4月29日の日記~石和Part.1
昨晩から実家のソファでそのまま寝ていたが、妻の風邪が移っていたらしく、更に昨晩の寒さが祟って嫌な鼻水、くしゃみ、咽喉の痛みが出た。しかし、今日は石和の温泉で親戚の集まりついでに山梨県内の史跡探訪に行こうと決めていたので、無理して出発。
母親は前日から石和に行っており、父親は背中の腫れ物を切除した関係で温泉に駄目出しが出て、留守番ということで、妹を連れて行った。
出掛けにヤンキースの井川投手が先発投手の負傷降板で途中登板して好投、勝利投手になりそうだとの報に接した。目出度い!これでチームの調子も上がればいいけど。
ところで、そもそも私はGWやお盆休みといった連休時にドライブに行くのは大嫌いなのだが、案の定、中央道は渋滞。覚悟はしていたが、ETCレーンが一番混んでいる状態にはさすがに立腹した。まぁ、今日は快晴で富士山の眺めが非常に良いのが救いではあった。せっかくだからと双葉SAで車を降り、展望台で妹が富士山を記念撮影。私は見知らぬ家族に頼まれて、やはり富士山を背景に記念撮影をしてあげた。SLAYERのTシャツを着ていても、私からはフレンドリーな人柄がにじみ出るようだ。
昼食は山梨に来たら、とりあえずほうとうを食べたくなるもんだろう、ということで韮崎ICを下りてすぐ、「信玄餅」で有名な桔梗屋が運営している食事処「水琴茶堂」でほうとうを食べた。けんちん汁がおかわりし放題とは珍しい。今日は暖かかったので、汗が出たけど、美味しかった。自分の体調が…くしゃみ、鼻水が止まらないのには参ったけど。店を出る際、親戚へのお土産に「幻のコロッケ」も購入した。
さて、今回の史跡探訪の最初の地は武田八幡神社である。鎌倉時代、甲斐の国、つまり現在の山梨県の守護に任じられた甲斐武田氏初代、武田信義が氏神とした神社で、現在の社殿は武田晴信(信玄)による再建という事なので、行ってみた。
車で遠目に無骨な二の鳥居が見え「石鳥居か?」と思って車を降りてみると木製で当初の朱塗りが禿げてしまったものらしい。神額なぞは文字が読めないほど劣化している。案内板を読むと武田信虎(信玄の父親)が建て、江戸期に修復だか再建したという事になっていた。
ここから、なだらかな坂を上って行くと一の鳥居、本殿に着く。実際はここにも駐車場があったけど。驚いたのは一の鳥居の大きさで、遠目にはかなりの大きさと思って、いざ、たどり着いてみると高さ2m前後の小ぶりな石鳥居だった。しかも、鳥居を潜るというより、その脇を抜けるように通路、石段が配されている。わざわざ石垣も含めて重要文化財に指定されているので、当時からこうだったのだろう。珍しい参拝ルートだ。

そして両脇の大木がまた圧巻だ。左側の巨木の洞からは冷たい空気が吹き出ていて、「風邪が治るかもしれない」と顔を近づけて思い切り息を吸っておいた。この木、信玄も見上げたんだろうなぁ…
信玄が再建したという社殿も、室町時代の武家が関わったと思わせる豪快な建築だ。木鼻や懸魚が妙にデカイのだ。鬼瓦もリアルに恐ろしげで、今にも動き出しそうだった。

すぐ近くに白山城の城址があるとの案内があり、動物除けの高圧電流を巡らせた金網内に侵入したものの、道がよくわからない上、時間もないので、今回は断念した。鼻水とくしゃみも止まらないし。
しかし、そんな体調にもめげず、今度は新府城へ行った。織田信長に滅ぼされた武田家最後の当主、勝頼によって築かれた城で、信玄の時代の甲府の躑躅が崎館(現武田神社)とは規模も桁違いに大きな城郭だ。ただし、完成を前にして織田の大軍の侵入を許し、勝頼は城を捨てることを余儀なくされるのだが。
私は過去に二度、この城址を訪れているのだが、今回は城の北方から侵入を試みた。
この城、西側は釜無川に面した目の回るような断崖絶壁で、残る三方を堀で囲んである。これらのうち、北、東はやはり堀から城内が急斜面で、北西部分に小さな搦め手口を設け、南方の比較的なだらかな方向に大手口を開き、防備施設を築いてある。
北方には堀に突き出るように二つの出構と呼ばれる陣地のような施設があり、このうちの一つから城址に入る。山道を登れば程なく本丸直下の帯郭に出る。こうして実際に歩くと、新府城は北方の防御があまりにも脆弱である事が実感できる。
本丸跡には勝頼はじめ、滅亡した武田一族、家臣団を祀ってある。ここから南へ大手方面に進むと土塁、堀で作られた堅固な防御施設を見ることが出来る。特に二重の馬出しで囲まれた大手口は必見だ。ここは甲斐武田氏独自の防御施設、丸馬出しと三日月堀が残る貴重な城址なのだ。もちろん、松代や松本、高遠など、かつて武田氏が築いた城址にもこうした遺構はあったのだが、明治維新以降の開発で、堀から突き出した馬出しなどというものは無用の長物として次々と破壊され、埋め立てられてしまったのだ。その点、平地でなく山中に築かれた新府城は破壊を逃れたわけだ。

巨大なので、全体像を上手く撮影できなかったが、右手に土塁が築かれ、その左の土塁に沿った窪みが三日月堀です。江戸期遺構、石垣による枡形形式の防御施設が主流となったわけだが、これは石垣で曲線状の塁壁を築くのには高い技術が必要だから仕方がない。だが、屈曲が出来れば死角が生まれやすく、それをカヴァーするために人数も多く必要になるというリスクもある。その点、土で作る戦国の城郭では半円形の土塁と堀の組み合わせを手軽に築く事によって、最小限の人数で広い視野を確保して門を守り、かつ出撃路を確保出来たのだ。こうした施設を考案したのが、信玄の時代の甲斐武田氏なのである。
その後、もと来た道を戻りつつ、井戸郭と搦め手口を見に行くと、大手口とは逆に随分と小奇麗に遺構が整備されていた。下は搦め手の虎口。見事に土塁で囲まれている。

長大な土塁などを嬉々として撮影していると妹に母からメールが。「バーベキューはじまるよ」って…まだ5時やんけ。
気が済むまで写真を撮りまくってから石和の宿に着いたのは何時だったかな?親戚一同、既に酒と温泉にまみれて潰れてました…
宿に着いてから風邪が本格化してきたようで、咽喉が痛い…食後、温泉に入る順番を待っていたら眠ってしまい、深夜2時頃に焼けるような咽喉の痛みで目を覚ましたら皆爆睡中だった。一人温泉に浸かり、咽喉の痛みを和らげるものを台所で探すが、飴の類は皆無。仕方なく、ポカリスエットでチビチビ咽喉を濡らしながら一晩を過ごした。
CDはミートローフ"Bat Out Of Hell"、"Bat Out Of Hell Ⅱ"、"Bat Out Of Hell Ⅲ"、セリオン"Gothic Kabbalah"、マノウォー"Gods Of War"を聴いた。マノウォーはちょっとオーケストラに頼り過ぎじゃないかな。
