空の様子が何とも神秘的だったな。

夕食はホテル近くの居酒屋で食べた。地ビールが美味しかった。食後、ホテルの部屋に戻っての二次会は私の誕生会。何時の間にやらケーキなどが用意されていた。
BGVはバレーボール男子の日本vsイタリア戦だったが、信じられない展開にチャンネルを「ごくせん」に変更…
11時頃に二次会を終え、深夜だというのに、相国寺へ向けて散歩を再チャレンジ。かほどに相国寺にこだわったのは、この周辺が応仁の乱の開戦地であったので、一度訪れてみたかったのだ。京都御所、周辺の公園が真っ暗だけど、通行は自由。パトカーのサイレンを頻繁に見かけるので、安心ではあるが。
意外な事に相国寺は深夜でもは入れる場所はあった。抜け道みたいなものなのかな。意外と通行人もいた。更に進んで御霊神社を目指す。応仁元年、管領職を突如として剥奪された畠山政長がここに立て籠もり、家督相続を巡って争う畠山義就勢が襲撃する。「上御霊社の戦い」が実質、応仁の乱開戦のゴングとなった。ところが、残念ながら、御霊神社は夜は開けていなかった。鬱蒼とした森が残っていて戦場となった雰囲気はわずかながら残っていたけど。来年以降、昼間に行ってみようかな。
というわけで散々歩き回ってホテルの風呂で湯に使ったまま爆睡、気がついてベッドに潜り込んだのは何時だったのだろう?